lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

【この牙狼を観よ!】人の思いを「守りし者」~月虹ノ旅人

目次

 

前置き

「命あっての物種」とか、「生きてりゃなんとかなる」だとかの考えには、随分前から同意できないでいる。人の存在を「死ぬ前」と「死んだ後」とで2分割する思考に、違和感を覚えずにはいられない。

 

毎日働いて、遊んで、笑って生きていたとしても、それがその人にとって、本当に望んだ生き様かどうかは分からない。本心では、働くことにも、遊ぶことにもとっくに飽きていて、やり残したのは「死ぬことくらいだ」なんて達観を抱えた方々が、少数派とは思うが、いるのではないか。

Human Anatomy funny

 そうしたタイプの人たちにとって、心から大切なのは、ただひたすらに生き続けることではない。

――自分なりに納得できる、意味のある思考や行動によって支えられた生活を重ね、構造的な人格を築き上げることにこそ、喜びを感じる――。

例えば、こんな感覚を頼りに、無味乾燥な社会でかろうじて命を繋ぎとめてきた人生も存在すると思う。個人的には大いに共感する死生観だ。

 

自分の中で、どうしても無視できない感覚・感情が一つある。

時と場合によって、「命より大事はものはある」、というものだ。

 

そうした場面を子どもの頃から、節目節目で垣間見てきた気がするのだ。あるいは、拙い脳みそで勝手にそう解釈しただけかもしれないが、大勢の記憶の粒たちは確実に目の裏に焼き付き、今では己の倫理をたくまくしくするための顧問にまで昇格している。

 

この感覚はもはや容易に変わらない。

震災であろうが、コロナ禍であろうが、その程度の騒ぎが影響して変わってしまうほど、やわな造りになっていないからだ。むしろ、確信がどんどん高まってくる。

 

確信を揺るがす可能性があるとしたら、それは戦争。戦後、多くの日本人が生で経験できずにいる文明の営みである。自分の存在が根底から揺らぐとしたら、この時かもしれない。

   

しかし、そんなことにはならないだろうな、と予感する自分もいる。この種の予感は大抵よく当たるから、変化への期待はほどほどにしといたほうがいいかもだ。

 

「命より大事はものはある」という発想は、別に命を軽んじているわけではなく、場合によって、「命を超える価値が現れる」との向上心から来る哲学の一種である。

内に秘めたまま眠っていた哲学が、とんとんとノックされ、高速で表に浮かび上がってきた瞬間に、充足感を覚えずにはいられない。

この種の経験を多く経てきた人生こそ、本当に実り豊かな人生だと思う。例え、短い寿命であったとしても、誰より上等な生涯だ。

 

そして、ある作品のおかげで、確信がまた一段も二段も強まった。

きっかけをくれたのは・・・。

 

 

月虹ノ旅人

 

面倒な前置きを書いてしまい、すいません。どうしてもね、書いておきたかったんです。あれを書きたいがために、『月虹ノ旅人』に触れるといっても過言ではありません。

ファンなら色々と寄せる思いがあるだろう作品だから、一石二鳥で丁度いい。

 

 

そんな・・・月虹ノ旅人』とは!

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月虹の旅人は、牙狼シリーズで、黄金騎士・冴島雷牙を主人公とする物語の劇場版。

 

雷牙は1st牙狼の主役、冴島鋼牙の息子です。

父から牙狼の称号を受け継いだ雷牙と、その仲間たちが繰り広げるホラーとの戦いは、TVシリーズ魔戒ノ花』で存分に描かれています。

劇場版はその続きのようなもの。

 

例によって、劇場版のあらすじを細かく紹介する気はありません。

(・・・記憶が若干曖昧でやろうにもできない)

ここで書きたいのは、物語中、特に印象深かった場面と、それに対する自分なりの解釈です。

(・・・これ以外できることないんです)

 

 

注目したのは、クライマックスが迫る中で出た、一つのセリフ。

 

「私の体でなく、私の思いを守ってください」(ゴンザ)

 

 雷牙の頼みを受け、身の安全を必死で守ろうとした幻影騎士・吼狼(クロウ)に対し、冴島家の執事・ゴンザが放った言葉です。

 

これを聞いて、「やっぱり牙狼はいいな」と思った。

 

ゴンザのセリフ、平たく言い直せば、「私のことより、雷牙やマユリ(雷牙の仲間)を助けるほうを優先してほしい、それが私の願いです」といったところ。

 別の映画や小説でもよくある類の自己犠牲のセリフが、実に渋みのある顔をのぞかせます。

 

どういうことかと言うと、ゴンザはまず、冴島家に3代にわたり仕えてきた老練であるという点を押さえなければなりません。

冴島家の先々代(冴島大河)は暗黒騎士に破れて亡くなり、先代(鋼牙)は時空の彼方で行方知れず。まだ少年だった雷牙だけ一人、残されました。

 

 

先代らの運命でゴンザに非はないにしても、古株の執事として責任を感じていないはずはない。主人を守る気持ちは、大河や鋼牙に対しても当然持っていたでしょうが、思いの強さ(または執念)は雷牙へのそれの比ではないでしょう。

 

