lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

Amazonで知った珍品(?) 新品(白紙)の新聞紙、売ってる

白紙の新聞紙なんて想像したこともなかった。

確かに、文字や絵が印刷されたものが新聞だから、白紙もあるわけだ。

そいつをそのまま売りに出すとは、低コストないいアイデア

 

今日まで知らなかったけど、けっこう知れ渡ってる商品なのかな。

 

 

用途は変幻自在。

 

荷造りの際の詰め物 ⇦妥当

ペット用のシート ⇦なるほど

窓ふき ⇦新聞の再利用といえばこれ

習字の半紙代わり ⇦アイデア

ブーツの型崩れ防止 ⇦湿気防止にもなるか

キッチンペーパー ⇦もはや普通

非常時の燃料 ⇦リアルに炎上する新聞

脂取り紙 ⇦これは私の考え…あっ、キッチンペーパーと同じ発想か

 子どもの落書き帖 ⇦いいかも

 

灯台下暗し。

 

毎度おなじみ、ちり紙交換でございます。古新聞、古雑誌、ございませんか。ございましたら多少に関わらず…。

 

読み終えた新聞の再利用では、こんなような商売も昔はよく見かけた。

今では、新品の新聞紙を早々に転用するのだから、意外なところに稼ぐヒントは転がってるものです。

 

そもそも新聞が売れない時代。

どうせ売れないし読まれないなら、いっそ何も印刷しないまま売ってしまえ。

 

Tシャツのデザインだって、色々試して最後はまた無地に戻るじゃないか。

 

そんな投げ槍な気分が動機となったような気もするのは自分だけか。

 

新聞記者は毎日紙面を埋めようと必死だろう。

それなのに白紙のほうが需要があったとしたら・・・。

いや、それはそれで仕事が楽そうでもある。

 

実際、近い話がオーストラリアかどこかであった。新聞社が行政文書の非開示に抗議し、新聞を1面黒塗りで発行したんじゃなかったっけ。

海外メディアのそうした大胆さは嫌いじゃない。

 

けど黒塗りじゃあ、白紙に比べ再利用の用途は限られてきそうだ。

 

白紙の新聞。発想は面白い。

けど、個人として買う気は…ないかな。

 

昔、紐でくるんだ古新聞の束を鉄アレイ代わりにして筋トレしてた時期があった。

それなりに効果はあった。掌に紐が食い込んで痛かったのが難点だったな。

 

枚数次第で重さの調整は自由だから、試してみるのも一興。要らなくなったら、上記の用途で消費すればいい。

 特に年末の大掃除では大活躍するかもしれない。

 

買う気はないが、家にあったらあったで、そんな使い方をしそう。

 

『やっちゃんねる』へのおこがましいエール。頑張れ…違う。迷わず行け…もう少し。迷いながらでも行け…近付いた? 自分を制せ…今はこれが限界。

どうやら、youtube『やっちゃんねる』の投稿主が工場派遣の仕事を辞め、地元神奈川に帰還することを決めたようだ。

なるほど。

頑張れ。

応援してる。いや、本当に応援しているよ。

www.youtube.com

今後について明かした動画⇧

 

工夫と努力次第で、色々な生き方ができつつある時代になった。

思いを実践し結果を出せた人はまだまだ限られるだろうが、その機会に恵まれたなら、果敢に挑戦してみるのも悪くない。

 

ユーチューバ―としての活動期間はまだ短いかもしれない。だけど、それ以前の試行錯誤の日々を加えたら、「ようやくここまで来れた」というのが当人の本音ではないか。

その気持ちはよく分かるというか、深く考えなくても分かってしまう。

 

youtubeでの収益がどの程度なのかは知らないけど、今の仕事(確か手取り18万円)を辞めて問題ない、遜色ないだけの利益が出ているのであれば、もはや立派なビジネスではないか。例えば、全国で乱立しては消えていく美容室の経営より、よほど見込みはありそうだ。

 

