eichi_katayama blog

確かかなと思った言葉を気ままに。あと、ヤフコメアーカイブ

戦争を伝える・・日本人の多くはきっと予選敗退

過去の戦争、これから起こりうる戦争について現代人に考えてもらうためには、単に戦争の暴力性や悲惨さを示すだけではダメ。

過去の戦争であれば、当時の国際情勢、国家事情、その時代の価値観などに入り込み、現代の感性で断罪しようとしない態度が求められる。

というか、歴史観はこれしかない。

いくら技術、サイエンスが発達しようと、この歴史観を体得できないようでは現実の力は無に等しい。

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頭のおかしい奴らがある日、急にプッツンし銃火器、戦車、戦闘機を振り回して戦争が起こるわけではない。

全てに成り立ちがある。

だから成り立ちを知ることで、いや、そうすることでしか戦争回避の知恵は得られない。

多くの日本人のように、戦争は穢れたものだからダメ絶対、みたいなスピリチュアルな心象風景に偏ったスタンスでは、必ず飲み込まれる。

それも知らず知らずに。

気づいた時には、それこそ自己責任、バカが見る豚のケツだ。

 

難しいのは、今の時代は、ただドンパチ始めることだけが戦争の形態ではなくなっていること。

サイバー空間を含む、あらゆる経済・社会モデルの中で、紛争状態が用意され、知らないところで常に進行している。

中東やウクライナは見た目に分かりやすい方だろう。

だから、私たちは戦争を二度と起こしません、といった、あたかも今の自分たちは戦争と無関係であるかのような無害無実のお気持ちでいるのではなく、毎日が戦闘準備の瀬戸際まですでに来てしまっているという、真に現実的な謙虚さを持たなければならない。

 

・・と言ってみたところで、話を聞かない、聞いても理解しない、理解しても無視する勢力が恐らく大半でしょうから、戦争を伝えるという教育、働きにおいて、日本人の私たちはきっとやっぱり、予選敗退です。