もしや、とは思ってたけど、しっかりやってくれた。
出血大サービスなのかな、観る側のこっちとしてはありがたい。気になりつつも見逃したままの作品だったから、無料公開はありがたいと同時に申し訳ない気もしたけど、しっかりちゃっかり堪能させてもらった。
「消えるのは俺じゃない、世界だ」
本日、牙狼シリーズの舞台版第2作『神ノ牙‐JINGA- 転生』が、またも、you tubeの銀岩塩チャンネルで公開されました~。
1作目『覚醒』の公開があったから、2作目もあるかなと期待してて、その通りになった。(1作目に関わるブログ記事はこちら)
聴衆の期待を実現する。これがエンタテインメントの醍醐味であり、エンタテインメントに携わる人たちの真骨頂だね。
公開期間は「5/2 12:00」まで。気になった方は是非、大型連休中にでも。
作品の詳細については、それぞれの目で確かめてもらいたいので触れませんが、正直な好みを言えば、自分は1作目のほうが面白かったように思う。
ジンガの存在を縦軸にしながら、魔戒騎士・魔戒法師の残酷で悲恋な末路がストーリーの横軸としてうまく描かれていたのが1作目だったかなと評価しています。ラストシーンの余韻はまだ残ってる。
それに比べると、2作目の『転生』はTVシリーズ『神ノ牙‐JINGA』の補足の域を出なかったような・・・。それに、必ずしも必要不可欠なテーマ・物語設定だったかどうかは・・・。
いや、批評はやめておこう。
こっちが読み切れなかった意図があるかもしれない。批評をするなら、作品が体に馴染むまで、もう少し時間が経ってからにしたほうがいい。時間稼ぎは、問題を整理して解決するための最も効果的な妙薬だ。
牙狼シリーズのスピンオフ、JINGAシリーズには個人的に思い出深いものがあります。
ちょうどTVシリーズが放映されていた2018年下期、それまで勤めていた会社を辞めることを決意。
以来、我が人生は完全に下り坂に入ったわけなのですが、別に後悔はしていません。あの時は、あの決断を実行に移す以外に選択肢はなかった。辞めたことで失ったものがあれば、得たものもあります。大したものは得てないけど、それでも、行動しなければ知ることすらできなかった。
今になって振り返れば、古巣への未練やノスタルジーは間違いなく残っているけれど、そうした感覚・気分も辞めなければ知れなかった。
同じことをまたやれと言われたら、嫌ですけどね。
金にもならない経験ですので、損得勘定でみれば完全に失敗の部類。損得勘定で人生を判断していない(やりたくてもできな~い)のが自分の強みであり、弱みであり、面倒臭さでもあるなと、再確認しました。
我ながら、自己分析は完璧だと思うのだが・・・。
うーん、とにもかくにも、死ぬまで生きるさ。
JINGAシリーズが思い出深いと言ったのは、ホラーを人間に戻す魔戒騎士・御影神牙(ミカゲジンガ)の奇跡の力に、自分も当てられていたかな、なんて自嘲して楽しんだことがあったからです。
哀れ、神牙の力は実はまやかしだったわけで、まやかしを信じた者たちは軒並み不幸に陥っていった。
魔戒法師・楓沙(フウサ)や神牙の弟・刀眞(トウマ)の最後は、神牙のそれ以上に胸に詰まるものがありました。
信じたくても信じられず、けれどやっぱり信じたいから信じると決めて、それなのに・・・。
その胸の詰まりを抱えたまま、改めて神牙の無念を想像すると、結構いい酒の肴になります。
自分も、もう辞めるべきだと信じ、意を決して・・・。
別に、JINGAシリーズに責任があるって言いたいわけじゃないですよ。空想の物語と現実のパーツが、偶然ながら、ところどころリンクしていたような気がして、こんなこともあるのかなと。
人はえてして、現実を生きてるようで空想に近付き、空想を語っているようで現実を表現している。
そんな相互作用の面白みが、若い頃より分かってきた。
これだけは、「誰にも奪われることのない財産」(GACKT風)。
下らない自分の話はさておき、JINGAシリーズの特にTV版はホントに面白く、観ていて良かったとつくづく。観賞後と観賞前では人格の幅が変わります。
JINGAシリーズを知らない人は、you tubeで公開された『転生』を観る前に、TV版に触れておいたほうがいいかな。より楽しめるし、先ほど、自分がやや批判的な意見を挙げた理由を分かってくれるかも。
JINGAシリーズは善寄りか悪寄りかで分類したら、確かに悪寄りではあるが、その構成がかえって、「守るべきもの」「守りたかったもの」を際立たせ、死生観や哲学を教えてくれる。
自分の場合は、転生だけはお断り。
自分なりに生きる理由を見つけ、それなりに実践してきた自負があるのであれば、何歳で亡くなろうと構わず、生き返りたいとは思わない。
他方、自分以外で転生してほしい人はいないのかと問われれば、何人かいるかもしれない。だって、その人が「自分なりに生きる理由を見つけ、それなりに実践してきた自負がある」かどうかなんて、こっちには分からないから。
命を失ったことを悲しいと感じるんじゃなくて、悲しさを受け入れる準備や鍛錬が整わないまま死んでいくのが哀れだと思ってしまう。そういった人たちには、チャンスをあげたっていい。
・・・でも、だとするとジンガ(ホラーのほう)はもう十分だろ。あいつはもう存分に生きたよ、転生しちゃだめだ。
もし次回作があるなら、次こそ、御影神牙の真の転生が観たい。