ユーチューバ―の「やっちゃんねる」。
このところ苦戦気味だと、本人は考えているのかな。動画の再生数は安定していると、こっちは思う。
勝手な見立てだが、派遣の仕事を辞めて自由が増えたら、同時に一人の時間が増し、それが焦りを生んでしまう可能性はあるかもしれない。
これも勝手な見立てだが、時間の使い方が変わると、真面目な人ほど「これでいいのか?」などと自分で自分を批判してしまうもの。
焦燥感から、とりあえず行動に出たらなお厄介で、周りの人間は思慮に欠けた突発的な振る舞いとみなし、「あの人は変わってしまった」なんて、知った風なセリフを吐く。
違うのだ。
当初の「思い」が変わらないからこそ、時宜に合った「思い」の表現はどうすべきかだろうと、人は悩む。
「志は変わらずとも、その働きは時代によって変わる」と言ったのは福沢諭吉。変わらない(変わりようがない)思いを抱えて生きていくためにはどうあるべきか、そのことために、人は表面的な行動を変えていく。
明治人がとっくに了解していたこの心理を理解していないと、多くの場合、人の評価を見誤ってしまう。
その意味では、「やっちゃんねる」に変化は感じない。今後の動画作りで試行錯誤している感はあるが、それは環境の変化がもたらす、当然の働きの変化だろう。
その過程を曝け出されて戸惑っている視聴者が、もしいるとしたら、人格の修練が足りない証拠。よほど平和に、大して頭も使わずに生きてきたのか。自分自身の悩みが薄味だから、複雑な味がする他人の真意を推し測ることができない、と思ってしまう。
こうした、真意を見極める認識力の欠如は現代日本人に顕著。
例えば、ビニール袋。
今日、雨の中スーパーに買い物に行ったが失笑した。
レジ袋に関しては環境保護だか何だかの理由で有料化され、エコバッグ持参が推奨されている。
にもかかわらず、濡れた傘を包むビニール袋は相変わらず無料で大量に提供され、来た客はおろか店員だって誰も疑問に思わず、ビニールを消費してるじゃない。
同じビニールだろうに。
レジ袋はまだ使い回すこともできるが、傘の袋は無理だ。完全な消耗品。なのに、その消費には誰も疑問を持たないのだから、この国の人間たちの知性はヤバい(と批判されても仕方ない)。国から「レジ袋はダメ」と言われたら素直に従うものの、真意がまるで分かっちゃいない、というよりおそらく、考えようとしたことすらないのではないか。
大半がこんな連中で占められているのは、ユーチューブだって同じだろう。だからユーチューブで人気を得て稼ぐってのはホント大変だ。
逆に、「やっちゃんねる」はその障壁を一つ超えてみせたのだから、誇りに思っていいんじゃないか。(それは言わずもがな、か)
自分も触発されて動画作ってみたり・・・。こっちは完全な馬鹿です。
いずれにせよ、ようやく手にした新しい時間。「やっちゃんねる」には思う存分味わいながら、やりたいように動画を上げてほしい。
自分と向き合う姿勢を忘れなければ、大きく道を外すこともないだろう。
無責任で偉そうな言い方かもだが、そう感じる。
最後に、観る側としては、一度気になった人を常に気にかけ続けるのは無理だとしても、折に触れ立ち寄ったり、思いを馳せたりするのは、勝手に気になった側のせめてもの義務ではないか。
タダで観させてもらってるんだもの、それくらいの義務感、低きに流れやすい小市民の戒めとして、持ってはいたいかな。