「確かさに置いていかれて」(BUMP OF CHICKEN『ゼロ』より)
おそらく、人は誰でも、少なからず確かさや正しさを求めて生きています。
しかしそれは、自分にとっての確かさ・正しさを指しているのであり、押し付けられる代物ではない。
上記の歌詞を補足すれば、「(強制された)確かさに(付いていけず)置いていかれて」といったところだろうか。
世間が決めた(決まったと思い込んだ)「確かさ」にはそうそう抗えないものです。それでも抗えば、煙たがられるか、変人扱いされて終わり。もしかして「隠れファン」が何人かいるやもしれないが、目に入ってこなければいないのと同じです。
まさに孤独、いや・・・。
この日本語はあまり好きじゃない。
英語で言う必要もありませんが、「マイセルフ・アローン(myself alone)」(自分自身のみ)の方がしっくりくる。
・・・世間に疎まれたとしても、本人にとって十分正当性があるmyself aloneであるなら、無理に現状を変えようとは思わないはず。(よし、これだ)
別の言い方をすれば、自分の理解者が自分以外にいない、見当たらないという意味での「ゼロ」がそこに成立する。
なるほど。
『ファイナルファンタジー零式』のテーマソングとして作られたから、曲名も『ゼロ』なのだろうと安直に捉えたら、この曲の隠し味には気付けない。
「咳をしても一人」(尾崎放哉)という句があるように、望もうが望むまいがmyself aloneにならざるを得ない構造が世の中にははびこっている。
それゆえの「ゼロ」
バンプとは知り合いじゃないし、知り合いの知り合いもいないので確かめようがないですが、そう的外れな考察でもない気はする。
では、この前提で次の歌詞に向き合うとどうなるだろう。
「速すぎる世界で はぐれないように」(同)
既にはぐれた状態がmyself alone。だから「はぐれないように」とする表現には一貫性がないようにもみえますが・・・。
この解釈は簡単。
「(自分が自分自身と)はぐれないように」とすればいいだけだ。
もう少し詳しく説明すると、自分の中に「速すぎる世界」に引っ張られそうな自分と抵抗する自分がいて、放っておいたら精神が分裂しかねないため、「はぐれないように」と言い聞かせる。
読解力のない人は「(世間や社会から)はぐれないように」と理解しがちでしょう。前段の歌詞「確かさに置いていかれて」の存在を忘れると、そうなる。
『ゼロ』の歌詞では、常に一人の登場人物のことが語られているとみておきたい。
自己省察の吐露は、哲学の源泉みたいなもんです。
『ゼロ』の世界が哲学に通じているのを証明する、もう一つの根拠がここにありました。
歌詞は言葉数が少ないために、印象的な一方、どうしても説明不足になります。
バンプはまだ言葉が多い方ですが、それでも、表現が抽象的なので聴く側の力量が試されることになる。
そいつを粋な挑戦状として受け止め、お返しの解釈を練ってみせるのがバンプを楽しむ極意です。
続く(・・・サビまで行けなかった。次こそは)