lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

〈小説〉シベリアン 2 『頭の使い方で注意することがあるとすれば、まずは、何のために生きるかではなく、何をするためなら生きられるかと考えてみることだ』

「兄さん、この二人どうしたの?」
「どうも最近な。俺も困っているんだが、そういう時期なんだろう。お前は少し年が離れているから分からないかもしれないが、俺と有次の奴も小さい頃は、寄ると触ると喧嘩ばかりしていたもんだ。それを姉さんがよく面倒臭そうに睨んでいたよ」
「その二人はまだ姿が見えないけど」
「もうじき来るだろう。のんびり待ってればいいのさ」
「ふうん。二人とも、俺や一平兄さんと違って時間にはルーズな性格だからね。おい洸助、お姉ちゃんにちょっときつく当たられたからって、しょげるんじゃあないぞ。仮に今は夢がないとしても、そんなものはいつ、どんな形で首をもたげるか分からない。俺もそうだったよ。一つ、こつというか、頭の使い方で注意することがあるとすれば、まずは、何のために生きるかではなく、何をするためなら生きられるかと考えてみることだ。そうすることで俺は、心が多少楽になった気がしたよ。何のために生きるかは、そこからゆっくり考えればいいんじゃないかな」
「うん、分かった」
「本当に分かったの? あんたなんかに承三郎おじちゃんの言葉を理解できるとは思えないけど」
「おいおい」
 ここで洸助は内心ほくそ笑んだ。もう十分だろう、ここいらで隠し玉を披露してやる。
「おじいちゃん、僕、おじいちゃんに渡したいものがあるんだ」
「ほう、何だいそりゃあ?」
「先月お誕生日だったでしょ。だから……」
 そう言って洸助は、自分のバッグからラッピングされたプレゼントの袋を取り出した。はにかんだ表情で時高に手渡す。
「これはこれは、どうもありがとう。中身は何だろうな、開けていいかい? おお、温かそうな手袋じゃないか。今の時期にぴったりだ、こいつは助かる」
「へへへ」
「この子、お義父さんのところへ行くと決まってから、ずっとプレゼントを渡したいって話していまして」
「父さん、いつくになったんだい?」
 一平がお茶を片手に聞いた。
「六十九よ」と清子が先に答える。
「はっきり言って俺、父さんの誕生日なんて忘れてた。お前偉いな、その年で抑えるところはきちんと抑える奴だ。そうしたいいところは、失くさずに伸ばすんだぞ」
 承三郎に頭を撫でられ、洸助はまた恥ずかしそうにした。
 これが面白くないのは春香だ。……プレゼントなんていつの間に。しかも、今の今まで周りに分からないようにしていたなんて。
春香の強気がちょっぴりしぼんだ。
「自分の誕生日なんて、自分でも忘れていたくらいだ。清子が教えてくれなかったら、まさに忘却の彼方、二度と戻ってこなかったかもしれん」
 時高は、何気なく剥いた蜜柑を春香に差し出した。小さな二つの掌に乗っかった蜜柑は、わたまで綺麗に除かれ、春香の柔らかい肌にぴたっと馴染んだ。「ありがとう……」と春香はうつむく。
「表の雪は、少しばかり強くなってきたか。承三郎、さっき一平には話したが、近いうちに……」
「あなた、表に車が。あれは、麻美たちが来たみたいですよ」
 清子が腰を上げた。
同時に、なぜか春香と洸助が顔をしかめる。二人の頭にはこれからやって来る、いとこの男の子の顔が浮かんでいる。
 玄関の戸が勢いよく開いた。
「ただいまー、もう、外は寒くて冷たくて最低ね。雪なんか大っ嫌いだって改めて確信したわ。子供の頃あった純粋無垢な感情なんて、もう私にはないのかしらねー。それはそれで寂しいのだけど」
「麻美、玄関はちゃんと閉めて頂戴ね」
「はーい。ほら浩志、しっかり挨拶しなさいな」
「お祖母ちゃん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「丁寧に挨拶できて偉いわね。今年はもっと遊びにいらっしゃい」
「お義母さん、明けましておめでとうございます。ご無沙汰しております」
「広志さん、あなたまた太ったんじゃない? お顔の形が以前と違う気がするわ」
「いやあ、マスコミの仕事はストレスが多くて。ついつい飲み食いし過ぎてしまうんですよ」
 麻美の夫、広志はそう言いつつ、ポケットからチョコバーを取り出す。
「姉ちゃん、こんちわ」
「まあ、嬉しい! 私の可愛い承三郎がいるじゃない! ああ、どこぞの訳の分からない国に行くなんて言い出したあの時は、涙が枯れるくらい悲しかったけど、元気でやってるの? うん、そんな感じね。正直言って、私にはお父さんの元気な姿を見るより、今こうして承三郎に会えたことの方が、ずうっと嬉しいわ」