ユーチューバ―の本質とは、要するに「想像力を商売にする」ことだと思う。

言葉の響きがどこが狡くて、チャラい印象もあろうが、本質的には作家や漫画家らと何ら違わない。内に秘めた己の想像力を目に見える形に磨き上げ、満を持して世に売り出すのだ。

この点において、動画という媒体が書籍や絵より劣っているなんてことはないだろう。

だから存分に極めればいい。

   

 

とはいえ、無責任に背中を押す気もない。

 

どんな商売にも浮き沈みは必ずある。失敗して転落する可能性は常にゼロじゃない。

けれどそれは、どんな商売にもいえること。誰かにさまざまなアドバイスや忠告を受けようとも、結局は本人の志が行く道を決めるはずだ。

こちらは、その成り行きを見守るしかないのだ。

 

この先『やっちゃんねる』がどうなるかは、心配でもあり、楽しみでもある。

おそらく期せずして視聴者の気分をそうハラハラさせた時点で、門出の一歩目は上々にも感じられる。

 

アントニオ猪木はあまり好きじゃありませんが(浦安鉄筋家族の国会議員は好き)、彼の常套句「迷わず行けよ、行けば分かるさ」が似合うケースはそうそうない。

もっと丁寧に表現すれば、

「迷いながらでも行けよ、行かなきゃ分からないさ」といった感じか。

その結果、上手く行かなかったとしたも、憐れみだけは送らない。

多くの先駆者・成功者たちの足元には多くの屍が横たわっている。その屍がなければ、先駆者も生まれなかった。だから、その屍たちを憐れみたくはないのだ。

 

本当の意味で「生きる」決断とは、ただ「死なない」ことより、余程難しくて高尚な選択だと思っている。

 

今後、『やっちゃんねる』の知名度がさらに上がれば、誹謗中傷や妬み嫉みの類が増えるのは間違いない。

そして、その嵐に晒された時の心境は、本人だけのもの。

 

負けてほしくはないが、軽々に「頑張れ」とも言いたくない。

だとすると、どうしようか。

 

個人的には、挑戦を途中で諦める理由が「自分自身への失望」あるいは「限界の悟り」であれば、納得し共感できる。

一方、他人に屈して挫折する姿はあまり見たくない。

だから、おこがましくもエールを送るとしたら、「人目を気にせず、自分を制してください」といったところか。

 

人によっては、こうした表現ですら上から目線に聞こえるかもしれない。

 他人を応援するのは本当に難しいのです。

しかし本当に難しいから、そこを克服する表現を摸索してみたくもなるのだ。

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フクラギって何? youtube『やっちゃんねる』の動画で気になったが、要するにブリ歴の2番手くらい

6月30日に公開された、youtube『やっちゃんねる』の最新動画。

その終盤の夕食シーンで、「フクラギ」の刺身なるものが出てきた。

フクラギ? ふくらはぎじゃなくて?

 

下のサムネ左側の刺身が、フクラギらしい。

www.youtube.com

 

恥ずかしながら、能書きばかりでものを知らない私。

気になったので調べてみた。

(といっても、ネットを検索しただけですが)

そして、調べ物はあっさり片付く。

 

フクラギとは要するに、「ブリの幼魚」(生後7~8カ月)のこと。

下記のサイトで分かりやすく紹介されてた。

www.pride-fish.jp

 

ブリの幼魚は地域によって呼び名が異なり、関東は「イナダ」、関西では「ツバス」とも言われるそうだ。イナダなら聞いたことある。

 

 ブリか・・・。

確かに、北陸のブリは美味い。

 

ブリは成長過程で名前が変わる出世魚

ワカシ ⇨イナダ⇨ ワラサ ⇨ブリ、といった変化がある。

いわばブリ歴。イナダ(フクラギ)は2番手。一番美味いのは、やっぱり、最頂点であるブリ期のブリなのだろうか?

