あらすじ
則子殺害の捜査は振り出しに戻った堀部。北海道への緊急疎開も始まり、彼は疎開者の誘導・警備のため捜査断念を余儀なくされる。
このころ、町では疎開者が集まる銀行で異変が。様子を確かめようと、銀行に潜入した篤志。そこでは、客と行員らがソ連人の人質になっていた。警察に知らせようした篤志だが、工作員に協力する支店長の裏切りで、彼も捕まる。
篤志の意識が戻ってきた。
「う……」
「大丈夫かい?」
まだ薄ぼんやりする意識の中、篤志は近くで心配してくれる男の人を見ようとした。
「あなたは、サエの……」
「大丈夫かい、篤志君」
男の人はサエの父親だった。
「痛むか?」
「へ、平気です」
「やりましょう」
小声でハッパを掛ける。
「相手は一人です。ここのみんなで飛び掛かれば」
サエの父も、近くでそれを聞いていた他の人たちも、表情をどんと曇らせた。
理由は篤志にだって分かりきっている。全員で飛び掛かっても誰かは死ぬだろう。それが恐ろしくて動けんのだ。
篤志の胸で無力な自分への悔しさが渦巻き、気分が悪くなった。すると、工作員が篤志をじろっと眺め、支店長にぺらぺらしゃべり、訳すよう命令した。
工作員は篤志の隻腕をからかったのだが、支店長はそのまま訳してはかわいそうと、
「家に帰りたければ、静かにしなさい」適当に話してみせた。これは篤志のためだけでなく、ここにいる全員のためを思っての配慮でもあった。
……ソ同盟が……。
篤志は奥歯をかんだ。
表では、篤志が出てくるのを楡井が裏口で待っていたが、彼はなかなか姿を見せず、楡井の不安は高まった。
……何かあったに違いねえ。
そう理解はしたが、どうするべきか。
篤志の後を受け、ただやみくもに飛び込むのはあまりに幼稚な行為と思われた。
そのとき、がしゃん、と裏口の扉の鍵が閉まる音がした。
「ああ!」
叫んだが遅く扉はもう開かない。楡井には篤志のような鍵開けの技術はなかった。
「りぃ……」
彼は決断した。
「こっからは俺のやり方でやる」
こう覚悟し、彼は手近な車を探した。銀行の裏口付近にはトラック1台が止めてあり、彼は駆け寄った。幸いにもドアはロックされておらず、鍵もそのままであった。
わざわざほろの中までは確認しなかった。
楡井は車を走らせた。銀行の周りをぐるっと周り、表通りに出ると、いったん止まってエンジンを吹かせた。
「どけえ!」
運転席から怒鳴り声を上げた。驚いた銀行前の人だかりが、一斉にトラックを向いた。
同じ通りにいた別の通行人らも何事かとぎゃあぎゃあ騒ぎ出した。
「どけえ! 死にたくなかったらどけえ!」
楡井は思いっ切り力んでアクセルを踏み込んだ。
一方……。
港の堀部はもやもやした気持ちで、集まってきた疎開者たちの誘導をしていた。
事件のことで、何かが出かかってる気がするのだが、正体をつかめないままでいる。
確かに、さっき出かかった気はしたのだ。
疎開輸送のための船舶には、本土との通常連絡船のほか、海軍の艦船、機帆船など近くで調達できる船はありったけ用いる計画である。船に乗り込むまでの間、島民らには岸壁で静粛にしてもらい、疎開証明書を確認するのが彼の役目だった。堀部がしばらく業務に集中していると、
「あの」と、呼ぶ声がした。
いたのはサエだった。
2人は互いに「お久しぶりです」と、挨拶した。堀部はにっこり笑い、
「先生はもう来てますよ」
彼女をみよ子たちのところへ案内してあげた。みよ子の周りには、教え子の女学生やその母親、兄弟姉妹などが既に集まっていた。
「牧田さん、こっち」
みよ子は手招きした。
「ここまで疲れたでしょう。少し休みなさい」
「はい」
サエはほっとひと安心し、その場に腰を下ろした。
彼女には、みよ子がこのところ自分に優しくなった気がしていた。以前は何かと口やかましく、勉強に向かう姿勢や生活態度などを注意されていた。今でも注意されないわけではないが、その頻度ややり方は柔和になった印象がある。
サエは思い切って理由を聞いてみた。普段のサエにはあまり見られない大胆な行動だった。半日歩いて汗をかき、気が興奮していたこともあっただろう。何より、本土へ行ったらもう会えないのではないか、そんな淋しい気持ちが、彼女を積極的な生徒にした。
みよ子は少し戸惑い、
「あなたも成長しているからよ」
成長。
この言葉がサエにはとても美しく、生き返る心地もした。
そんな2人の様子を遠巻きに見ていた堀部は、2人が実の姉妹か親子のようにも思えた。親子はみよ子に失礼だったろうが、それだけ近しい人間関係を2人に感じた。他の生徒らとはどこか違ったものだった。
……あの2人とはもう一度話しておきたい。
堀部は珍しくこう思い、また、やるべき職務へと気持ちを集中し直した。
もやもやした気分はまだ消えていなかった。
「う……ん」
運転席で楡井はもうろうとした。トラックごと銀行へ突っ込んだのである。
騒動に当然人が集まってきた。楡井は気絶寸前だったが、銀行の出入り口をぶち破ったのには満足し、気絶する前に篤志が出てくるのを期待した。しかし、ぶち破って入った銀行の窓口前の広間には誰もいなかった。既にソ連の工作員と、その人質たちは地下の金庫室に移動していたのだ。
そうとは知らない楡井は、自分の行為が無駄だったのだけは理解し、自嘲気味に笑い、ぼてっと気絶した。
地下室では、篤志も決意していた。
……何が何でも殺す。