lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

【小説連載】刑事堀部(16)~翻弄 その5

あらすじ

疑惑の目を炭鉱業の源造らに向けた堀部だったが、そのころ町で騒ぎが勃発する。ある朝鮮人が、ソ連側のスパイと疑われ、島民らに襲われたのだ。見かねた青年・篤志が、どうにか朝鮮人を助け出し、堀部の家に一時かくまってもらう。そこを、かぎつけた1人の島民が襲い……。

 

……仕方ない……。

「死ねえ!」

男の形相と迫力に、篤志は思わず目をつむってしまう。

直後。

どん! どん!

篤志の耳に2発の轟音が響いた。

「堀部さん……」

「2人とも下がりなさい」

堀部は拳銃を構えたまま、ゆっくり、倒れた男に歩み寄った。畳にはどくどく血が広がっていく。

「堀部さん……」

篤志の体が震えた。

「……死んだ」

堀部は銃をしまい、2人を置いて表へ出た。家の周りには、何事かと近隣住民たちが集まっている。

「すいません、どいてください」

署と連絡を取るため、堀部は急いで車を出した――。
 

 

「えらい一日だった」

くたくたの署長と谷山が、同時に声を漏らした。この日、陽も傾きかけたころ、しっちゃかめっちゃかだった署内の片付けがようやく終わり、留置所に押し込んだ暴動の張本人たちもどうにか静かになった。

「お疲れ様でした。お茶どうぞ」

と堀部。

「君も大変だったな」

「署長、大変なんてもんじゃなりませんよ。こいつの場合、人を撃っちまったわけだから。大丈夫か?」

「平気だ」堀部は落ち着き払い、お茶を飲んだ。

「お前はすごいなあ」谷山は感服する。「あの2人は?」

「家に帰った。警察といるより安全だと言われたよ」

「面目ないねえ。しかしあの男、なぜお前のところだと分かったんだ?」

「よく分からん。漁師のにおいを追ったのか……」

「異常者の嗅覚って奴か」

「あれは異常者じゃない。恐怖に怯えただけだ」

「君たち、今回の事態は大変な失態ではあるが、これも戦争の非常事態が招いたことだ。あまり気にしちゃあいかん」

署長の言い方は、まるで自分に言い聞かせるようでもあった。

「あっちの事件の方は?」谷山が話しを変えた。「玉田高太郎以外には話を聞いたんだろ?」

「ああ。高太郎は今、この島にいない」

「これも偶然というか、何というか」

「……」

堀部によると、どうやら高太郎は7日に本土へ出張したきり、樺太に戻ってきていない。これを教えてくれたのが高太郎の息子・高文だった。火防の職務怠慢で堀部に一時連行された若者である。小野田達吉が自宅にいないのが分かり、次に高太郎宅に向かおうとした堀部は偶然高文と出会い、話を聞けたのだ。

ソ連のせいで戻ってこれない」

と、高文は言っていた。

おかげで堀部は二度目の空振りをせずに済み、まず達吉の会社に行った後、次に源造宅へと足を運んでみたのである。それにしても高文、職務怠慢の件は身に染みて懲りているようだ。

「彼女にも叱られちゃいまして……」

反省の動機はどうあれ、二度と間違いを犯さなければ、堀部にとってはそれが何よりである。

「ところで堀部君」と署長。「今朝の出勤については、君のこれまでの働きぶりと今日一日の苦労に免じて目をつむるが、車を傷付けたのはなあ……。高いんだよあれえ」

堀部は頬をかき、

「……申し訳ないです」

こうして、一日の混乱が終わり……。

真夜中。

 

寝床の篤志は、まだ起きていた。昼の興奮が冷めず、布団に横になるだけで、さっきから染みだらけの天井を眺めている。彼のこれまでの人生、でっかい喧嘩はあっても人殺しをしたり、目撃したりすることはなかった。

「……ふう」

ふと思い浮かべたのは楡井のこと。

……あいつ、大丈夫だったか……頭は悪いがいざというとき、頼りになる……。

次に尊史の顔が浮かんだ。篤志はその日たった1人、それも、他人が人を殺す場面に出くわしただけで、もう脚ががくがくしたのだが、

……あいつは今ごろ何人殺してる……。

時刻は回り、彼はようやく眠たくなってきた。そうして、すっかり眠りに落ちたとき。

こんこん。

「……」

こんこん。

「……うん?」

戸を叩く音で目が覚めた。

「誰だい?」

寝ぼけていたせいもあり、篤志はいつになく無防備に戸を開けてしまった。

「やあ」

「あんた……」

「こんな遅くにごめんよ。少し話せるかい」

訪ねてきたのは昼に助けた朝鮮人だった。

さらさら。

ふうう。

聞こえるのは川と風の音だけで、あとは人けのない川辺に2人は立った。

「今日は本当にありがとう。あなたの勇気に、感謝します」

朝鮮人が頭を下げた。

「またそんなことを言うために、わざわざ?」

「いや……明るいうちには、言いづらいこともあってね」

彼はかしこまり、

「僕は、スパイだ」

「え?」

篤志は、寝ぼけて耳が聞き取りづらくなったかと思った。

「ごめん。あなたを騙すつもりはなかった。おわびに今夜は、あなたを誘いにきました」

彼が何を言いたいのか、篤志は意味が分からなかった。朝鮮人はしれっとしている。辺りが暗くとも、その表情はよく分かった。

「この国は負ける」

朝鮮人はこう切り出すと、

「優秀な人材こそ、この国を出るべきだ」

とか、

「あなたには資格がある」

だとか、

「僕が、その手助けをしたい」

などとまくし立ててきた。

「あの男が撃ち殺される瞬間を見たかい? 僕は見たよ。爽快だった。ざまあみろだ」

最後に彼は言った。

「初めて会ったときから、僕には分かっていた。あなたは……」

次の日。

早朝、篤志が起きると楡井がいた。

「埋めといたぜ」

挨拶代わりに彼がこう伝えたのは、苦楽を知った者同士、せめてもの優しさからだったろう。

楡井からすれば、嫌な役目を押し付けられたものであった。真夜中に叩き起こされ、行ってみたら、死体なのだから。しかも、

一度助けた奴を殺しちまうとは。俺だってやったことねえのによ……。

こうして篤志と楡井、2人だけの秘密がまたでき上がった。帰り道、楡井は朝焼けにささやいた。

「そのうち借りは返してくれるんだろ、りぃ」

 

続く