 

あれは氷見市だったかな、2年ほど前に家族とブリしゃぶを食べた。正確に言うと、ブリしゃぶを中心にしたブリのフルコースを堪能したのだ。

 

父母と自分の3人旅行。

新幹線で高崎から富山へ行き、そこから電車を乗り継いだり、タクシーに乗ったりして、ブリしゃぶの店に着いた記憶がある。店名は忘れた。

 

当時は親父が狂ったように旅行へ行きたがり、無理矢理同行させられたケースが何度かある。姉弟は自分以外みな結婚していて、都合が良かったのだ。母と二人きりでは、どうも気乗りしないらしい。それは母も同じだが。

 

自分がブリしゃぶを食べたのは、その時が初めて。

本当に美味しかった。

出汁にくぐらせることで、脂がほどよく抜け、身が締まり、旨味が凝縮する感じ(多分、記憶は曖昧)。

店の表は雪景色。その状況が、ちょっと背伸びした食事をより高級な時間に仕立てていた。

 

ただ、フルコースはやり過ぎだったかな。終盤、さすがに飽きてくる。

完食はしたが、ブリしゃぶと、もう一品二品ブリの料理があれば十分。そのくらいが飽きずにブリを堪能できるラインだったかもしれない。

 

『やっちゃんねる』の投稿主は、料理自体はそんなに上手いとも思わないけど、やっぱりあれかな、見栄えにおいて、北陸の海の幸に救われてる感はある。

埼玉のベルクの刺身のように、しなびてないから羨ましい。スーパーの刺身なんて、もう何年も食べてない。

だから余計にフクラギに注目してしまった。

 

その辺りも『やっちゃんねる』の地の利か。

やっちゃんねる カテゴリーの記事一覧 - 片山英一’s blog


 

ここ最近のアクセス数。それと、スターマークへのお礼

当ブログの直近1カ月のアクセス数は以下の具合。

少ない時で一日一桁、多い時でも500弱くらい。

これが現状の実力でございます。

現状、と言っても今後上がる見込みや目算などありませんが。

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当ブログ約1か月間のアクセス数。うーん。

 

大したコンテンツがない中で、比較的よく見られているのが、「牙狼」と「やっちゃんねる」関係の記事。

サイドバーの注目記事一覧で、たいてい上位表示されてる。

 

牙狼については、VRの話が進むにつれ、アクセス数が伸びた感じ。物語後半の盛り上がりを受け、ネットの検索数が増えたことで多少の恩恵にあずかったか。

 

改めて読み直してみると、どれもまあ、相当に主観たっぷりの記事で、考察というより、牙狼を下敷きにしたエッセイに近いかも。

 

内容は、自分の思惑や話したい方向に無理矢理こじつけてる感もありますが、個人的にはまあまあ満足してる。

少なくとも、牙狼が想像力を刺激する物語であることは、再確認できた。何気ないセリフの裏に、複雑な心理が隠されている。そこを感じ取るのが好きだ。

 

空遠の第2幕はあるだろうか。

 

 

「やっちゃんねる」関係の記事は完全に想定外。

こちらも牙狼記事と同じで、他人の動画を下敷きにした駄文集めみたいなもんですが、その一本だけで牙狼記事数本分より読まれてる。

これも検索のいたずらの恩恵か。

 

他人の人生を勝手に解釈して、自分なりの思想にまとめようとするのがこっちの得意技。

というか、それしかできない。

 

アクセスされたからといって、最後まで読まれてるとは限りませんが、とにもかくにも、ありがたいことです。

(・・・折に触れ、また書いてみようかな、などと邪まな気持ちがよぎる)

 

ありがたい、と言えば、ここで一つ、感謝の意を。

どこのどなたか存じませんが、ブログの記事にスターマークを付けてくれた方、ありがとう。

この場でお礼を述べさせていただきます。

 

スターをいただいたのは以下の記事2本。

eichi-katayama.hatenablog.com

eichi-katayama.hatenablog.com

 

スターをもらったのは、これが初めて。

初物は、きっとこの先忘れない。

嬉しいような、恥ずかしいような。

だから、あえて書いてみた。

 

2本のうち1本がバンプの記事だったことが、特に意外です。

 

理解してもらえただろうか。自分で読み直しても、ちょっと難解な気がしている。

真剣に書こうとすると、どうしても、ああいう文体になってしまう。表現の幅が狭いのだ。

けれど難しく書くことで、書いたこと以上の深みが備わる気もしている。

それだけに、少しでも共感してもらえたのなら嬉しい。

 

