lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

鉄血宰相

鉄血宰相ビスマルク傳 24 イタリアの思惑

この同盟条約は久しく秘密に伏せられてあったが、調印後8年有半を経たる1888年(明治21年)の2月、両国政府はその内容を半官的に発表し、殊に先の大戦以後、独墺両国にて幾多の秘密外交文書が直接間接に公表せらるるに及び、その条文は明瞭となった。…

鉄血宰相ビスマルク傳 23 転じて独墺同盟

六 三帝同盟立ち消えとなる されど、この危機に際し列国外交家の観測し得たる欧州の情勢は外でもない、即ち独墺露三帝の親交、殊に独露のそれも、以って仏国を圧迫するの具に供するに力たらざりしことを証明した一事である。 のみならず墺露間における前述の…

鉄血宰相ビスマルク傳 22 列国の態度を看破

あまつさえ、独仏両国民の反感は戦後ますます高まるの状であった。 ビスマルクもチエールも衷心平和の維持を望むに切であったが、これを望めば望むほど、両国民の猜疑は却って長ずるのみであった。 仏国の朝野政治家は、戦後の仏国はその内面的組織を改造し…

鉄血宰相ビスマルク傳 21 仏国の早き回復に驚く

四 その難関 けれども独露墺三国間には、眞個の同盟を構成せしむるまでには至りかねる困難の事情あった。 もっとも1873年の5月、墺都校外のシェンブルン宮殿において三帝間に一の黙契が成立した。これが世上three emperors’league と称されたものである…

【久々更新、今後も順次】鉄血宰相ビスマルク傳 20 これ言わば一種の神聖同盟

三 先ず独露墺の三帝同盟を試む しかるに国外を見れば、戦敗の仏国においては、少なくも表面には復讐熱が頗る高く、ア・ロ両州奪回熱は極めて強烈で、従ってドイツにあきたらず他の列国は、いずれも仏国の援助を無条件にて得ることのできるような形勢であっ…

鉄血宰相ビスマルク傳 19 新帝国建設後の対外経綸

一四 統一の大業は平和的経綸の一手段 第五章 新帝国建設後の対外経綸 一 列国の畏敬の焦点となる ニ 不和と現状維持の要 一四 統一の大業は平和的経綸の一手段 ドイツ帝国はかくの如くにしてビスマルクの胸算を追うてついに成り、爾来欧州国際政局の上に要…

鉄血宰相ビスマルク傳 18 普王、ドイツ皇帝の冠を戴く

一一 講和漸くにして成る 十二 普王ドイツ皇帝の冠を戴く 十三 議会における講和報告演説 一一 講和漸くにして成る 戦局はパリの開城とともに大段落を告げた。まず二月二十六日正午を限りとする休戦の約成り、四月二十一日、ビスマルクは仏国全権チェールと…

鉄血宰相ビスマルク傳 17 お話にならず

一〇 作戦上の優劣お話しにならず 外交関係がかくプロシアにとりて有利であったに加え、作戦上の優劣に至りては、普仏両軍の差異はほとんどお話しにならなかった。 仏軍は装備において欠陥だらけで、その堂々たる軍団中には、単に紙上の軍団で実態にないもの…

鉄血宰相ビスマルク傳 16 新聞操作術

八 仏国の宣戦と列国の態度 九 ビ公の新聞操縦術 八 仏国の宣戦と列国の態度 七月十五日、仏国議会にては首相および外相の悲憤慷慨の演説の下に動員に伴う経費支出の要求があり。上院は全会一致、下院は大多数にてこれを可決した。 越えて十九日、仏国はプロ…

鉄血宰相ビスマルク傳 15 エムスの電信

六 惜しむべし進退度合を失す 七 エムスの電信 六 惜しむべし進退度合を失す しかるに惜しむべし、仏国政府には愼思熟慮の外交家に欠けておった。 外交には進退の度合いが切である。進むべきところまで進み、既に目的を達したならば、そこで踏みとどまるとい…

鉄血宰相ビスマルク傳 14 仏国の大抗議

五 仏国の狼狽および大抗議 スペイン側では、レオポルドがいったん辞退したので、ちょっと他の候補者を求むるに困ったが、彼再考の末承諾したということになったので、一八七〇年の六月十六日、改めて再び正式にこれを候補者に推挙し、レオポルドは同月二十…

鉄血宰相ビスマルク傳 13 スペイン王位継承問題

二 対仏開戦の最好時機 三 ベルギーを餌に英国を怒らしめんとす 四 スペイン王位継承問題 二 対仏開戦の最好時機 このルクセムブルグ問題以来、ナ帝のビルマルクに対する反感は加わり、ドイツを一つ討伐してやろうという気も萌し、密かに伊墺両国を説いて対…

