lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

【小説連載】刑事堀部(33、最終話)~終戦 その6 

あらすじ

疎開者らの出港直前、堀部はサエの一言を機に、事件の真相に気付いた。しかし証拠はなく、彼は、みよ子だけに推理を話す。翌日、銀行の捜査で急きょ彼は呼び戻され、そこで篤志の死に立ち会う。
出港した船では、スミレがある光景を思い出した。それは、秘密が知れたと疑った則子を、逆に彼女が殺してしまった記憶だった。犯人はスミレだった。彼女はショックでその記憶を失い、かばったみよ子が、捜査かく乱のため死体に火を放ったのだ。記憶が戻ったスミレは絶望し、海に身を投げる。

戦後、サエは病院でみよ子と再会する。スミレは一命を取り留めたが、意識不明の寝たきりに。

島に残った堀部は戦死していた。

スミレの見舞いの後、彼女は、警察官になる夢をみよ子に明かす。

 

 

8月15日。

昼前、堀部は町の葬儀場に向かい歩いていた。

途中、道の反対方向からぱんぱんに膨らんだ大きなかばんを背負った男が1人やってきた。すれ違う手前で男の脚がよたついたので、堀部は支えてやった。

「随分と重そうですね。中身は何です?」

「現金なのです」

堀部は驚いたが、どうやら疎開が始まって以降、銀行で現金引き落としの需要が増え、急ぎ現金が必要な支店にはこうして自力で配送しているのだそうだ。この男は銀行員だった。

2人には面識があった。だから男はかばんの中身も簡単に明かしたのだ。あの銀行立てこもり事件の捜査員と、被害者の1人という関係である。

「自分にできることはこれくらいしか」

「お気を付けて。まさかとは思いますが、盗みにはご注意を」

男は笑って去ってった。このとき、2人とも胸騒ぎがあったが、あっさり忘れてしまった。2人とも目の前のことに疲れていたのだ。

そうして、この日。

前日の御前会議でポツダム宣言受諾を決めた帝国は国民に終戦を公表した。

降伏したのである。終戦の証書を一部引用する。

 

朕は茲に国体を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し常に爾臣民と共に在り 若し夫れ情の激する所濫りに事端を滋くし或いは同胞排擠互いに時局を乱り為に大道を誤り信義を世界に失うが如きは朕最も之を戒む 宜しく挙国一家子孫相伝え確く神州の不滅を信じ任重くして道遠きを念い総力を将来の建設に傾け道義を篤くし志操を鞏くし誓て国体の精華を発揚し世界の進運に後れざらんことを期すべし 爾臣民其れ克く朕が意を体せよ

 

しかし、樺太では15日以降もしばらくソ連軍との戦闘が続いた。

完全な戦闘停止があったのはいつか。ある者は「いつの間にか終わった」と話すと、ある者は「23日だった」と語り、またある者たちは「こんな負け方認められるか」と憤ったものだ。

 

そして……。

 

この日。

サエはやはり、聞くのをやめた。

「また来ます」

病室を出ると、みよ子に告げる。

「次来るときは、もっと立派な人間になって」

「なあに、目標でもあるの?」

「はい」

サエは耳を赤くした。

「私は……」

1948年7月某日。

この日の昼すぎ、サエは本土の病院で懐かしい人と再会した。

「能見先生」

「牧田さん。まだ、牧田さんよね?」

「はい。残念ながら。いいお相手が見つかりません」

「こんな素敵な女性を放っておくなんて、この国の男児も駄目よね」

にこやかな再会だった。

サエは一人で北海道に疎開後、本土の縁者を頼り、身を寄せていた。必ずしも歓迎されたわけではなかったが、どうにか学費は工面してもらい、

「今は大学に通っています」

と、近況を話した。

「島は、あれからどうでした?」

「大変だったわ」

みよ子は天井を見上げ、目を閉じた。

「戦いはまだ続いていたし……。私はまた疎開の船に乗ることができたのだけど……」

今にしてみれば終戦直前だった1945年8月13日。けれども、あの日の最初の出港以降、樺太から本土への疎開は日を追うごとに危険度を増していた。国籍不明とされる潜水艦に撃沈される船まであり、疎開できたのは、樺太庁の当初計画16万人の半分にも満たなかったのである。

撃沈されたのは逓信省所属の1船、海軍所属の2船であるが、乗船名簿が不明で死者・行方不明者の氏名は正確に把握されていない。一部の生還者らは「轟音を聞いたらすぐ水の中だった」、「子供の手を離してしまった」、「私は悪くない」などと証言したという。命懸けの疎開も23日に出たソ連の禁止命令により、同日停止された。

「私も、今こうしてるのが不思議なくらい」

「島に残った軍人さんたちはほとんど?」

「ええ、多くはソ連領へ」

ソ連は軍人だけでなく警察官も軍人と同一と見て、逮捕・抑留した。樺太庁高官、首長、判検事、事業経営者など島の有力者の一部は占領統治に協力させ、必要なくなると、やはり逮捕・抑留したのだ。