 

それにしても、自分の成績を振り返るとよく分かる。プロのブロガーって本当にすごいね。

こちらは当面、アクセス数500超えが目先の指標。ただし、達成できずに諦める可能性あり。

そうならないためには・・・。

 

いや、とりあえず、今夜は疲れたのでもう寝ます。

お休みなさい(と雑な締め方)。

   

牙狼『VERSUS ROAD(VR)』が終わり、今度は自分の愚かさを振り返る~【現実的サバイバル】FX、コロナ禍で170万円損してまだ6000円しか取り戻せてない話

タイトルの羽目に陥ったのは、もちろん筆者(自分)。

あれは3月。今思い出してもやっぱり、ムカムカというか、胸の奥に異物を感じる。

 

牙狼『VERSUS ROAD(VR)』も終わったことだし、今度は、てめえの愚かさの記録、あるいは、せめてもの慰め・レクイエムとして、ここに筆を取る――。

 

   

 

新型コロナの問題が騒ぎ出した1月末以降、豪ドル円を75円台(買い建て)で保有していた私。

円高一辺倒となる中、「やばいな、やばいな」と思いつつ、有効な手立てを打てぬまま、ついに非情のロスカット発動。

見事、175万3482円の赤を出し、手元には証拠金分の30万ちょっとが残りました~。

 

コロナ直前の3カ月は、一月に3~10万程度の利益があったのに・・・。

 

ふう・・・。

今でも思い出すと、こんな感じ。

 

やれることは色々あった。

傷が深くならないうちに損切りしたり、売り建てに切り替えたり、買い建てと同じだけの売り建てを保有して様子を見たり。

 

しかし、あの時の自分は、相場の状況転換をただ座して待つ道を選んだのです。

 

過去にも、それで乗り切れたケースはある。

 

ただ、そのためには十分な証拠金が必要だ。

 

今回は豪ドル円が15円以上の円高になり、証拠金が足りなくなってしまった。

 

資金を継ぎ足すこともできたのですが、躊躇。

どこまで円高になるか分からない状況でさらに証拠金を拠出し、結果的に損失額が膨らむのを恐れたのです。

そして、こうした弱気・受け身の判断をした場合、物事は大抵、こっちの思いとは逆の方向へ進む。

 

ロスカット発動となった日を底として、為替は円安に傾き出したのだ。

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日足チャート(平均足)の動き。3月を底に上昇トレンドに移ったのが分かる。

 

6月には76円台まで回復。

マジかよ。

 

・・・ああ、あの時、あそこで証拠金を足していれば、170万を失うことはなかった。

・・・どうせ170万失うのなら、せめて、思い切って攻めておけば良かった。

 

過去と現在のチャートを眺め、やや涙目になる(そんな気がする)私。

 

FXの素人あるあるでしょう。

 

もう嫌になります。己の陳腐さが、成功者になれない器の小ささがよく分かる。

 

・・・糞っ垂れめが。

しがないリーマンちゃんが、100万、200万貯めるのにどれだけ時間が掛かるか。

苦労が水の泡とは、まさにこういうこと。すべて自業自得とはいえ、実に居心地の悪い虚無感だ。

 

個人の性格上、FXで負けたものはFXで取り返したい気持ちがあります。

けれど・・・。

コロナ禍如きにまんまと翻弄された自分が、そんな逆転劇を演じられるとは思えない。どうせまた失敗する・・・。

 

そんなこんなで、現時点で取り返せてるのは6000円ぽっち。

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実際の損益表。利益はちょびっと、損失はあっという間・・・無残だ。

 

見方を変えれば、この程度の水準であれば低リスクで稼げるってことかもしれない。

けれど、それじゃあ、あまりに・・・。

 

やはり、我が人生は黄金に輝きそうにな~い。

 

それに比べ、

 

「猛る(懸ける?) その思いが 真実なら 未来は今 リアルになる」(『Versus Road 〜非現実的サバイバル〜』より)

