「そうだよな。サエは、夜中に密会する生徒と付き合うような不良じゃない」
「まあ。私のこと、よく分かるんですね」
「分かるさ。俺は、君のことなら何でも分かる」
2人は見つめ合った。
「……サエ」
「篤志さん」
篤志がサエの手を握った。
「サエにはいつか……」
「篤志さん、後ろ」
「後ろ?」
場違いなサエの科白で、篤志は振り返ってしらけた。
「誰?」
ごめんなさい、こっちの人は……」
サエが説明しようとするのを待たず、
「サエさんじゃありませんか。奇遇ですわね」
先に答えたのは妙子であった。
「小野田妙子と申します」
こう挨拶してきた彼女には男の連れがいた。
「こんにちは。玉田といいます」
玉田製紙んとこの息子、留置所出てきてたのか……。
庶民の思うものを秘めつつ、篤志は2人に会釈した。
「こちらの方は?」
「知り合いの篤志さんです」
「そう。サエさん、元気にしてらっしゃる?」
「はい……」
「まさか、あなたに男性のご友人がいるとは知りませんでしたわ」
さて篤志、ここまでの短いやり取りで、サエと妙子の関係性におおよそ見当が付き、ちょっと愉快じゃない。
……学校での立場は、あっちが上か。
篤志は場を和ますつもりで口を開いた。
「玉田さん俺今、酪農場で働いてるんですが、朝は早いし、賃金は安いし。玉田さんとこの会社で雇ってもらえないですかね」
妙子は篤志の左腕に注目して、
「高文さん、荷物運びでだって役立ちそうにありませんわ」
「何だあ?」
「篤志さん……」
「うちは厳しいよ」
高文はボソッと言った。
「自分も『うちで働く前に外の世界を見ろ』って、父に言われるくらいだから」
「そうなんですね。じゃあ、俺なんかじゃ無理かなあ」
……ちっ、愛想良くしようとして損した。
篤志は、とっととお別れしてやろうかとむきにもなったが、待てよと考える。ここはせめて、
……男ではこちらが上だと知らしめてやるのが、彼氏たる者の器量ではなかろうか……などと。
篤志はいかにもわざとらしい、はっと仕方で、
「そうだ、妙子さんに玉田さん。ちょっとだけ時間あります?」
ところで、このとき。
……あの4人、どこ行く気?。
物陰に潜むスミレ、その視線の先に2組の男女がいる。
気付かれないよう距離を置き、こそこそする姿は彼女の自尊心にはまったくそぐわぬ、あらぬ醜態であった。
ここまで来て、もう引き返せない。
女の方は妙子にサエ。これは彼女にとって、てんであり得ない組み合わせなのだ。いぶかしく思った瞬間、彼女は後を付けずにはおれない。
意地の強さもまた、彼女らしさではあるが……。
……妙子の奴、私に内緒で手打ちでもしたの?
このときまだ昼前。母に頼まれたスミレが銀行で預金を下ろした帰りのことである。
さて、篤志たちが着いたのはとある農園。彼はサエたちを一つの牛舎に案内した。
「じゃあやるよ、3人ともよく見てて」
自慢げに言って、牛の乳を右手で掴んだ篤志、
「いち、に、いち、に」
と、手際よくミルクを絞り出していく。しばらく手本を眺めさせたら、
「分かった? では、みんなでやってみよう」
「嫌です。どうしてこんな……」
「文句言わない」
篤志は妙子の尻をちょいと蹴った。
「きゃあ! 何をするの!」
「ぶうたれてるからさ。ここでは俺の命令が絶対だ。ほら、手が止まってる」
「信じられません……」
妙子は嘆いた。
なぜこうなったかといえば、きっかけを与えてしまったのは高文だ。先ほど彼が父から、うちで働く前に外の世界を見てこい、こう言われてるのだと知り「是非手助けさせてください」篤志が申し出たのである。ついでに、「絞った牛乳は差し上げます。簡単なバターの作り方も教えましょう」とも付け加えて。
この提案、高文からすればまったく迷惑なものだったのだが、自分で口にした手前、むげには断りにくかった。誘った篤志にしても、まあ意地が悪い。けれど、そこは酪農家の端くれである。乳絞りの指導だけは、しっかりみっちりやるのだ。
「みんな、両手使えるくせに遅いな。玉田さんはもっと強く」
「か、感触が……」
「あんた、女の胸触ったことないの?」
「ちょっと、高文さんに変なこと仰らないで」
「はいはい。おっ、いいよ。サエはこつ掴んできたな」
「結構難しいです」
そんな彼らの姿を牛舎の隙間からのぞいていたスミレ。
……意味不明ね。
呆れてそろそろ帰ろうとしたときだ。
「おたく、どこの人?」
後ろから篤志に呼び掛けられ、彼女は思わず、飛び上がりそうになった。さらに、
「古谷先輩?」サエまでやってきてしまう。
「古谷? もしかしておたく、古谷炭鉱のお嬢さんか」
さてさて、こうして……。
「スミレさんが、なぜここへ?」
「た、たまたまよ」
篤志の思い付きで始まった乳絞りは、なぜかスミレも交え、にわかに活気付いてきたのである。