lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

鉄血宰相ビスマルク傳 5 墺太利の尊大を挫く

四 墺太利の尊大を挫く

 

当時墺太利オーストリア)は、ドイツ連邦中にありてプロシアに勝るも劣らざる有力の地位を占め、また隠然他連邦を圧しておのれ独り権勢を欲しいままにせんとするのがいがあった。

連邦参議会においても、墺太利はその発言することに他連邦をしてことごとく服従せしめんとし、おのれに反対する者は許さないで、時には陋劣なる犬讐手段を執ることもあった。

当時他の連邦所代表の子弟にして墺太利の軍隊付となりおる者も少なからずあった。

 

そこで、それらの代表者にして墺太利の意図に迎合すると、彼らは隊にて昇進するが、もしこれに反する態度を執り、墺代表者の意見に反対でもすると、その子弟は田舎の不便な隊などに遠謫されてしまう。それが苦しいから、それらの子弟はおのれの父兄に向かってどうぞ墺代表者のご機嫌を取ってくれと情願する。

ビスマルク彼自身も、墺太利政府筋から年金散3万ターレルにて買収方を持ち込まれたことがあるそうだ。

 

これらの話はホーヘンローエ公の回顧録(第二巻第六四頁)にビスマルクの直談として記されてあるのだから間違いあるまい。
 

当時連邦衆議会の議長は、墺太利のツーン伯である。

伯はビスマルクが当時評して『予は伯に伺候して敬意を表したること幾回なるを知らざるも、伯からは、たった一回名刺一枚を送られたのみだ。彼は客に椅子を与えず、おのれ独り座して喫煙する。予は耐忍の試験のつもりでこの人を議長に戴いている』と言えるが、伯の倨傲不遜は、その武性によるよりもむしろ尊大の墺太利を背景に有するその余影であった。

 

ツーンは右にあるが如く、客と対座する間においても、客に煙草を与えないでおのれ独り喫煙する。会議の禁煙席上においても、彼のみは遠慮なく喫煙する。

これを見たるビスマルクは心憎しとや思いけん、一日ツーンのみが傲然芳煙を燻らせる折、おのれも懐中から葉巻を取り出し、進んで議長席に到り、『どうぞ火をちょっと拝借』といった。

 

ツーンも同僚も、ビスマルクの傍若無人の態度に驚いた。ビスマルクは一向お構いなく、ツーンの嫌々出したマッチで火を点じ、議席に戻りて同じく傲然喫煙した。同僚の各員今は遅れじと同じように皆喫煙をやり出した、とは有名の話である。

 

伯は程なく何かの都合でウイーンに召還せられ、ベルリン駐箚の墺国公使ブロケッシュ・オステン伯がこれに代わった。彼は教養あり品位ある外交家で、ビスマルクとの折り合いも善かったが、その幕僚のレッヒベルグ伯というのはプロシア嫌いで有名な人で会ったから、自然ビスマルクと反りが合わない。

果たしてある時両人議論の上で衝突した。

 

レッヒベルグは、議事録を墺太利の都合のよいように書き下し、そしてある時『この議事録にして正確ならずとせば、予は嘘つきということになる』と得意に語った折、ビスマルクは、すかさず『正にその通り』とやった。列席の諸員手に汗を握った。

 

するとレッヒベルグは侮辱せられたと感じ、直ちにビスマルクに決闘を申し込み、付近のボッケンハイムの森に行って闘わんと言い出した。

 

ビスマルクは即座位にこれに応じ、『ピストルの撃ち合いならばこの庭でたくさんだ、何もそんな遠方まで出張するに及ばない』と言って、議場の裏庭でやることに決めた。

そしてビスマルクは、直ちに書類の整理に着手し、かつ本国政府へ報告のためとして争点を記録し、これをレッヒベルグに示して果たしてこの通りで誤り亡きかと念を押した。伯は手に取りてこれを熟読し、『足下の所論に理がある、これでは決闘するの価値もない』と言った。ビスマルクも『無論の話だ』と答えた。それで決闘は立ち消えとなった。

 

憤激しても冷静を失わないのは、ビスマルクの少壮時代よりの一特色であった。

 

ビスマルクは、連邦衆議会に赴くまでは必ずしも墺太利を極度に苦しめるほどの強い考えは無く、ただプロシア墺太利と同一の地歩に引き上げるという希望を有したくらいであったが、着任後墺太利代表のかかる態度に接するとともに、彼は墺太利をますます嫌うようになった。

ただに感情から嫌うのみでなく、墺代表のいたずらに尊大に構えてしかも不信義、不誠実を反覆演じ、恬として恥じるところなきを見てこれを憎むようになった。

 

彼は尊大なる墺太利の鼻先を早晩力をもって挫いてやるにあらざれば、プロシアの将来の飛躍を覚束なしと感じた。

しかして墺太利を挫くには、露国の援助もしくは少なくもその好意的中立を固く握るのが必要であるを認めた。

 

かの一八六六年の墺太利の討伐、およびその際における対第三国外交運用は、かれ既にその時から深くこれを胸中に蔵した。

これは後に普墺開戦の始末を叙するところに譲るとし、ここには彼が墺太利のドイツ関税同盟加入の希望にとどめを刺した始末を略述するにとどめる。

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