lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

鉄血宰相ビスマルク傳 24 イタリアの思惑

この同盟条約は久しく秘密に伏せられてあったが、調印後8年有半を経たる1888年(明治21年)の2月、両国政府はその内容を半官的に発表し、殊に先の大戦以後、独墺両国にて幾多の秘密外交文書が直接間接に公表せらるるに及び、その条文は明瞭となった。

同盟条約の要旨は、一、ドイツもしくは墺匈国の一方が露国より攻撃を受くる場合には、他の一方はその全力を挙げてこれに援助を与うべく、講和も締盟国双方合意の上にてこれを為すこと、二、締盟国の一方が露国以外の国より攻撃を受くる場合には、他の一方は好意的中立を守ること、ただし該攻撃国を露国が援助する場合には、他の一方は前段と均しく全兵力を挙げて援助し、講和も双方合意の上にてこれを為すこと、というにある。

即ちこの同盟条約により、まず以ってドイツは安易して仏国の復讐戦に備えることを得るに至った。

ドイツはこれにより独仏開戦の場合に、従来ややもすれば、仏国のために一肌脱ぐべきかとの懸念ありし墺匈国をして、今後は好意的中立を厳守せしめ、更に露国にして仏国を援助するに至る場合には、墺匈国を公然己の味方に立たしめて共同仏露両国に当たらしむるの保障を得たるに於いて、その国防上の位地は一段の固きを加えたのである。

また墺匈国に取りても、その唯一の擬想敵国たる露国より攻撃を受くる場合には、初めより当然ドイツの援助をきたし得ることとなったのである。

即ちドイツを後援としてバルカン政策に一歩進むるを得るに至ったわけである。

本条約は右締結後四年有半を経たる1883年3月、その有効期間を1889年9月まで延長し、しかして該期限に先立つ二カ年前の第一月に於いて、両締盟国のいずれかよりも条約の基礎事態が引き続き存続するや否やについて商議を発議せざる場合には、更に3年間を有効期間として当然延長せられたるものと看做すべしとの協定ができた。

しかるに爾後所定の期間内に於いて右商議の発議なかったので、従って本条約は当然1892年10月まで有効となったことは疑うの余地ないが、1892年10月以後については、如何なる方式に於いてその効力の継続を行うべきかを公的に協定したるかは明瞭を欠く。

けれども1902年6月、独墺両国政府は相議し、本条約は自今毎3カ年の満了に先立つ2年前の第一月に於いて何らの提議なきについては、当然次の3年間その効力を自動的に継続するということに決し、即ちその更生または廃棄に関する何ら提議亡き限り、事実に於いて永久的の同盟となったのである。

 

八 伊国の思惑

 

されどビスマルクは、なおこれを以って満足しない。

欧州の平和を確実に維持するには仏国をあくまで孤立の位地に置くを要し、しかして仏国を孤立せしむるには仏伊両国の間に一大溝渠を築かしむるを要すと為し、伊国の仏国に接近するのを妨げるに苦心した。

当時伊国にありては、仏国がかねてイタリー統一のことに多少力を添えたのを恩に着せ、ややもすれば親分顔するのを不快に感ずる者が少なかった。

のみならず伊国人の間には、カトリック教国たる仏国はローマ法王を助けて不利を伊国に計りはしまいかという憂惧の念もあった。

はたまた仏国のチユニス占領は伊国の北アフリカに於ける植民地経営の将来に脅威を与えるという関係もありて、すなわち伊国はその内外の政策上、仏国を制するにむしろドイツの力を借らんと欲するの念を抱き、進んでドイツと提携するをも辞せずという意向が伊国の有力なる政治家の胸中に萌した。

また墺匈国政府内にありても、自国の利害のややもすれば衝突せんとするの虞ある露国を努めて孤立せしめ、万一露国と衝突する場合にも、伊国をして自国の背後を衝くことなからしめんがため、寧ろ伊国と固く相結ぶに利ありと為す政治家もあった。

伊の独に傾くことかくの如く、また墺の伊に力寄らんとするの情もまたまんざら無くもなかったので、ビスマルクは当初は伊国の誠意に少なからず疑いを挟んであまり気乗りもしなかったが、伊の独に頼らんと欲するの情切なると、墺の伊と結ばんと欲するの念また浅きに非ざるを見、即ち伊国を独墺同盟に加えて欧州の中原に一大三国同盟を樹つるの利あるを認め、この方針に向かって更に画策を進めた。