lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

本能的に気になるYou Tube『やっちゃんねる』の今後について考えたら、自分らしく生きること、あるいは死ぬことにまで思考が膨む始末

前回紹介した、You Tubeチャンネル『やっちゃんねる』の登録者数が10万人を超えたようだ。

やっぱり人気があるのか、すごい。

 

You Tubeにおける安定収益のラインがどこなのかはよく分かりませんが、この調子でいけば、工場派遣を近いうちに辞めて念願の独立を果たせるのではないか。

頑張ってほしいものです。

www.youtube.com

 

人生100年時代なんて糞くらえ。

投稿主は既に46年も生きてきたのだ。

65歳が仮に定年だとして、残りの約20年くらい思うままに生きたっていいだろう。

 

大抵の人間にそんなチャンス訪れないし、そもそも、自ら努力して掴みとろうともしない。ほどほどの収入と、ほどほどの休日をうまくやりくりし、ささやかな幸福を見つけて生きていくのが相場。

 

それが一番楽でもある。

 

けれど、それでは満足しない、違和感に苛まれてしまうタイプが世間には案外ゴロゴロしている。

恥ずかしながら、その一人が自分。『やっちゃんねる』も、そうではないかと想像します。

 

工場派遣を辞めたら動画のネタ探しに苦労するのではないかと心配する声もあるようですが、杞憂でしょう。

 

積み上げた経験や、その記憶に基づく発想は突然消えてなくなりはしない。

むしろ、有り余る時間を使って行動範囲を広げれば、クリエイティビティ―は高まるかもだ。そこからが本当のスタート。

46歳から成り上がる姿を見るのは悪くない。

 

自分の場合、『やっちゃんねる』の投稿主に希望を投影したくて応援しているわけではありません。

 

共感できる部分が多いと感じつつも、相容れない面を無視できないために、自分にもまだ個性があるなと実感する。その実感を与えてくれた、せめてのお礼として応援の意思を表明したいと思う。

 

『やっちゃんねる』と自分を比較するのはおこがましいですが、違いを一つ指摘させてもらえば、あの人は「生きる」のを前提に動画投稿しているのに対し、自分のあり様は「死んでない」状態の延長にすぎない。

いわば、やり残したのは死ぬことだけ、という感覚。
 

 

いや、中二病と蔑まれても仕方ない、恥ずかしい告白。

けれど、中二時代のすべてではなくとも、当時よぎった確信の一部は今でも自分の中で生きている気はする。

変わった部分は多々あれど、「これ以上変わる必要なし」と、ポケモンの進化拒絶ばりに変化に抵抗する人格が確かに潜んでいます。

その意味で、人は誰もが多重人格者であるとも言える。

 

元々ノスタルジー過剰気味な性格なので、古い付き合いの人格から「もういいだろ」と言われたら、「そうだね」と優先的に応じたくなる。

あるいは「最終的にどの人格を残したい」と問われたら、「死に寄った『あいつ』を選ぶ」と答える。

 

我ながら分かりづらい言い回しになった・・・。

一言でいえば、要するに「死ぬタイミングを探している」という具合か。

 

自分なりに生きる意味を見つけ、それなりに実践してきた自負がある人は、きっと前向きな気持ちで死に向かう。そんな境地に憧れているのです。

 

こういう話って暗いかな?

だとしても、こっちは書いてて、しんみり落ち着いた気分になる。

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死生観は本能のヌードみたいなもん。

むやみにひけらかすのは恥ずかしいけど、女優やアイドルのたまの記念撮影のように公開してみたくもなるのだ。

まあ、自分はしょっちゅう公開してしまっていますが。

 

何はともあれ、『やっちゃんねる』の未来はきっと明るい。

こっちが死ぬ前に、是非羽ばたいてもらいたいと思う今日この頃でした。

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