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現状追認派は現状の居心地が良いからと信じ、必死で継続を訴える。
確かに現状が良いものであれば、その請願は麗しい真理の守護者であるようにも映る。
問題は現状の中身だ。
良い現状とはなんだろうか。
私人の人生を想定してみれば、それなりに収入と貯蓄があり家族もいて、子どもたちの将来にも不幸の影が少なく、老後にも見通しがつく、そのあたりが圧倒的ではないにせよ妥当な良い人生の線のはずだ。
現状の維持で妥当な線にありつければ、多くの人々は無難にそこを選ぶ。真っ当な市民感覚である。
そして、これが実に怖い。
市民感覚は適用対象が市民生活であればこそ正当な感覚だ。
政治は市民のためにあるとはいえ、内政と外交を同一視してすべてに市民感覚を当てはめるのは愚行といえる。
この程度の事実は長年諭されてきた教訓だが、いまだ世間に浸透していない。
気付き始め苛立ちを覚えている勢力もあるにはあるだろうし、一般人を見くびり過ぎているやもしれない。
それでも、こうした勢力が一般のメディアで目立ちはしない。
メディアで目立たないということは、言論として確立したとまでは言い切れない、依然不確かなエネルギーということではないか。ここでは、言論の変化に期待すべきかどうかはひとまず論じず、目立たないものはないものとみなす。言論にせよ何にせよ、その場の支配権を決めるのは圧力としてのパワーなのだから。