lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

鉄血宰相ビスマルク傳 8 宰相となる

 

四 ベルリンからの急電

 

彼はパリに在任すること三カ月。折しも同一八六二年の九月、彼はプロシア国内の政界の波瀾を冷眼視しつつスペインとの国境に近きビアリッツ海浜に悠々自適し、大西洋の清澄な空気を満喫して同月十八日の朝、ちょっとパリに帰った。

 

帰ってみると、一通の急電が机上に置かれてある。暗号でかつ変名である。その変名は陸相ルーンのそれであることがすぐ解った。

 

暗号を解約してみると『王の意譲位に傾く、事急なり、速やかに』とある。もともとビスマルクはパリに赴任しても長期の在任を予期せず、時局が要求すればいつでも帰国するという黙契が彼とルーンの間に疾くできてあったのである。

彼は急電を見るや、即座に一時賜暇許可の稟請をなし、同夜パリを発し、二十日の早朝ベルリンに帰った。

 

彼はベルリンに帰着せる折は、ときあたかも政府と議会は極度に衝突し、首相ベルンストルフは時局を収拾し得ずして既に辞意を申し出で、陸相ルーンも弱い閣僚の切なる勧告もありて軍政改革案の上に多少の譲歩を示さんというに傾き、独り参謀総長モルトケの強硬説を持するあるのみで、ウィルヘルム王は憂慮為すべきところを知らず、ついに自ら王位を退譲せんと決心せる折であった。

ルーンは『ビスマルクは首相に登用せられて時局を切り抜けられて如何』と奏した。

けれども王の退譲の決意はすこぶる強い。

 

宮廷およびそれと連絡ある保守党の面々はあくまで王意を翻さしめんとした。というのは、もし王にして退譲し、王儲フリードリッヒの世となれば、新王は英人たるその妃の勢力の下に自由党の面々と握手すべきかとみ、それを恐れたからである。

けれども王の決心は強く、ついに王位退譲の勅書案もできあがり、親書を待つのみとなった。

 

陸相ルーンは重ねて王にビスマルクの擢用の要を奏陳した。首相ベルンストルフもそれが唯一の策なるべしと副奏した。

ビスマルクになお多少の不安を抱く王はしばし躊躇したが、ついに意を決し、『ともかくも一応彼を召見しよう』ということになった。

 

五 宰相となる

 

九月二十二日の早朝、ビスマルクはお召しにより参内した。

 

王はつぶさに時局の艱難を語られ、『朕は上帝と朕の良心および朕の臣民の前に是なりと信ずる方法が執られ得るに非ざる限り、統治の任に当たるを欲しない。…輔弼の大臣中、朕の意を挺身遂行せんとする者は一人も無い。朕は退位に決意した』と告げられた。

ビスマルクは王を慰め、かつ難関必ずしも切り抜け得ざるに非ずと信ずる旨を奏した。

 

王は『しからば卿に多数の反対党を排して軍隊の改造を遂行し得るの成算あるか』と問われた。ビスマルクは即座に『しかり』と断答した。

この一言を聞ける王は、『よし、しからば朕は卿の輔弼により、あくまで議会と戦うをもって朕の義務なりと信ず、朕は退譲せざるべし』と言い、即座に退位の勅書案を引き裂かれ、彼を促して共に庭園を散歩せられた。

 

その折王には懐中より時局に関する八頁の長大な所感書を出して彼に示され、現下の争点は自由党対保守党の対抗ではなく、実に王政対議院政のそれであると述べられた。ビスマルクは『陛下にはあくまで議院政治と奮闘せらるべし、臣は陛下の馬前に死するを辞せず』と激励の辞をもって奉答したので、王は欣然これを嘉納せられ、右の所感を裂いて溝中に投ぜられんとした。

ビスマルクは『もしその紙片が他人の目に留まると面白からず』とこれを引き止めたので、王は頷かれ、そのままこれを懐中に収められた。

 

けれども政局は依然混沌として定まらず、王の熱望する軍備拡張案―多く既婚の比較的老荘者にて組織するいわゆる国防軍はその兵数を減縮すると同時に、一般に青壮年を徴募して編成する常備軍は二年の服務年限を三年と改めかつその兵数を増加し、かくして軍の総兵数は依然旧の如くなるも、現役兵はこれにより四十万より七十万に増加するにし、かつ主として青壮兵の精鋭にてこれを編成するという案―に対しては、その老荘兵を減縮するという点において輿論の歓迎を期待したるものなるも、下院にては常備軍の服務年限を通じて二カ年に短縮するに非ざる限り否決するという態度を固辞して動かない。

 

陸相ルーンは多少の譲歩をなすの意あったが、参謀総長モルトケは右の拡張原案を絶対必要とし、王もこれを賛してあくまでその通過を希望する。けれどもなかなか希望通りにならない。

今は議会に対しクーデターを行うかはた陸軍拡張を中止するか、二社その一を選ぶに非ずんば時局を収拾し得ざる岐路に立った。

 

両者ともになすを欲せざる王は煩悶の挙句バーデンに去り、ビスマルクに親翰を寄せ、大いに失望落胆の衷情を吐露した。

ビスマルクは即座に還御を奏請し、車駕のベルリンに着するや、ただちに拝謁しておのれの決心を披瀝し、かつ『陛下願わくはカール一世の如くあれ、けっしてルイ十六世の如くなるなかれ』と奏上した。

そして王の知遇に感激せる彼は、同年十月八日普国首相の命を拝した。すなわち露仏に出使すること三年有半にして一躍首相の印綬を帯ぶるに至ったのである。

 

ウィルヘルム王は格別傑出したる人物に非ざるも、適材を適所におくに妙を得た人、と評したのを見たことがある。けだし中れるに近い。

鉄血宰相ビスマルク傳 9 ドイツ帝国建設へ、まずデンマークを討つ - 片山英一’s blog