lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

「戦争の放棄」と「戦争行為の放棄」(4)~気付いたときは手遅れ、見過ごされた局面管理

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誤訳の条文をそのまま解したら、間違いなく軍事的に無防備な国にならざるを得ない末路を回避できたのは、「これではさすがにまずい」との常識が働き、解釈によって九条の弊害を除去してきたから、とみるのは恐らく同族に甘い。

 

今に至る憲法解釈をみれば、これではまずいとの思いは確かだったろうが、誤訳まで認識していたかどうかはやはり疑わしい。

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photosforyouによるPixabayからの画像

誤訳が意図的だったら芦田修正の必要はなかったし、誤訳に気付いていたら条文をもっと体裁よく作り替えたろう。

 

誤訳には気付いたが、全体を作り直すだけの余裕が議会になく、苦肉の策で文言を追加した可能性もなくはない。

いずれにせよ、必然的に綻びを伴っておかしくないほど戦後の憲法改正が相当に慌ただしい作業だったと想像できるし、きっとそうであったと個人的には理解できる。

 

この理解はさして重要ではない。

真に重要なのは、人間の認識力のいい加減さは、それがいい加減だと認識されない限り文明に何ら支障をきたさないという現実のほうである。

 

この国はその現実を見事体現してみせた。

論理や経緯の正しさを超越し、結果によって自己の存在を強引に確立してみせたのだ。

 

しかし、どんな成功にも必ず落とし穴がある。


自分たちの認識力が自分たちのコミュニティーだけで行使されているうちはいい。互いに同レベルなのだから不都合は生じない。

 

愚かさが本領発揮するのは異文化に触れたときだ。

 

同じ言語を媒介にしているつもりが含意に微妙な食い違いがあり、それに気付く側とそうでない側があったとしたら、強いのは気付いた側であろう。

 

相手の頭にない解釈を隠し玉とし、いざという局面で突き付けて利益を大きくできる。

 

例えば日本のビジネスマンたち、覚えはないか。

契約書を英語で交わしたとき、ある単語の意味の重層性を知らず相手に想定以上の利益を合法的に明け渡してしまった経験のことだ。

 

負けを認めず、いや、認められずに強がってやり過ごした思い出がありはしないか。

次の仕事に繋がるのであれば「今回はまあいいよ」と同僚と慰め合った日がありはしないか。

そして、次の仕事でも同じような目に遭った出張がなかったか。

 

こうしたケースが多分にありつつ、ひた隠しにされてきたと想像するのは、日本人の英語力の危うさを思えば必然の産物である。

 

恐らく大負けではない。

 

利益自体は得られているから文句を言いたくても言い出しにくいライン、100億円の利益が80億円にとどまったとか、そんなラインさばきを相手だってあとで揉めたくなければ上手く実行してくるはずだ。

そうして同じビジネスパートナーのはずなのに、徐々に貯金と株価に差がついてくる。


ここでビジネス論をやるつもりはない。

同じ失態が国家間であったとしたら「国民の自尊心は粉々になるな」と思いを馳せているだけだ。


証拠など手元にないし、特に探し集めるつもりもない。

今書いているのは、考えられる疑問を指摘しておくことで「局面管理の能力」を向上させる訓練に近い。

 

評論とは物事の是非を何でもかんでも断言する厚かましさではなく、判断の規準を見定める眼力だとはよく言われる。

さらに判断の基準を見定める眼力とは、局面の転換点でいったん立ち止まり、ここから先は選択次第で危機をもたらすだろうと忠告する能力に等しい。

 

それを私は「局面管理の能力」と呼んでいる。

 

局面の転換点をすべて完璧に言い当てるのは不可能だが、この国では大局的にみて、遅くとも「戦争行為の放棄」を「戦争の放棄」と憲法で表記した頃から、脆弱な言葉遣いによる社会の浸食が深まった。

 

あるときは負けているのに負けに無自覚、またあるときはもっと勝てたのにその勝ち方を知らない状態が、むしろ平常になっていくスタートラインだったといえる。

 

別の言い方でこの国の状態を表現すれば、損切りをしなければ、含み損が増えても損失計上されない株取引みたいなものだ。

 

含み損を解消しないまま投資額をどんどん増やした結果、余計に含み損が増していく構造は一度はまると容易に抜け出せない。

損失の確定を恐れ、過去の間違った取引を認められず株は塩漬けになっていく。

 

この国の場合は間違いと損失にも気付かず、善意で投資額を拡大していった点で異質ではある。

それでいて実際の国民生活には何ら不便がないのだから、自分たちを成功者と信じても無理はない。

 

悲惨な実態に気付くのは、手持ちの株を強制的に売らざるを得なくなった瞬間だろう。

その瞬間の一つが、「世界秩序が転換するとき」なのだと私は思う。

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