今日は暑かった。
そんな日に、仕事である街の駅前に降り立った私。
昼食を取ろうと、駅から真っ直ぐ伸びる大通りを歩いた。
日差しは燦燦と照り、日傘を差すご婦人の姿もちらほら。
あー、早く冷房の効いた店で冷たいものが飲みたい。そう念じながら歩いた私。
しかし、店が全然ない。
目につく看板は古ぼけた洋品店に雑貨屋、それに開店前の居酒屋やスナックばかり。
マジか・・・おっ。
ようやく飲食店を見つけた、と思ったら、そこは焼肉屋。
違うよ、もっとチャチャっとしたものがいいんだ。
またしばらく歩いた私。
さすがに不安になってきた。駅から5分近く歩いて店が何もない状況に、不安にならない人がいるだろうか。
我慢できない空腹というわけではなかった。とにかく外が暑く、涼しい空間に滑り込みたかったのだ。
・・・焼肉屋で妥協しとくべきだったか。
後悔の波動がよぎり出した時、ついに発見した。後悔とは発見の予兆である、とは誰が残した言葉だったか。いや、きっと誰も残してはいない。こちらの妄想だ。
見つけたのは、豚カツ屋。
本音を言えば、もっと焼肉の路線から離れたさっぱりしたメニューの揃ったお店がよかったのだが、これ以上歩くのも嫌だったから、妥協した。
650円の豚カツ定食を頼む。
正直、味は微妙。肉は柔らかいが脂身に臭みを感じる。揚げた油が古いんじゃないかと疑う私。付け合わせのキャベツやマカロニサラダも食感がよくない。何より、お冷やがちょっとぬるかった。
しかもタオルがあっちい。
ガックリである。
店内では、常連であろう男性客が一人、昼からビールを傾けていた。
羨ましいじゃない。
その男性が、行きつけのスナックの女の子のために通い詰めてる話をしたら、店主の女性から「駄目じゃない、このご時世に」とたしなめられる。悪気がありそうでないような顔で笑う男性。
私は、志村けんを連想した。
おそらく、この日のこの瞬間、日本で志村けんを思い出したのは、私だけだったのではなかろうか。
スナックよ、永遠に。
そう願い、早々に退店。
体温だけはやや下がり、目的地まで再び歩く。
そこで間もなく、目を疑った。
癒しのワードが飛び込んできた。中華屋である。豚カツ屋のほんの先に、こんな場所があったとは・・・。本当は、こういうのを欲していたのだ。そう思い、頭を掻きたくなった。
もう少し我慢していれば、出会いを信じて歩いていれば・・・。
満足して豚カツ屋を選んだわけではない。
覚悟の妥協であった。
しかし、いざ目の前に冷やし中華が現れると、覚悟の壁には無数のひびが入り、己の運のなさを呪う羽目になる。
覚悟を決めることが、必ずしも最善の選択につながるとは限らないという教訓だった。
信じる勇気が自分には足りない。
そんな熱い思いが・・・芽生えたわけではない。
今日は暑かったのだ。
暑い日は屋内にいたいと、だらけた自分を再確認しただけのことである。