鉄血宰相ビスマルク傳 12 いよいよフランス

第二項 七〇年役の外交運用 一 いよいよフランスの順番 かくの如くにして北ドイツ連邦はプロシアの統御の下に成り、ビスマルクの大業はその一部の成功を告げた。けれども、そはわずかに一部で、全部の目的はいまだ達しない。なぜならば、南ドイツのバーデン…

鉄血宰相ビスマルク傳 11 ナ帝まんまと罠に、対墺講和の苦心

七 刺客に襲わる 八 オーストリアの激怒、開戦、大敗 九 ナ帝まんまと罠にかかる 一〇 対墺講和の苦心 七 刺客に襲わる 程なくビスマルクは、ある日(五月六日)の正午頃、ベルリンのウンテル デン リンデン街を歩して官邸に帰らんとする折、一期狂漢は突如…

鉄血宰相ビスマルク傳 10 第三国牽制の苦心

五 次はオーストリア 六 第三国牽制の苦心 五 次はオーストリア 次はオーストリアの討伐である。 前にも述べた如くビスマルクの生まれた一八一五年という歳には、欧州外交史上に一時期を冠せる有名なるウイーン会議があった。 この会議の牛耳を執れるオース…

鉄血宰相ビスマルク傳 9 ドイツ帝国建設へ、まずデンマークを討つ

一 天の下せる一大経世家 二 胸中に立てたる大方針 三 まずデンマークを討つ 四 開戦の由来と結果 第四章 ドイツ帝国建設の大業 第一項 大業遂行の順序方法 一 天の下せる一大経世家 十九世紀の後半の欧州歴史の上において、国際政局上の顕著なる一大現象と…

鉄血宰相ビスマルク傳 8 宰相となる

四 ベルリンからの急電 五 宰相となる 四 ベルリンからの急電 彼はパリに在任すること三カ月。折しも同一八六二年の九月、彼はプロシア国内の政界の波瀾を冷眼視しつつスペインとの国境に近きビアリッツの海浜に悠々自適し、大西洋の清澄な空気を満喫して同…

鉄血宰相ビスマルク傳 7 露~パリに転任

第三章 遣外使臣から宰相へ 一 露都に出使す 二 入閣の叡旨を辞退す 三 パリに転任 第三章 遣外使臣から宰相へ 一 露都に出使す ビスマルクはフランクフルトに在任するの間において、宮廷より時々国務上の諮詢に接し、ベルリンとの間を往復すること何十回な…

鉄血宰相ビスマルク傳 6 墺太利の関税同盟加入の希望を排斥す

五 墺太利の関税同盟加入の希望を排斥す 六 パリに遊びナ帝と意見交換 五 墺太利の関税同盟加入の希望を排斥す ドイツ関税同盟なるものはもと一八二八年にプロシアとヘッセ公国との間に協定せられたのを嚆矢とし、一八三四年に他の連邦若干これに加わり、漸…

鉄血宰相ビスマルク傳 5 墺太利の尊大を挫く

四 墺太利の尊大を挫く 当時墺太利(オーストリア)は、ドイツ連邦中にありてプロシアに勝るも劣らざる有力の地位を占め、また隠然他連邦を圧しておのれ独り権勢を欲しいままにせんとするのがいがあった。 連邦参議会においても、墺太利はその発言することに…

鉄血宰相ビスマルク傳 4 神権政治論で名を政界に知らる

一一 良配偶を得た 第二章 国政に参与 一 地方議会連合会議から振り出し 二 神権政治論で名を政界に知らる 三 連邦衆議会にプロシアを代表 一一 良配偶を得た 丁度その頃のこと、彼はある日友人の家で一佳人をみそめた。格別美人というのではなく、顔は薄黒…

鉄血宰相ビスマルク傳 3 外遊から帰りドイツが田舎臭く見ゆ

七 外交官を志して成らず 八 司法官としてすこぶる不首尾 九 兵役を了へ田園に帰る 一〇 外遊から帰りドイツが田舎臭く見ゆ 七 外交官を志して成らず 彼は一八三五年、齢二十にしてベルリン大学を出づるや、腕力得意なるも服従とか規律とかをその頃はなはだ…

鉄血宰相ビスマルク傳 2 制御し難き放縦の一書生

三 幼児の教育 四 乱暴大学生の一領袖 五 相親しき学友 六 制御し難き放縦の一書生 三 幼児の教育 オット ビスマルクは兄妹姉妹合わせて六人で、おのれは第四男である。 父は彼が二歳のとき、ポメラニア州のクニホフ村に移りて質素に暮らしたので、彼も幼少…

鉄血宰相ビスマルク傳 1 時勢は一世の偉人を産む

正義人道なり国際協調なりが外交の基調と謳はるるに至った今日、今さらビスマルクの傳でもあるまい、と人或いは貶すかも知れない。 何故にしかく貶すかと試みに反問すれば、ビスマルクは権謀術数ををこれ事とせる旧式外交の代表であるが故と多分答ふるであろ…