戦場と濡れ場。
この二つのワードから連想するものは? と問われ「慰安婦」と答えた方には注意を払っておきたい。
この場合の「注意」には、二つの意味を込めた。
理解と警戒。
慰安婦の実態をどう捉えているかによって、その使い分けがなされる。
例えば、「慰安婦は性奴隷であり、軍による強制連行もあったのだ」という考えは、異常性の主観的決めつけが激しく、警戒。
一方、「平時の公娼制度における民営の娼館が軍の監督下に移行したものが慰安婦」とする見解には、当時の社会構造の背景まで考察が及び、客観的な理解を覚えるものだ。
歴史家ではないのでこれ以上の説明は避けるが、非常時における性被害は、いつの時代、どの国でも起こり得る、起こってきた問題であり、戦中の日本がことさら悪魔じみていたなどという糾弾に対しては、まず疑ってかかってみるのが自然ではないか。
今や慰安婦を巡る歴史の真相は、ようやく育った性と暴力に関する現代人の認識を汚さぬよう、永遠に解決されない(してはいけない)コールドケースに成り下がったと言える。
しかし、戦場で起こる性愛はすべてタブー扱いされるものではない。
「生きるために戦え」
前回紹介した牙狼『VERSUS ROAD(VR)』11話、「LAST STAGE」における朱伽のセリフ。
ちょっと燃えた。いや、萌えた?
死が目前の戦闘直前、それまでそっけない態度だった女性に突然あんなこと言われたら、誰だってピリッと反応しそう。
葉霧とアザミの操り人形かと思われた彼女。
葉霧が言ったように、空遠たちに「感化」され、意識が変化しだしたのだろうか。
「争いと邪念に満ちたこの醜い世界に、ガロはいなくなった」
一見冷たい女性の特徴として、話す内容が結論ばかりで理由や意味に触れない点が挙げられる。
今回、非常に抽象的ではあるが、彼女は初めて意味を口にした。牙狼不在の意味。
思うに、言動の裏にある動機の意味が知られることで初めて、人は説得力や信頼を手に入れます。
当然動機にもよるのですが、自分のためだけではない動機なのであれば、受け入れられる可能性は高まってくる。
それが人格の正体。
彼女の場合、そもそも人間かどうかもまだ分かりません。
ただ、仮に人間だったとして、厄介な人格破綻者でないことだけははっきりした。
世界を「醜い」と表現したあたりはかなり人間臭い。
だから余計に、グラッとくる。
空遠たちの真剣で悲壮な戦いが、やはり彼女を変えたのか。
生き死にの間で勇気を振り絞る男に、女は安らぎを与える。
男もまた、生き死にの間で安らぎを求めて女に惚れる。
異常事態で燃え上がる男女の性愛の理由を簡単に説明したら、こんなところ。
空遠たちが実際朱伽に惚れるかどうかはともかく、彼女の言葉が背中を押したのは間違いなさそうだ。
直接的な愛ではないにせよ、あの瞬間、その場にいた者たちにしか分からない精神の交流が生まれた可能性については、「あった」と答えたほうがドラマチックに花が咲く。
こうした関係性は何度でも観られるし、誰にでも感想を語れるからいい。
リアルな濡れ場が始まっちゃったら、親・兄弟とは観られないだろうし、語れる相手も限られてしまう。
戦場と濡れ場。
それぞれの意味さえはき違えなければ、悪い組み合わせじゃない言葉だ。