数百人の無名の人々の死より、一人の著名人の死の方が重みが勝ってしまう時があります。その衝撃にさらされた時の世間の動揺や恐れ、弔意の前では、異論はまったく無力。
やれやれ、そんな時には、もう時間が経つのを待つしかない。時間に余裕がある人たちにはそれができる。
時間の余裕がない人たちは、心の底から恐怖しているでしょう。罹っても死なない病気に、結局は殺されるわけだから。
逆境こそ、英知を結集した平衡感覚が求められるであろう時に、それができない(させてもらえない)のは、今に始まったことじゃありません。
何度も何度も繰り返す。
やっぱり、時間が経つのを待つしかない。
……けれど、それではあまりにやるせないので、せめて、あとで正しかったと言えるように、異論であっても正しいと思うことを考えるしかないです。