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確かかなと思った言葉を気ままに。

憲法に対するそもそもの誤解(1)~隠れた失敗

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義務教育の過程で日本国憲法の前文を暗記・暗唱させられた経験がありはしないだろうか。

一度でも暗唱したのであれば、その内容に違和感を覚えた人も少なくないと推察する。

 

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、我が国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。


こちらが前文冒頭の一文である。

 

主語が「日本国民」で始まり、末尾が「この憲法を確定する」となっており、この憲法が国民自らの手で定められたと強調するものだが、お笑い草だ。

 

憲法がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の提示した英文の草案を和訳し、一部修正を経て成立した経緯は広く知られている。

日本国民がこの憲法を確定する、などと吹聴するのはとんだ詐術であると思うが、法律家はえてして制定のプロセスを省みず、結果としてでき上がった理念を「もうこうして定められたのだから」と容認し、プロセスに立ち返って現憲法を批判しようとする言論にアレルギー反応を起こす。

 

憲法の権威を借りて国民主権を叫びながら、現憲法の制定過程で主権が十分発揮されたかどうかについては疑問を持とうとしない。

当時は連合国の占領状態にあるのだから主権などあろうはずないのだが、そんな単純な事実さえ瞳が曇って見えていないし、見ようとしない。


こうした精神の分裂症状は、君が代の斉唱には反対なのに憲法の暗唱には異を唱えない人種と通じるものがある。

 

自由、平等、平和、これらの理念に絶大な感激を覚える勢力にとって、天皇の治世を讃えたと聴こえる君が代は、背筋が凍るほどおぞましいと思える。

自分の生命とは別格の存在がこの世で認められているのが受け入れられないのだろう。彼らは天皇の君臨を嫌う。

 

にもかかわらず、言葉に操られる怖さにはまったく鈍感なのだ。

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John HainによるPixabayからの画像

「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し……」


この部分は、あの戦争が世論を無視した、あるいは欺いた政府の一方的な策謀によって引き起こされたという歴史認識をあっさり認めてしまっている。

 

はたして世論に責任はなかったのだろうか世論が認める戦争ならよいのか、よい戦争とはいかなるものか。

ざっと見ても疑問の余地が相当にある部分で、認識の杜撰さと拙速さを感じてしまう。

 

戦争の惨禍を起こさない決意は立派としても、起こされた戦争からは逃げようがない。実世界では自制が過ぎると他国の干渉や侵入を許すことにもなり、憲法の文章は慎重さに欠ける。

 

こうなると、現憲法は1945年8月の降伏後、46年11月の公布、47年5月の施行となったが、憲法制定を急ぐ必要はなかったと思う。

 

降伏から施行まで2年足らずの期間で精緻な検討が尽くされるはずがない。

英国のEU離脱の手続きが国民投票から3年経ってもまだ続いている事態をみると、国の指針の転換がどれほど困難な作業かを思い知らされる。


私たちが教科書で知る歴史はわずか数行、数ページの世界であるが、その行間には教科書という形式では語り尽せない物語が無間地獄のように埋もれている。

 

想像するに、日本人が歴史を総括できるまで憲法制定の時間を先延ばしにすることすらできなかったのは、降伏後の隠れた失敗ではなかったか。

 

いや、現実にはそうさせてくれない、当時はそう思うこともない淡白な実態があるのも後世の者は知っておき、それこそ、再び惨禍を起こすことのないようにすることを決意して、アンテナを張っておかなければならない。

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