「配られた地図がとても正しく どこかへ体を運んでいく」(BUMP OF CHICKEN『ゼロ』より)
これもよく分かります。
要するに、世間一般に通じているとされる価値観や、常識(悪習含む)の「正しさ」には容易に抗えないということでしょう。
「体を運ぶ」という表現は丁寧でうまい言い方。
体は無理矢理運ばれてしまった、では、心はどうか?
こうした問いが暗に示されている。
単純な解釈ですが、ここはシンプルに捉えて問題ないと思う。
ちょっと頭を使いそうなのは次の歌詞だ。
「聞かせて ただひとつのその名前を」(同)
・・・その名前。誰のことか。
前回の考察で、「速すぎる世界で はぐれないように」という部分の歌詞は、「(自分が自分自身と)はぐれないように」と理解すべきじゃないかと指摘しました。
その延長で考えると、「その名前」とは、「自分自身の名前」を指していることになりそうです。
自分自身(自分の心と体)が二つに別れないように、心は体に、体は心に向かって、自らの名前を呼び続ける。
こうした流れを受けて、サビの叫びへとつながるわけだ。
「終わりまであなたといたい」(同)
『ゼロ』は一貫して自分自身のことを歌っている(と思う)のですが、これは凄いことです。
自分の存在を体と心に分け、互いが互いに語りかける。そのため、登場人物が二人いるかのようにも見えるのですが、登場人物は実はずっと一人。映画や小説ならともかく、歌詞には珍しいファンタジックなストーリー構成でしょう。
「終わりまであなたといたい」。言い換えれば、「自分を忘れず、ずっと同じままでいたい」みたいなことか。
仮にそうだったとして、ここまで「個」にこだわる理由はなんだろう。
時が流れれば、物事も変わりゆく。人も文化も社会も国も、ずっと同じであり続けるのは難しいものです。
それでも「個」にこだわる理由。
一言で「個」と言っても、その「個」を凝視すれば、実に数多くの人格が積み重なったり、引っ付き合ったりしてでき上がっているのが分かる。
いわば、その「複数の個」の中で、これだけは絶対に譲れない、変えさせないもの一つを指しているのであれば、こだわる理由を理解できそうだ。
自分自身の大半は変わってしまうかもしれないが、ここだけは変えない、守り抜く。
諸行無常の世の中で、なおも不変で、絶対的な価値が己の中に確かに存在するという感覚。そんな確信に突き動かされている。
だから、
「何と引き換えても 守り抜かなきゃ」(同)
となるのではないか。
守り抜く・・・。この言葉は好き。
自分が存在する理由。その理由を守るためなら、どんな手段でも使う。それが自由。
こんな類の自由論が好みだからか、自分の場合、「勝ち抜く」より、「守り抜く」の方が性に合ってる。
バンプもそうなんじゃないかな。
『ゼロ』を通じて勝手に高まるバンプへの親近感は、とにかくハンパない。
考察はさらに続く予定。