lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

憲法を二つ立てる(1)~生真面目な不真面目

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「Constitution(憲法)」なる言葉が、戦後どれだけの重要度を持って国民に認識されているかが、実は日本全国で密かに共有されてきた話題であったといったら、かなり言い過ぎであろうか。


いや……。


護憲、改憲といった造語が既にパソコンのワード上で簡単に変換できる時代になっているのであれば、それは憲法に対する関心が人々の潜在意識にもあまねく行き渡っているから、と捉えても、かなり生真面目な不真面目の類だといえる。


少なくとも、国体に関わる憲法論議は、そのテーマの大きさゆえに面白おかしいものの、それゆえに国民の意見の分断が深まる厄介な事物を扱う作業であるという程度の見方はあったといってもいいのではないか。


個人的には、Constitutionの元々の意味は「法令、構成、設立、性質」であるから、それらが時代に応じて必要に応じて変化しうるのは当然だし、もしも変化が否なら、その結果、国際・国内情勢の引き戻しようのない流れによって、とんでもない災厄に見舞われても致し方なく、自滅を当然覚悟すべしだと言い張って終わりにしたいところだが、多くの日本人はそうではないらしいから面倒である。


平和に暮らしたい、しかし、その平和を守るための努力は人(他国)任せで……。


この卑怯にしか聞こえない心境の肯定こそ、戦後日本人のアイデンティティーの根幹をなす要素の一つであり、平和憲法とされる現憲法はこうした卑怯さを国民が肯定するのに大いに役立ってきた。


もう少し丁寧に説明すれば、確かに日本人の平和に対する態度は人(他国)任せであり、批判はもっともだが、一方「永久的な平和を追求し実現に結び付けるためにも必要な態度であるのだ、だから批判を受け続けるのは覚悟でこの姿勢は貫かなければならない……」。そんな主張が正論として市民権を得てきたと思う。


あるいは、先の大戦を心底反省し、歴史を教訓としているのであれば、武力を行使しない、その余地もない平和外交に取り組むのが我ら戦後日本人の責務である、などと強弁するのもありかもしれない。


何といっても、現憲法は「戦争の放棄」をうたっているのだから。


早めに白状すれば、私自身、こうした「平和的」なる思想に共感して、それを否定しようとする言論に耳を閉じるにとどまらず敵意すら抱いた時期がなかったわけではない。


「反省とは自らに制約を課すことである」


確かに若い時期、こんな考えが全身を闊歩していた。


個人の理想を国家にも求めたのだ。


注意しておくが、自らに制約を課す生き方は個人の人生観としては十分取りえる高尚な考えであり、全否定するものではない。


思うに、ヒロイズム(英雄的行為)の源泉は自己犠牲にこそあるのだろう。


自分が持つ何かを捨ててまで他者に尽くす、尽くそうとした過程に人々は畏敬の思いを抱く。


もしくは行動に移せなかった自己の矮小さに思わず気恥ずかしくなるから、恥ずかしさを誤魔化すため行動に移した者を特別扱いして称賛する


自己犠牲を実践した者は、それを垣間見た他者の間に自己否定や自己肯定の衝動を引き起こして、いずれにせよ世間の平均値から外れた英雄の誕生となるだろう。


私としては、個人の自己犠牲の有用さには大いに共感するものである。


一方、果たして国家、国民の自己犠牲とは何かと問われれば、こちらは別の結論を導き得るかもしれない。


確実にいえるのは、安易な結論に飛びつくものではない。

 

前述した「平和的」とされる思想に対し距離を置きたいと思うようになった年齢については、正確には定かでないものの、ある程度の人生経験と知識の蓄積を経て逡巡を繰り返すうちにおよそ行き着く言論の構え方は確かにある。


気付いた時にはそうなっている、そんな説明をしたら乱暴であるが、気付く時期は人によるのであり、早熟な者もいれば、一生気付かないまま鬼籍に入る者たちがいるのも想像するに難しくない。


生まれてから培った感覚の良し悪しも影響しているやもしれない。


幼少期から思春期程度にかけて矛盾や葛藤を目の当たりにする機会が多いケースの方が、感覚の多義性が養われる可能性は高くなるだろう。


その多義性が、いったんは硬直したものの見方からの緩やかな脱却を手助けしてくれる。


ここで指摘する「多義性」とは、最近の世間が発信する社会の「多様性」などとは異なるものであるが、詳しい説明は後に回すとして、主にマスメディアが旗振り役となって押し通そうとする偽善や欺瞞に対し抵抗感を弱くし、自分の本性を表明するユニークな振る舞いの練度が乏しい現代の日本人が、多義性に裏打ちされた豊潤な思想を手にするのは既に絶望的でもあろう。


本連載は、自己を見つめるだけでも当然浮かび上がってくるだろう人格の豊かさや、日々直面する選択の境界を踏み外さないための言葉遣いの巧みさに興味を失くした、いわば極端な正論と無味乾燥の中庸ぶった中庸ばかりに言論が傾きがちな現代人へのささやかな抵抗でもある。

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