 

いい歌詞だった。

 

「思いが真実なら」ってとこがドンピシャ。

この世の真理の一つではないか、とすら感じるほど、この言葉は身に染みる。

 

自分にとっての真実とは何か。

「それを確認できたらな、あなたの人生は十分、上等でしょう」と、他人に対しては言ってあげたい。

 

そこまで思ってて、己の今はこれが現実なんだから、馬鹿らしくなっちゃうよ。

何てレベルの低い、「現実的サバイバル」。

 

おのれぇ、ノムラFX(自分が使っているFXのサービス。野村証券のやつ)。

 

死ぬまでに、いつか借りを返してやる、そう、いつか――。

 

と、鎮魂歌は恨み節で終わる。

www.youtube.com

   

ついに最終回、牙狼『VERSUS ROAD(VR)』12話~VRが抜ける理由

牙狼として生きるわけじゃない・・・ただ生きる」

 

牙狼剣を取らず、去る空遠世那。

 

あれが、牙狼『VERSUS ROAD(VR)』が伝えたかった全てだろう。

 

冒頭、朱伽が指摘したように、牙狼の称号は競うものでも、選ぶものでもない。

おそらくそれは、「なる」もの。

 

空遠は葉霧との最終決戦で、牙狼の鎧を確かに召還した。その点では、鎧に選ばれたと言える。

けれど、空遠が鎧を着て戦ったのは、牙狼になりたかったからではない。

eichi-katayama.hatenablog.com

 

多くの死と、生きたい意志を見てきた空遠。

手を下さなかった天羽涼介も、結局、葉霧に殺された。

 

彼らの思いが死臭とともに、どうしようもなく心体にこびりついている。

 

だから、

「俺が死ぬことは許されない」

 

ガロは魔界語で、希望の意味。

つまり、牙狼になるということは、人々の希望になるのと同じ。

しかし、空遠を突き動かしたのは、希望ではなく、いわば「弔い」の感情。

例えば、剣撃より拳打が目立った劇中。

その拳の重みが握り締めた命の大きさを物語っていたと思う。

 

希望に愛されず消えていった無数の命が決して軽いものではないことを、葉霧を倒すことで彼は証明してみせた。

 

 

戦いに勝っても、空遠はガロ(希望)にはならない。

「ガロって何だよ、この世界にガロなんていないんだよ!」

 

彼にとって、ガロ(希望)はなるものではく、感じるもの。

その希望とは、旧友や盟友たちとのつながり。

それらをすべて断たれ、胸には絶望しかないはずなのに、それでも生きなければならないとは。

これほどの責苦があるだろうか。

 

理不尽なゲームで死んでいった者たちからすれば、空遠の存在は、あの世から希望を託せる媒介でもあったろう。

そうした思いを感じ取り、「思いを力に変える」牙狼の鎧は力を増し、ダークメタルの鎧ベイルを纏った葉霧に負けなかった。

 

葉霧は言った。

「力がなければ意味がない」

「史上最強の守りし者になる」

 

これには、空遠も怒りと同時に呆れたはず。

・・・守りたかった人たちがいなくなった世界で最強になってどうする。

 

同じ人間だから・・・なんて理由で区別なく守れるのは、それこそ魔戒騎士や法師たち。そのためにこそ、心体の鍛錬を積み重ねた人たちだ。

 

空遠は違う。ただの人間。守りたい人の範囲は魔戒騎士よりずっと限られてくる。

それでも鎧を召還できたのは、守りたい者をなくした喪失を知る者であれば、同じ思いをさせまいと、人々を守っていくとの判断がされたからではないか。

現時点で、その目論見は外れたことになる。

 

弔いが果たされ、去来するのは、生き抜いたというより、生き残ってしまった感覚。

 

未来はまだ分からない。

彼が再び剣を抜く可能性はある。

ただ、抜く理由がない限り、戻ってくることはないだろう。

 

弔いとは、それほどまでに神聖であり、身を削ってしまう両刃の行為なのだ。

アザミとは戦わなかったのも、葉霧を倒した気力が既に鎮魂へと傾いてしまったからではないか。

 

