lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

【小説連載】刑事堀部(27)~りぃ その6

つまり差し違えてでも殺してやる、ということである。

飛び掛かり、ポケットにしまったヘアピンで刺し殺す考えだ。

うまくいけば銃を奪って殺してもいい。

篤志にとっては、ごく単純で完璧な計画だった。周りの他人には、まったく無謀なそれだった。

篤志は自分がやらなければ、という使命感にかつてないほど駆られていた。その目で初めてソ連人を見たとき、ぐぐっと殺意が膨らんだのだ。サエの父がいると知り、

……守りたい。

殺意はさらに強大になった。

今、隻腕で戦場に出れない自分の代わりに、帝国軍人たちが戦ってくれている。その敵兵の一人がここにいるとは。

国のため、一人でも多く奴らの数を減らしてやるのだ。

 

工作員は銃を構え、煙草を飲み悠々としている。

すると、人質から一人の女の腕をつかみ、金庫室の外へ引っ張った。女は声も出ず、恐怖と絶望から助けを求める瞳をしたが、誰も何もできなかった。それがまた、篤志の殺意をかたくなな魔物にした。

篤志の異変に気付いたのが2人いた。一人はサエの父、一人は支店長だった。

特に、この支店長は今日1日辛抱すれば命は助かると信じていただけに、篤志に無謀な行動は起こしてもらいたくなかった。工作員の前でそれを直接伝えることはできなかった。彼は工作員のいない今が好機と思い、奴の狙いと自分の本意とを金庫室の人たちに明かした。

しかし、みんなの反応は到底、彼が期待したほどのものではなかった。比較的落ち着いて話を聞いた者たちは信じず、動揺と怯えが強い者たちは、そもそも話が耳に入ってこなかったのである。この支店長は頭こそ良かったが、他人を説得する能力にはやや欠けていた。

しばらくして工作員が戻ってきた。女は股から出血していた。

とうとう、篤志が叫んだ。

「あああ!」

そして……。

 

 

「何たることだ……」

署長は嘆いた。

銀行に突っ込んだトラックのほろの中をのぞき、現実を受け入れたくない気持ちで首を振った。

そこには死体が3体。

一つは玉田高太郎、もう二つは玉田の死体を明け方回収に行った警官2人だった。

「その男は大丈夫か?」

署長は担架に乗せられた楡井を見て、部下に聞いた。

「命に別状はないようです」と、いうことである。

銀行の奥から、また1体の死体が、警官に引きずられて出てきた。車に乗せられる直前、篤志がこの死体に唾を吐いた。

「やめなさい」

署長に注意され篤志は舌打ちする。

「けがはないか?」

今度は心配され、

「ちっとも」と答えた。

銀行から、拘束されていた行員と客たちもそろそろと出てきた。みな血の気が引いた顔をし、警官が話を聞こうとしても誰も口を開かなかった。

「今は錯乱状態だろう」

署長は理解を示し、現場での事情聴取は遠慮した。

篤志は自分より、楡井の容体をひどく心配した。楡井を乗せた車が病院へ向かうと、神は信じてなくても祈るような視線を送った。

 

翌朝、無事退院した楡井は篤志を訪ねようとした。全快ではないが食欲は結構ある。

……あいつめ、見舞いに来なかったな。

恐らく、サエとかいう娘の見送りを優先されたと思い、正直ちょっぴり淋しかった。けど、まあ若い男女だ、仕方がない。

……せめて飯をご馳走になろう。また貸しができるな。

そんな打算をもって、家の前まで来たら偶然、堀部と出くわした。

2人に面識はない。ただ堀部は谷山から、署で起きたスパイ騒動での彼の活躍について聞いていて、風体から相手を察した。楡井も篤志が頼りにする刑事の特徴は覚えていた。背が低く、白髪頭である。