密航による島外脱出の企てにも、ソ連は厳しい監視の目を光らせた。出港前に捕まった密航者は投獄され、運よく海に出た者でも遭難や難破で命を落とす不運があった。

ところが、いつの時代どんな困難でも、まんまと逃げおおせる者はいるのだ。

その一人が楡井である。

彼は地元で腕のいい漁師を篤志にもらった金で丸め込み、漁船で脱出していた。

死ぬ気で操舵する漁師に向かって、楡井は呑気に笑い話をしたそうだ。

「俺の仲間に朝鮮人の男とこっちの女との間に生まれた、愉快な男がいたんだが、母親がとんでもなく目の悪い奴でよ。そいつによると、てめえの息子の片腕、ナタで切り落とそうとしやがったんだと。何でか分かるか?」

「さあね!」

「大根と間違えちゃった、だと! そいつは言ってやったんだ、お母さん、次からは自分の大根脚を切ってね、って。だっはっは!」

この話が真実かどうかは知らない。少なくとも漁師は信じなかった。楡井は余った金で金貸しを始め、念願の女房までもらったというが、これも詳細は定かではない。

一方……。

「あのお巡りさんも?」

サエは背が低い白髪頭を思い浮かべていた。

「あの人は……また違ったのよ」

ある病室に入ったサエは、目の前のベッドで横たわるスミレを見た。

「命だけは助かったのだけど……」

みよ子は眠ったままのスミレの額をふきんでそっと拭いた。あの日、船から飛び降りたスミレはすぐに救助され、一命は取り留めていた。もうじき3年にあるが、意識は戻っていない。

「お医者さんはこうして声を掛け続ていれば、いずれ奇跡が起こるかもって」

「……スミレさん」

彼女がなぜあんな真似をしたのか、サエは訳を知らなかった。看病を続けるみよ子なら理由を教えてくれたかもしれない。今日はそれを聞こうとの考えもあり、病院へ来たのだが、果たして事実を知って、それを受け入れられるかどうか、自信はなかった。もしあの、

「お巡りさん」

とスミレが呼んでいた刑事がいたら、彼女は彼に聞いただろう。樺太からの疎開前、あのハンカチをスミレから渡されたと話したことが、何か関係したのか。

しかし、ここに彼はいないし、スミレの件では彼も万能ではなかった。

見舞いを終えると、サエは告白した。

「……警察官になろうと思っています」

みよ子は驚いたようであったが納得し、

「あなたならやり遂げる」

みよ子に応援され、サエは心強かった。

正直、終戦後も毎日が不安で、気を抜くと足元が崩れそうな感覚があるのだが、かつての自分を知ってくれている人の励ましは素直に力となった。

「それにしても牧田さん。あなた、本当に恋人もいないの?」

「はい」

「気になる人くらいはいるのでしょう?」

「それはまあ、ちらほらとは。けど私、妙子さんたちのように長続きしない恋はしたくありません」

「気位が高くなったのね。うれしい変化だわ」

サエには好きな男性がいた。篤志だ。彼は島で亡くなったのだと、別の疎開者たちから聞いた。見送りに来られなかった理由も知り、胸は張り裂けるように苦しかった。時が経ち、今はどうにか受け入れられている。

これは、あの正美から聞いたことだが、実はスミレにも意中の男性がいたらしい。北海道に着いてから、サエは正美と思いのたけをぶつけ合い、ひとまず休戦したのだ。

正美によれば、その彼の名は安藤尊史。その名はサエにも覚えがある。スミレ発案の学校の催しに来ていた、軍人の一人だ。

ところでサエはもう気付いていたか。あのとき、尊史とサエが親しそうにしていたことが、スミレがいじめを始めた発端なのを。嫉妬だったのだ。

尊史の消息は今も知れない。樺太で戦死したか、生きていてもソ連に抑留されたはず。極寒のシベリアでの労役は過酷だった。そこで亡くなっていてもおかしくない。

「それではまた」

「さようなら。元気でね」

サエは病院を後にした。

外へ出れば、不幸や苦悩も多い世の中だったが、彼女には目標もあった。人生のお手本、反面教師だってさんざん見てきたのだ。これで生きられなければ、そもそも生まれてきたのが間違いになる。

「きっとできる」

サエが理想とするあのお巡りさんは、もうこの世にいなかった。みよ子によると、彼は1945年8月16日、帝国が終戦を公表した日の翌日、自ら志願して谷山のいる西海岸で戦ったらしい。本土の終戦後もソ連樺太での侵攻をやめなかったからだ。現地の戦闘被害は民間人にも及び、義憤に駆られた彼らから軍に協力する者たちも出て、戦闘は熾烈を極めた。ある日、ほんのわずかな戦闘の合間、谷山が持ち掛けた。

「お前の娘なんだがな。本土にいる従弟のせがれと、今度見合いしてやってくれないか」

堀部は即答した。「嫌だ」

この後20日に堀部、翌21日に谷山がそれぞれ戦死した。いずれも銃撃による失血死であった。

あれから3年。

サエの決意はまだ小さなつぶやきでしかない。しかし、さっそうと歩き続けることで、やがて彼女を本物にする。

そして翌年、8月某日。

ソ連領帰還者らを乗せた船が京都の舞鶴に入港した。尊史と、堀部の息子たちを乗せた船だった。

 

終わり

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