もしも、彼が戻ってくるとすれば、その時は少なくとも、「死ぬわけにはいかない」という懺悔の念が、「死んでもいい」という許しの勇気に変わっているだろう。

 

死んだ仲間と再会する希望を胸に、人々をひたすら守り続け、変わり果てるために。

 

 

機能性に難ありだがデザインが好みな「LUCIUS(ルシウス)」の靴。昨日足を痛めて、今日もやっぱりあれを履く

「LUCIUS(ルシウス)」のビジネスシューズを常用というより、愛用している。

 

ZOZOタウンのサイトを閲覧していて目に留まったのが最初。

以来、何足か購入し、履きつぶしたものもある。

単純にデザインが好みだ。

 

形は基本シャープだが、鋭すぎないギリギリのラインを捉えている感じ。ヒール部分はやや高めか。色合いも悪くないと思う。

種類も手頃な価格のものが多く、比較的低コストで小洒落た雰囲気を演出できるアイテムなのでは、と勝手に評価している。

 

会社員ほど愚かな生き方はないが、その身だしなみはもっと難しい。

 

ジャケットで個性を出そうとするのは狙い過ぎな気がして、好きじゃない。

自分がどこぞ社長だったら、ピカピカに光沢があるオーダーメイドのスーツを堂々と着たかもしれない。

しかし、残念。

私は、ただのしがない平社員の一匹にすぎないのです。

 

そんなこん畜生でも、他人との違いにこだわってみたい時はある。

ただし、腕時計はベルトの下に汗をかくから嫌。ネクタイはクールビズになったら使わないし、Yシャツは毎日の洗濯が楽なノンアイロンタイプしか着ないから、結局、工夫の余地があるのは靴くらい。

こうした個人的ニーズとブランドのコンセプトが合致して、「LUCIUS(ルシウス)」を履くに至ったといったところだろうか。

 

しかし、どんな商品にも欠点は必ずあるものです。

 

いや、欠点なんてもんじゃない、これに関しては致命的だ。

 

なぜなら、足に合ってない。

 

「LUCIUS(ルシウス)」の靴の形は、残念ながら自分の足の形との相性が悪いのです。

 

長く歩くと痛い。特に両足の小指。

靴擦れして水ぶくれがよくできる。

 

放っておいたら皮膚が硬質化してイボのようになり、みっともないから爪切りの刃で削り取った。

あれはなかなか、勇気と根気がいる作業でした。

 

深くえぐり過ぎて血が出ないか、ドキドキ。

 

そこまでやったら当然激痛が走るので慎重に削っていく。

生半可な削り方ではすぐ再生するから、何度か繰り返し、徐々に硬質化した部分を小さくしていった。

自然治癒力を高めるため、仕方なく「LUCIUS(ルシウス)」以外の靴を履くことも。

 

そんなこんなで、だいぶマシにはなりましたが、油断できない日々は続いています。

 

靴底も固めなつくりのため、足と脚が疲れる。

いい足音は鳴らすが、やかましいと感じる時も少なくない。

あと、雨の日に滑りやすい気がする。

 

こんな説明が続くと、「何だ、メリットないじゃん」なんてことにもなりましょう。

それでも、デザインは好みなのだ。

 

ここは、虻蜂取らず。

 

機能性が両立した安価なブランドが他にあればいいけど、かといって、積極的に浮気相手を探す気にはなっていない。

まだ当面、こいつで行くのかな。

 

靴のブランドとは関係なしに、歩き方の癖で困っている大きな問題が一つ。

 

踵の擦り減りがハンパない。

 

実際、こんな感じ。

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街中で踵が擦れた人は見かけるけど、ここまでじゃない。

どうしてこんなに削れるの?

O脚のせい? だからって、こんなに削れる?

 

削りたくないから、踵から着かないように歩こうとして、余計に足を痛める始末だ。

 

どうしようもないのか。

靴底に薄い鉄板でも貼るか。

 

強いのはこちらの愛情ばかりで、相手に殺される気分だ。