 麻美は力一杯、承三郎を抱き締めた。
「よしてよ姉ちゃん、ガキじゃないんだから」
「馬鹿ね。あなたはいつまでもいつまでも、年の離れた可愛い弟なんだから」
「承三郎君、向こうでの話、俺にも色々聞かせておくれよ」
「飯を食べて、調子が良ければいつでも」
「まあ、その時は私も聞かせていただきたいですわ」
 陽子は胸の前で両手を組んだ。
「あとは有次のところだけか。あいつは昔からとろくていかん。仕事でも家庭でも、色々な好機を逃がすことにだってなりかねん悪癖だというのに」
「それが人への優しさに繋がってくれればいいと、常々思っていますけど。あら、あなた、その有次から電話がきましたよ。はい、もしもし。……ええ、うん、あらそうなの? それは残念ねぇ。あなたのとこ以外はもうみんな来てくれたのよ。あなたに会うのも楽しみにしていたのだけど、仕方がないわね。お大事に、あなたもしっかり看病してあげるのよ。うん、それじゃあね……。あなた、和葉さんが熱を出して寝込んでしまったそうで、今日は来られないそうです。明日もどうでしょうか、具合次第ですね」
「風邪か?」
「だと思うということでしたわ」
「その風邪にはいつ罹ったんだ? 十分前か? 五分前か? 相変わらずあいつは、来られないなら、どうしてもっと早く連絡を寄こさない、待っているこっちの身にもなってみろと言うんだ」
「顔を出したい気持ちがあったから、すぐに連絡できなかったんじゃありません?」
「どうだかな。あいつら夫婦とは特に縁が薄いのは確かだ」
「まあ。お正月早々、そんな不吉なこと言わないで下さい」
 時高は不機嫌そうに、また片脚をかばって立ち上がった。
「どこへ行くの?」
 清子が不安気に聞く。
「ただのトイレだよ、お茶を飲み過ぎた」
 時高が重そうに廊下を歩く音は、リビングの家族をいささか緊張させた。
「お父さんったら、すっかりご機嫌斜めね。気が長いようで短気なところは昔から全然変わってないんだから。脚の怪我もその気質のせいなんじゃない?」
「有次の奴は、姉弟で一番近くに住んでいながらろくに顔も出さないから、父さんも不満なんだろう」
「一平、そうやって物事分かった気になって話してると、そのうち自分に返ってくるわよ、何も分かっちゃいなかったってことがね」
「姉さんに言われたくないな。自分の方こそどうなんだい?」
「私はいいのよ。昔も今もこんなものだもの。私に足りない分はね、この男が補ってくれることになってるんだから」
「おいおい、丸投げは俺だって嫌だよ。一緒に切磋琢磨、頑張っていこうよ」
「その夫婦観は立派ですけれど、広志さん、そのチョコレートあなた何本持っているの?」
「なあに、ほんの十本程度ですよ。お義母さんもお一つどうです?」
「間に合ってます」
「こちらのご家族はみんな、いつ見てもスマートですよねぇ。うちの親族なんか、どいつもこいつもデブと禿げばかりで、おっと禿げは関係ないか。やはりあれですか、家族の日々の食事にはかなり気を配っていらっしゃる?」
 広志はマイクにでも見立てたつもりか、食べかけのチョコバーを陽子に突き出した。
「ええ、それなりには……」
「というと?」
「大したことは。栄養のバランスを考えたものを出しているだけです」
「具体的には?」
「急に言われても……」
「ぱっと思い付いたことでいいんです、ぱっと出てきたお言葉を頂戴したい」
 ……もうやだわ、この人。陽子は、目線で周囲に助けを求めた。
「人の嫁に馬鹿なことしてんじゃないわよ。そんな調子だから近頃のマスコミは、マスゴミだなんて揶揄されるの。ごめんなさいね陽子さん。その汚いチョコレートとっとと下げなさいっての。浩志、お父さんからチョコレートは全部取り上げて、子供たちで分けちゃいなさい」
「はーい」
「そんなあ、あんまりだよ、お前」
 浩志はチョコバーを一人二本ずつに分けた。「どうぞ、早くお食べよ」とでも言いたげな得意気な顔を春香と洸助に向けながらだ。
二人は躊躇した。なぜなら、ここで安易にこの「お裾分け」を受け入れたら、あとで見返りを要求されるに違いないと分かっている。
春香と洸助の意識がシンクロした。