楡井は普段警察には絶対見せない社交性を絞り出し、

疎開の手伝いに行ってたのでは?」と、尋ねた。堀部は、まあいいかと思い、

「昨日の銀行の件で調査に呼ばれたのです」

楡井はどきっとし、「あの、俺」

「知っていますよ。勇気ある行動でした」

「はは」

「ただ、もし君が破った扉の裏に人がいれば、巻き添えがあったかもしれない。そこは考えてもらいたいね」

楡井は「へへへ」と肩をすくめた。

楡井は篤志の家の戸を開けた。戸を叩くなど煩わしい作法は省き、勝手知ったるが如く中に入るのが彼の作法である。

篤志は狭い部屋で布団をかぶり、静かに横になっていた。

「まだ寝てんのか?」

楡井は無理矢理起こそうとしたが、後から来た堀部が異変に気付き、彼を制した。

「すぐ医者を」

それからこの晩、病室の外で待つ堀部に医師が告げた。

堀部はうなずいた。

病室では、楡井が篤志の亡きがらに抱き付き、泣きじゃくった。

「馬鹿野郎……うぅ……」

彼は篤志より10ほど年は上だったが、まるで同い年、時には篤志の方が年上のような関係であった。

「お前がいなくなったら、話相手もいねえじぇねえか」

まだ温かい篤志の顔は、穏やかにも見えたし、無念そうにも映った。

「……後悔はしてねえ」

熱に侵されても、そうつぶやいていたが、「見送りには行きたかったな」なんてぼやいていた。この時点で、彼だってまだ生きられると思っていたはずだ。

昨日。

疲れた篤志はサエの見送りに向かう前、一度家に帰り、横になった。そこで高熱を出した。

実はソ連兵に襲い掛かった時、銃で撃たれていたのだが、警察には黙っていた。弾はかすめた程度だったし、1発撃たれたくらいで彼は弱みを見せたくなかったのだ。

……島の水で洗っておけば大丈夫。

この素人判断が傷口の具合をより悪くした。包帯でぐるぐる巻きにした脇腹の傷はひどく膿んだ。

「亡くなりました」

こう医師から告げられる前、この日の堀部は昨日銀行で起きた事件を捜査し、全体像を把握していた。病院の篤志も証言してくれ、他の誰より説明が上手だった。このとき、まさか彼が亡くなるとは考えてもいなかった。

あのソ連兵の目論見は外れた。今日、8月14日も依然町は帝国のものである。

確かに、ソ連軍の南下の勢いはすさまじく、樺太全土の掌握も間近だったろうが、帝国は踏ん張り、今日掌握が完了するほどではない。

これは警察も終戦後に分かったことなのだが、ソ連側には誤解があった。

彼らは本土にいるスパイの情報で、あの銀行の支店に政府や軍などの隠し資産があると勘繰り、軍の将校が工作員を送り込んでいた。

それは帝国が流した偽情報だった。ソ連側も情報戦では一部踊らされたのだ。

そこまでは知る由もなかった堀部だったが、一つ、篤志たちの証言から嘘を見抜いていた。

「殺ったのは俺」

篤志も、複数の銀行員や客らもそう証言したが、あのソ連人の死体は、顔はもとより全身打撲だらけ、まさにぼろ雑巾のようであった。

……一人の仕業でない。

堀部にはそう思えてならなかった。

ただ、彼は深く追求しなかった。敵とはいえ、軍がらみの事件で警察がむやみに指揮権を発動すべきでない。やるなら軍法会議でやればいい。彼はそう正当化し、篤志が亡くなった事実を受け入れようとして目頭が熱くなった。

病室の楡井は涙を拭い、篤志の一つ一つを思い出した。

出会ったころ、共にした悪さ、樺太へ来た日、そして……。

「借りも返してもらえそうだ」

楡井は篤志の左腕をつかみ、頬をなでた。

「ありがとう、りぃ……」

何度も何度も頬をなでた。

 

同じ晩。

警察での事情聴取の帰り、あの支店長は一人夜道を歩いていた。

彼は後悔していた。

後悔が頭を叩き割りそうだった。

あのとき、あの篤志という青年が銀行の裏口から入ってきたとき、彼と共に逃げ、助けを呼びに行けばよかったのだ。

今もまだ、ソ連軍に占領されていない町を見て、自分の選択が過ちだったのは明らかに思えた。ただあの場はどうしようもなく、ソ連人に印象を良くしておくべきだと、そう判断してしまったのである。

彼は自分を責めるのと同時に、違う違うと首を振った。そこで見回り中の警官に呼び止められた。

「……さん、ですね」

「……?」

警官はすぐに走り去り、遠ざかる足音だけ耳に、支店長は両膝を突き、やがて倒れた。

徐々に血だまりが広がった。

彼は聞かれれば何度でも答えたはずだ。ソ連人に協力したのは、

「心から同胞を助けたい一心だった」と。

後々になり理解してくれる者はいたが、今夜は運が悪かった。

彼を刺した警官は、ソ連人に犯された女の兄だった。

 

続く