「ガロ」は魔界語で「希望」の意味。
牙狼がいない世界。それはつまり、世界から希望が失われたのと同じ。
なぜ希望が失われたかといえば、今の世界が希望を語るに値しないから。
そんな世界で、「最後の一人になるまで戦え」と言われたらどうする。
自分だったら、最後の一人になる前に、この世とおさらばする道を選びそうだ。
だからこそ、
「この世界を壊す!」(空遠世那)
牙狼『VERSUS ROAD(VR)』11話、「LAST STAGE」・・・。
そのラストシーン。結末は次回に持ち越しとなったが、空遠はきっと天羽涼介を斬らない。
南雲のおかげで、空遠は「怒り」にも種類があることを悟ったと思う。
はっきりしている。
「怒り」がすべて邪心につながるわけではない。怒るべき時、誰かが怒ってみせなければならない時はあるのだ。
人の邪心を集め「牙狼を凌ぐ鎧を造る」などという身勝手な目的のため、何人もの命を奪ってきた奴らに対し、「怒るな」というほうが馬鹿げている。こうした輩を叩くには怒りを示すしかなく、それが真っ当な行為であるのは疑いない。
「陰我? くだらねえ。弱い心はお前だ!」(南雲太輔)
彼がこと切れる前、アザミに向かって吠えたこのセリフが核心を突いたと思う。
望んでもない戦場に放り込まれたあげく、生き抜くために必死になったら、今度はその心を「陰我」扱いされる始末。
確かに陰我は陰我なのだろうが、他人の策略で強制的に生産させられた陰我を陰我と呼んでもいいのだろうか。
この場合、「陰に潜んだ我」というより「陰に連れて行かれた我」のほうが適切だ。
ホラーにそんな区別はないだろう。けれど、人間にとっては品格に関わる重要事項。
たとえ陰我を抱えていても、それ以上の矜持を持ち合わせていれば、人としては十分上等な部類のはず。
南雲はそのことを叫びたかったのではないか。
南雲の死後、空遠は存分に怒った。怒って天羽と戦う。
当然、その怒りは天羽への怒りなどではなく、この腐ったゲームと首謀者に対するもの。
そこは天羽だって同じ。
途方もないゲームを壊すには、相応のエネルギーが要る。
例えば、首謀者の「理性なき理想」を上回る「理性ある怒り」が必要だ。
怒りを高めるため、同じ思いの二人が互いを鼓舞し、互いのステージを引き上げる。そうすることで巨悪を討つ力を得る。
空遠と天羽。二人は、本来闘う必要のない者同士が最後に戦う意味をそこに見出したのではないか。
そう考えれば、操られることに抵抗しているはずの二人が、ああも激しく吠えて戦った訳を理解できる。
だから、空遠が天羽を殺す必要はない。狙いは達成された。
空遠は一皮剥け、ゲーム参加者の中で最も強い闘士となったはずだ。
「生きるために戦え」(朱伽)
今思えば、冒頭の彼女のメッセージは、皆に少しでも生き永らえてほしいために出た思いやりの言葉ではなく、冷静な予言だったようにも聞こえる。
11話、「LAST STAGE」。このタイトルは、本当のラストステージ(12話)に臨むための準備を意識した命名だったと言えるのではないか。
香月貴音が倒れたのは個人的に残念。
「楽しいなんて感情は忘れた」
よく分かるよ。こっちも「100%楽しい」なんて感情、久しく感じてない。
実はVRの登場人物の中では彼が一番、現代のリアルに寄ったキャラクターだったのかもしれない。
親の虐待、殺人の過去。
こうした現実でも頻繁にみられる負の側面を彼は一人で背負っていた。過激な人物設定でしたが、それゆえにリアルの象徴だった気もしている。
「生き抜くにはこうするしかなかった」
このセリフも印象的。冴島雷牙のと似ていた。出した答えは全然違いますけどね。
参考記事⇩
さて。
VRもあと1話で終わりか。
放送を観ながら食べた餃子の味はイマイチだったな。
最終話の時くらい、食にも気を遣うか。
11話関連の別記事⇩
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