旧聞に類することで恐縮だが、メジャーリーガー大谷翔平選手の元通訳、水原氏による金銭搾取について、一般世間とは少し異なる感想がある。
お金を盗られたのは大谷、盗んだのが水原。だから悪いのは基本的には、水原の方である。
にしても、(一般人から見て)あれだけの巨額を盗られていたことに、しばらく気づかない、そもそも大谷の金銭に対する無頓着さは、それはそれで不思議なものだ。
日々の金のやりくりなど気にする必要もない富があるのはわかる。
彼はベースボールに専念することで稼いでいる。野球に専念し、結果を出していれば、お金は自然とついてくるのだ。
だから彼自身は野球にだけ集中すれば良いし、世間もそう思う。資産の管理については、しかるべき専門人に任せれば良い。
まあそれが、一応の理屈だろう。
だが、人は歳をとる。生きていれば、嫌でも多くの情報、経験が手に入り、それが昨日までとは違う自分の人格を形成していく。人生とはそういうものだ。
大谷が二十歳そこそこの若者であれば、野球への「一途さ」につけ込まれ、裏切られるという構図はよくわかる。
今の彼はアラサー。
今回の一件は、かなり幼稚に映った。
野球への一途さを忘れる必要はないが、それだけではない、それだけではいけないという要請が、人の生き様には寄せられてくるのだ。
平社員の時にはこれで良いとされてきた勤務が、係長、管理職となれば、十分とは見做されなくなるのに似ている。
野球選手といえど、年相応の見識は必要。
申し訳ないが、大谷にはそれを感じなかった。
彼にとっての24億円など、世間一般の240円、2400円程度のスケールなのかもしれない。
確かに、自分の口座から240円がいつの間にか引き出されていたとしても、私も気づかないかもしれない。
おそらくそういった感覚に近いのではないか。
富の大小によって、人の金銭感覚が変わってくるのはあり得ること。
だからこそ、そこにつけ込まれたのかどうかは知らないのだが、一つの分野にしか興味がない人間が、自分自身や周囲の人々に与える怪しさというものは少なくとも感じた。
この怪しさは、ダサさでもある。
人は変わる。内に秘めた志は不変でも、志を外に体現するための働きは状況によって変わり得る。
今回の一件で、大谷にはそれが感じられなかった。
一生、野球好きの少年のままではいられない。
自分であればそう思う。
世界では日々、やれ環境だ、物価高だ、ロシアだ、中東情勢だ、などとニュースが飛び交っていう。普通に生きているだけで、これらの情報は目に、耳に入ってくる。
シャットダウンはできない。どうしたって自分の振る舞いに影響してくる。
こうした意味で、昨日の自分、今日の自分、明日の自分は微妙に異なってくる。
不変の志を追求しつつ、その働きはやはり変わるのだ。
選手としての凄さはとうに知っている。
これからは、人としての凄さに磨きをかけてもらいたい。
そうでなければ、恐らく完全に興味を失うだろう。