lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

鉄血宰相ビスマルク傳 15 エムスの電信

 

六 惜しむべし進退度合を失す

 

しかるに惜しむべし、仏国政府には愼思熟慮の外交家に欠けておった。

 

外交には進退の度合いが切である。進むべきところまで進み、既に目的を達したならば、そこで踏みとどまるという大勇が肝要である。

勝ち戦で図に乗って進み、ついに進み過ぎるのは、克己の大勇に欠けたる意志の弱き証で、ために退路を断たれて全滅に陥るが如き不手際を演ずる。当年のナ帝はすなわちそれであった。

 

ナ帝は外交戦で一時有利となった。しかしてホーヘンツオルレン家の一王族がパリ政府の抗議のためにスペインの王につくを得なかったということになれば、ナ帝の列国外交の上における威勢は大いに加わるわけである。

もちろん仏国が当時この点において抑損すれば、それにて開戦はこれを見るに至らないで済んだか否かは大なる疑問である。けれども、ナ帝はそれらの識別なく、ますます図に乗った。
 

彼は外交戦が有利に展開してきたので、自ら抑損するを知らず、図に乗ってますます進み、ついに進み過ぎてしまった。これがナ帝に大勇なく、輔弼の臣に明智が欠けたところである。

当年の仏国の外交は、愼慮なき外相グラムモンや虚栄に富める皇后ユーゼニーに左右せられ、眞個の統一ある外交はなかった。

 

七 エムスの電信

 

外相グラムモンは下院の帝政党の分からず屋に動かされ、ますます図に乗り、重ねてベネデッチに訓令し、再びプロシア国王に謁見し、王は今後ホーヘンツオルレン家の王族推挙の問題が復活するが如きに際しても、決してこれに同意せられまじきこと、かつこのことを文書をもってナ帝に誓約せられたきことを申し込ませた。

 

いかに温厚のウィルヘルムでも、そんな誓約に応じ得るものでない。

 

七月十三日、ベネデッチが普王に謁してこれを要求するや、王は鄭寧に、しかも明瞭にこれを拒絶した。

この始末を王の侍従長アベケンは時を移さずベルリンのビスマルクのもとへ秘密に電報した。

この電報の文句は極めて大切な関係のあるもので、すなわち左の如くである。

 

『陛下には小官へ左の如く宣われたり、ベネデッチ伯は朕の散歩中、しつこく朕に対し、他日ホーヘンツオルレン家より候補者を出だす問題起こることある場合において、朕の断じてこれに承諾を与えざるべき将来の約束を得てこれをパリに電報するの允許を得たしと結局要求せり。朕はこの種の約束はこれを将来に盟うべからず、かつ盟うあたわざるものなるが故に、やや厳粛にこれを拒絶せり。もちろん朕は彼に、朕は未だ何ら別に聞くところなき旨を語れり。彼は、パリおよびマドリッドに関しては朕より早く消息に接しおるべきが故に、朕の政府が本件にこの上何ら関与しおらざることは彼疾く承知しておりはずなり。

陛下にはその後レオポルド公より一封の書簡に接せられたり。陛下には同公よりの消息を待たれつつありとベネデッチ伯に告げられ、しかして前記の要求に関しては、ユーレンブルグ伯および小官の意見に基づき、この上ベネデッチ伯を引見せられず、申し述ぶるべきことは侍従武官をして同大使に伝達せられるべきことに決せられたり。しかして陛下には、同大使が既にパリ筋より得たるところの情報をレオポルド公よりも確かに入手せられたるにつき、この上同大使に何ら語るべき必要をみとめられずとのことなり。

ベネデッチ大使の右の新要求、および陛下の拒絶の次第を直ちに我が在外使臣に通報しおよび新聞紙に公表すべきや否やについては、陛下には一にこれを閣下の裁量にゆだねる』

 

この電報はウィルヘルム王の命によりエムスからビスマルクに発せられたもので、王の親電とみるも妨げない。

 

侍従長からのこの電報は、ちょうどビスマルク参謀総長モルトケおよび陸軍大臣ルーンと会食し、彼が前述の如く辞意を両将軍に打ち明け、両将軍より切々その不可を言われ、一度打ち沈んでおれる際に届いた。

ビスマルクは反覆これを熟読した。

両将軍も黙読した。

 

三個の英傑しばらく黙考の末、ビスマルクモルトケに作戦計画に対する確信如何について念を押した。将軍は確信ありと肯定した。ビスマルクは重ねて砲火を開くの時機について念を押した。将軍は一日も早きに利ありと確言した。

そこでビスマルクはちょっと食卓を離れ、そばの小机を引き寄せ、鉛筆を取り出し、右の二百有余語の電信を半分以下に省略し、文句を変更せざるも意味に自然変調を与えることにした。

すなわち左の如く縮められたのである。

 

『仏国政府がホーヘンツオルレンの一王族の王位継承の候補を断念せる旨スペイン政府より公然の通牒に接したるのち、仏国大使はエムスにおいてさらに一歩進み、プロシア国王陛下に対し、今後ホーヘンツオルレンの一王族の候補問題が再起する場合においても将来長しえに決してこれに同意せざるべきことを誓約せり、とのことをパリに電報するの允許を得たしと要求せり。陛下にはここにおいてか仏国大使を引見することを拒絶せられ、侍従武官をしてこの以上同大使と何ら商議すべきものなき旨を彼に伝達せしめられたり』

 

かく省略改竄して、ビスマルクはこれを両将軍に示した。

 

モルトケは『これで別の音が聞こえる、あたかも挑戦に応ずるラッパのように』と言って賛成した。ルーンもまた同じく賛成した。

ビスマルクは即時新聞電報としてこれを公表せしめた。

 

そもかく省略せるこの電報においては、国際政局の上に権勢なお赫々たる仏帝ナポレオン三世の代表者たるベネデッチ大使その人が、今やプロシア国王より門前払いを食ったということになる。

故に電報が新聞紙を通じて公表せられた暁においては、激怒しやすき仏国民は真っ赤になって怒ったのは当然である。

 

しかしてプロシア国民も仏国大使が我が国王陛下に無理難題を吹きかけたというので、無礼な仕打ちとして憤り、急に敵愾心が高まったのもまた当然である。

 

ビスマルクはかく普仏両国民双方を敵愾心の衝突におびき出し、まんまと目的通り開戦の危機を一足飛びに作り上げた。

 

その心術の良否は別とし、ともあれレオポルドの辞退によりて外交戦の旗色の悪くなったビスマルクは、最後の瞬間において形勢を挽回した。

仏国が思慮なく突いてきたその手を逆に取りて相手の神経に敲きつけ、仏国の戦意を挑発し、主客顛倒で形勢を一変せしめたのである。

仏国のグラムモン外相は好んで和戦の管やくをビスマルクに渡してしまった。

鉄血宰相ビスマルク傳 16 新聞操作術 - 片山英一’s blog