eichi_katayama blog

確かかなと思った言葉を気ままに。あと、ヤフコメアーカイブ

ついに最終回、牙狼『VERSUS ROAD(VR)』12話~VRが抜ける理由

牙狼として生きるわけじゃない・・・ただ生きる」

 

牙狼剣を取らず、去る空遠世那。

 

あれが、牙狼『VERSUS ROAD(VR)』が伝えたかった全てだろう。

 

冒頭、朱伽が指摘したように、牙狼の称号は競うものでも、選ぶものでもない。

おそらくそれは、「なる」もの。

 

空遠は葉霧との最終決戦で、牙狼の鎧を確かに召還した。その点では、鎧に選ばれたと言える。

けれど、空遠が鎧を着て戦ったのは、牙狼になりたかったからではない。

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多くの死と、生きたい意志を見てきた空遠。

手を下さなかった天羽涼介も、結局、葉霧に殺された。

 

彼らの思いが死臭とともに、どうしようもなく心体にこびりついている。

 

だから、

「俺が死ぬことは許されない」

 

ガロは魔界語で、希望の意味。

つまり、牙狼になるということは、人々の希望になるのと同じ。

しかし、空遠を突き動かしたのは、希望ではなく、いわば「弔い」の感情。

例えば、剣撃より拳打が目立った劇中。

その拳の重みが握り締めた命の大きさを物語っていたと思う。

 

希望に愛されず消えていった無数の命が決して軽いものではないことを、葉霧を倒すことで彼は証明してみせた。

 

 

戦いに勝っても、空遠はガロ(希望)にはならない。

「ガロって何だよ、この世界にガロなんていないんだよ!」

 

彼にとって、ガロ(希望)はなるものではく、感じるもの。

その希望とは、旧友や盟友たちとのつながり。

それらをすべて断たれ、胸には絶望しかないはずなのに、それでも生きなければならないとは。

これほどの責苦があるだろうか。

 

理不尽なゲームで死んでいった者たちからすれば、空遠の存在は、あの世から希望を託せる媒介でもあったろう。

そうした思いを感じ取り、「思いを力に変える」牙狼の鎧は力を増し、ダークメタルの鎧ベイルを纏った葉霧に負けなかった。

 

葉霧は言った。

「力がなければ意味がない」

「史上最強の守りし者になる」

 

これには、空遠も怒りと同時に呆れたはず。

・・・守りたかった人たちがいなくなった世界で最強になってどうする。

 

同じ人間だから・・・なんて理由で区別なく守れるのは、それこそ魔戒騎士や法師たち。そのためにこそ、心体の鍛錬を積み重ねた人たちだ。

 

空遠は違う。ただの人間。守りたい人の範囲は魔戒騎士よりずっと限られてくる。

それでも鎧を召還できたのは、守りたい者をなくした喪失を知る者であれば、同じ思いをさせまいと、人々を守っていくとの判断がされたからではないか。

現時点で、その目論見は外れたことになる。

 

弔いが果たされ、去来するのは、生き抜いたというより、生き残ってしまった感覚。

 

未来はまだ分からない。

彼が再び剣を抜く可能性はある。

ただ、抜く理由がない限り、戻ってくることはないだろう。

 

弔いとは、それほどまでに神聖であり、身を削ってしまう両刃の行為なのだ。

アザミとは戦わなかったのも、葉霧を倒した気力が既に鎮魂へと傾いてしまったからではないか。

 

もしも、彼が戻ってくるとすれば、その時は少なくとも、「死ぬわけにはいかない」という懺悔の念が、「死んでもいい」という許しの勇気に変わっているだろう。

 

死んだ仲間と再会する希望を胸に、人々をひたすら守り続け、変わり果てるために。