世界各国に何千何万といるだろうユーチューバーたち。
彼らはなぜ、ユーチューバ―になったのか。
その理由の中に、必ずランクインするであろう一つの答えに、思い当たるものがある。
牙狼『VERSUS ROAD(VR)』の世界では、あの南雲太輔も動画投稿で身を立てていた。
「 Hello World」はそんな彼の常套句でもある。
私が考える、彼らに共通するもの。
・・・自分の内なるセンスを世間に知ってもらいたい。
僭越ながら、こうした先入観で私は彼らを見ています。
ユーチューバ―に限らず、作家、画家、タレント、役者、ダンサー、ミュージシャン、コメディアン、ブロガーなど、自分のセンスを切り売りすることで金銭を稼ぎ、生きていきたいと願う人たちは数多くいる。
いずれも、会社勤めには興味がない、そんな場所では本気になれない人たち。
力を注ぐのは、明日の自分の魂を今日よりわずかでも高尚な位置へ引き上げること。
活動の分野は違えど、彼らの関心はこの一点に集約されるのではないか。
立派な生き方だと思うし、それを実践できているごくわずかな人たちには敬意を表する。
同じ一員になるため、南雲も頑張っていたはずだ。
そんな最中に迷い込んだVRの殺人ゲーム。
最初こそビジネスチャンスの予感もよぎったろうが、結局は糞っ垂れのゲーム。
けれど、それゆえ気付かされることも多かったと察する。
死への危機と恐れの裏で、今までにないほど感覚が研ぎ澄まされていく自分の姿に戸惑ったとしても不思議じゃない。
・・・今の感覚があれば、きっと次のステージへ進める。
そう思ったら、誰だって死にたくはないでしょう。
空遠の腕の中で最後の一言、「死にたくない」と残したのは、死ぬのが怖かったというより、今の無念をせめて誰かに知らせたかったからではないだろうか。
南雲には、このゲームを生き抜いた先の自分の姿に期待があった。だから、今ここで死んでしまうのはもったいないし、悔しかったのだ。
この無念を、邪念とは呼ぶまい。
さらに後付けで解釈すれば、牙狼の鎧を巡るゲームは、結果として南雲の死期を早めたものの、邪念を吸い続ける鎧が彼の邪念を取り払い、成長を助けていたようにみえなくもない。
人生の始まり方はさまざま、終わりは一瞬。
彼の場合は、囚われの籠の中、新たな世界の扉を垣間見た直後に死なねばならなかった。
おそらく後にも先にも、牙狼シリーズで彼以上にこの言葉が似合う者は出てこない。