過去の後悔や喪失とは、それだけ人の感情を頑なにします。

ゴンザにとって、成長した雷牙は新たな主人であるのと同時に、もう絶対に失ってはならない、今度は己の命と引き換えにしてでも守るべき存在になったと言えます。

 

 

そうして振り返ってみる、あの場面。

魔戒騎士のクロウの力がなければ、ただの人間であるゴンザが助かる術はほぼありません。しかし、ゴンザが心から望んでいるのは「助かること」ではなく、「助けること」。

 彼は長く、喪失の記憶を噛みしめ生きてきた。だからこそ迷わず下せる「命の選択と放棄」の決断は、地に足の着いた常識的行為であり、理念をとうに超えて、当然の作法となっている

同じ自己犠牲でも、単なるヒーローもののヒロイズムとは一線を画しているなと思った理由がこれです。

 

牙狼の視聴歴がまだ浅い人が、ここまで大袈裟に想像力を膨らますのは難しいかもしれません。ゴンザ自身が割とコミカルなキャラだから、キャラクターに引っ張られて解釈の深堀りが邪魔されちゃうとも言える。

 

けどね、こっちはちゃんと気付いた。おそらく、多くの視聴者が3世代揃い踏みのシーンや、暗黒騎士バラゴ、最強の鎧・オウガの登場などに集中する中、ゴンザの胸の内を見落とすことなく、しっかり(勝手に)見定めていたよ。

   

 

余談ですが、ゴンザのセリフは、新型コロナウイルス感染症でヒステリーになってる方々にも、よ~く聞いてもらいたい。

 

コロナを誰かに感染させたり、感染症で誰かを亡くしたり、亡くなったりする怖さより、気風を失った社会の顛末のほうがよっぽど損失が大きいと思う。

ゴンザは雷牙やマユリを助けるためなら、「死んでも構わない、この思いこそ守れ」との気風を示した。

コロナの収束がいつになるかなんて分かったもんじゃない。どうあがいたって、一定程度の犠牲は出る。コロナ恐怖症のみんなは、いい加減、「命を失うのは何が何でも嫌々」じゃなく、「本当に守るべきもののために何を犠牲にすべきか」について、眼を背けず正々堂々と向きあうべきじゃないか。

でなきゃ、それこそ、何も守れないまま終わる。

 

 

話しを戻して・・・。

 

月虹の旅人には一つ、残念というか、惜しいなと感じる部分があります。

 

それは、劇場版のCMでも使われた雷牙のセリフ。

 

「恨んでいるのは、『必ず戻る、信じて待ってろ』、その父の言葉を疑った、俺の心の弱さだ」 

 

 このセリフの使いどころが、期待してたのとちょっと違った。

 

CMから受けたイメージに偏っていたかもだが、願わくば、苦悩を伴う戦いをようやく乗り越えた先の結論として、「恨んでいるのは・・・」と言ってほしかった。

 

実際の劇中では、既に出ていた答えを吐露するような形であのセリフが使われたから、鳥肌が立つくらい一気に盛り上がるという感じではありませんでした。そこが唯一の残念。

 

ただ、雷牙だって、もう十分な経験を積んだ魔戒騎士だし、『魔戒ノ花』以降の成長も加味すれば、「行方知れずの父親とどう向き合うか」、なんていう葛藤はとっくに消化済みであってもおかしくない。

 

作り手も、その辺のリアリティーを重視したのかな。

そうだったらそうだで納得できる。これだから物語の解釈は面白い。

 

 

雷牙の内心を知れるシーンとしては、魔戒ノ花第24話『稀人』の一幕を思い出します。

 

「俺は好きで優しい騎士になったんじゃない。俺には他に生きる道がなかった。それを優しいと言うのなら、そう言えばいい」

 

 当時、リアルタイムで観ていて、すごく分かる気がしたセリフでした。

 

親がいない孤独な幼少期。けれど、まったくの一人ぼっちかといえば、家にはゴンザがいるし、父の盟友だった銀河騎士絶狼・涼邑零が師匠として指導もしてくれている。それに、父の壮絶な生き様に比べれば・・・。

だから、雷牙は孤独を抱えながらも孤独には沈めない。孤独のニヒルに興じ、楽になるわけにはいかない

 

こうした心の振幅の右往左往にさらされるのが、少年にとってどれだけ辛いか。

悩んで悩んで悩み抜いた結果、ある時、針を振り切り「優しい騎士になる」と決意するのは、現実的にあり得る成り行きだと思う

 

雷牙は基本、真面目で穏やかな物腰のキャラだから、1st牙狼の鋼牙のように荒々しく隙を見せる瞬間はあまりないけども、ふっと出る言葉遣いから、人格の重層性が伝わってきます。

 

そうした人間は、守る対象が一つだけにとどまらない。ゴンザが「私の思いを守ってください」と言えば、雷牙なら「思いも命も守るよ」と返すでしょう。

魔戒騎士や法師の異名「守りし者」が一番似合っているのは雷牙かもしれない。

 

魔戒ノ花、また観なおしてみようかな。

このブログを書いてて思った。月虹ノ旅人まで一気観したら、また違った姿形のストーリーが見えてくるかもしれない。

 

そうしたら、またここで書ける。

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