 あれは一年前の夏、家族旅行の帰りにたまたま伯母さんの家に寄った時のことだ。両親同士が雑談していた中、浩志から「ゲームをしよう」と二人は誘われた。プレイしたのは複数のキャラクターが同時に参加できる格闘ゲームで、春香と洸助も持っていたゲームであったため、なかなか白熱した対戦が続いた。しかし、これが浩志の気に障った。ゲームの持ち主である自分が、いとこ二人を圧倒できるはずと踏んでいたからだ。苛立ち紛れに浩志は「ねえ、飲み物持ってきてくれない?」「お菓子がさあ、お母さんたちのところにあると思うんだ」「これ俺のゲームだからね、そのくらい頼むよ」「今度うちに来る時はさあ、ゲームソフトの一本くらい持ってくれば?」などと威張り出し、春香たちは甚だ気分を害することになる。さらに帰り際、「僕のおかげで楽しかったでしょ? 僕がそっちに行く時は楽しみにしているよ」とまで言ってくる始末だった。
このいとことの嫌な思い出は他にもあるのだが、楽しい夏休みに水を差された記憶がまずは一番手で、二人の脳裡に蘇っていた。
 そこへまた、時高の重い足音が響いてくる。
「便座を温めるスイッチが切れていたよ、冷たくてびっくりした。あれは本当に心臓に悪い……うん? 糞っ、この暖房め、今日は調子が良いかと思ったら、人が用を足している間にまた切れているじゃないか」
「暖房? ああ本当だ。気付かなかったよ、どれ」
承三郎はエアコンのスイッチを入れ直してみた。
「駄目なんだそれじゃ。一度こうなると、こいつは坊主のように頑なに首を縦に振らん。家を壊す前に、まずはこいつの息の根を止めてやりたいくらいだ」
「家? 何のことだい?」
「有次には、またあとで話さないとな。茨城のあの家は取り壊して、土地を更地にして返すことにした。使わないものをいつまでも抱えているわけにもいかないからな。三が日が過ぎたら解体業者が来るから、それで……」
「あなた、何度も言いますけど、お義母様は……」
「それはもういいんだ、夕べの話は酔っ払いの妄言だったよ。これは俺が決めること、決めていいことなんだ。法律的にどうのこうのというのでなく、あの家を建てたのがたとえ、ばあ様であっても、あそこで生まれ育ったのは俺だけだから。もしかしたら、お前たちに協力を頼むことはあるかもしれんがね」
 時高は食べる気もない蜜柑にまた手を伸ばした。
「……そんな協力、頼むことがあるものかい」
 このしゃがれ声に、リビングにいた一同の胸が同時にどきっとする。
「こっちは賑やかだね、すっかり目が覚めてしまったよ。おい承三郎、そこのクッション取っておくれ」
「お祖母ちゃん、どこに座るの? そこ?」
 ミネは承三郎が出したクッションに腰を落とした。「あたしのお茶は?」と言われ、清子と陽子がすぐに用意する。
「ばあさん、聞いていたのかい?」
「年を取ると耳は遠くなるけど、悪口は良く届くからね。しかし、あの家のことで、あたしを部外者扱いするとはねぇ」
 時高はテーブルに蜜柑を戻した。
「傾聴に値しないことばかり言うからだ。一度は賛成しておいて、やっぱりあの家を残す、それも直して一人で住むなんて、俺たちだけじゃない、地主だって認めやしないだろう」
「やってみなければ分からんさ。駄目なら、別の道を考えるだけだね」
「だからだよ。その別の道をこっちで考えてやったっていうのに」
 リビングに冷たい空気が漂った。実際、エアコンは停止したままだったから、室温は徐々に低下していった。
「どうにも薄ら寒いね、この部屋は。承三郎、あたしの隣に来な。あんたの体温でお祖母ちゃんを温めておくれ」
「うん」
「一平、二階に使ってない灯油ストーブがあるから、持ってきておくれ」
「了解」
「麻美よ、そこのお煎餅、一枚取ってくれるかい?」
「はーい」
 承三郎たちはミネの指図通り、ぱぱっと行動する。これが、子供たちには意外というか新鮮だ。ついさっきまで堂々としていた大人たちが、まるで自分らと同じ子供のように映る。
「時高よ、あの家の解体にあたしは反対だ。もっと早くに気付けば良かったが、お前の考えには重大な欠点、欠損があるとあたしは思うよ。少なくともそれを改めるまでは、賛成なんてできやしないね」
「まったく何だってんだ、一体何のことを……」
 外では、脚を折ってまで成した時高自慢のガーデニングが、すっかり雪に埋もれてしまっている。
洸助は窓ガラスの曇りを手で拭き、また外を眺めた。
よせばいいのに、犬の散歩なんぞしている男性がいる。この時間に散歩をするのが変えられない習慣なのだろうか。転ばなければいいけれど、と心配していた矢先、男性が転んだ。洸助はふっと笑ったが、男性はなかなか起き上がらない。犬が不安そうに主人を見つめ始めたのが遠目からでも分かった。洸助の指摘で、一平と承三郎が表に出た。しばらくして救急車がやってくる。
「元日から、運のない人もいるのね」
 麻美をはじめ、救急車を見守る近所の人たちが一様にそうつぶやいた。