lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

気紛れ更新‼〈小説〉シベリアン 1 『せめてこれからの男の子には、勇気を持つことに臆さない強い心を持ってもらいたいものですわ』

シベリアン

 

         一 帰国

 

 効きの悪い暖房に頼るしかない一室で、藤原時高は酔っていた。酔った方が、縦横無尽に思考が巡る気がしてしばらくそうしているのだが、肝心の答えは、考える前から決まっていたとの思いを改めて確認しただけで時間が過ぎる。

天気予報によると、明日は雪が降るらしい。

時高は、この部屋の暖房を心配する気持ちの方がしだいに強くなり、ボトルの中の酒もすっかりなくなったところで、妻の清子が入ってきた。

「さっき子供たちから連絡がありましたよ。明日は雪の恐れがあるけれど、みんな来てくれるそうです。ただ、あの子の場合は海外からだから、少し遅れるかも知れないですねぇ。家族が揃うのはいつ以来でしょう? 私なんてどうにも気負ってしまって、色々と買い揃えてしまいました。あなたはまだ飲むつもりですか? それなら私も一緒に」

「そこの棚にもう一本、グラスもあったはずだ。そうそう。もっとこっちへずれた方が座りやすいか。……お前は子供たちに会えるのが嬉しいんだね。自分は、少し憂鬱な気分だな」

「まあ、どうしてです?」

「うん……。ここは冷えるだろ、これを」

「ありがとう。はい、乾杯。ふう、このお酒は結構強いんですね」

「そう言って、お前は何でも飲めるからな。子供たちとは、別に会いたくないというのではないんだが、会ってどうなるというか、あいつらにも自分たちの生活があるからな。それに専念してくれればいい。こちらのことを、わざわざ気にして来る必要もないんだよ」

「私は少し違う意見を持っていますよ。だって、怪我をした父親のことが気にならない子供なんてのがありますか? 普段は頻繁にやり取りしないからこそ、いざという時は当たり前のように顔を見せるものですよ。あなたとは若い頃から色々な思い出があるけれど、その暮らしで得た一番の宝物は、やっぱりあの子たちです。孫たちも可愛いですけどね。けれど我が子のこととなると、どうにも自制が利かない自分がいる気がして、だから会えるのも嬉しいんです」

「お前の考えは最もだ。反論の余地もないよ。でもなあ。この片脚だって、自由が戻るにはまだ時間がかかるだろうが、命に別状があるわけでもない。みんな、大袈裟な気がするんだよ。大袈裟に取られる分、自分がそれだけ老けたような気にさせられる」

「誰が見ても十分老けましたわ、私もあなたも」

「そう言われてしまうと、身も蓋もないなあ」

 時高は、空いた二つのグラスに酒を注いだ。

「やはり目下の問題は、この脚でも、それを心配されることでもない、あの家をどうするかだ。うちのばあ様とも、また早いとこ話をしなくちゃならん」

「お義母様と? あの家は取り壊すことに決めたんじゃないんですか?」

「ばあさんも初めはその気だったんだが……。またな、ぐちぐち言い始めていてね」

「お義母様は威厳がある方だから、きっと深いお考えを持ってらっしゃるんでしょうね」

「だとしてもだ、もっと早く言ってもらいたかったよ。少なくとも、この脚を怪我する前に」

「良い考えは、出てくるまでに時間がかかることもありますから……」

「そうであればいいんだけどね。ああ、お前は本当に酒に強いな。死んだ親父を彷彿とさせる。この酒は一本目よりずっと……駄目だ、眠くなってきた。明日は子供たちが来る、雪も降るぞ。あの家も、この部屋の暖房もどうにかしなくちゃならん。面倒臭い。お前はまだ飲むのかい? 俺は、そろそろ寝た方が良さそうだ。大丈夫、一人で立てるし、歩けるから。……ほら、大丈夫だろ? うん、お前は今夜、いい夢を見そうな顔色になってきたよ。それじゃあ、お休み」

 天気予報は当たり、翌日は朝早くから、粒が大き目の雪がしんしん降り続いた。

表では、雪が止んでからの雪だるま作りや雪合戦を期待し、厚手の服をまとった子供たちが駆けている。それは藤原家の近所でも同じだ。

 実家に真っ先に着いたのは長男の一平と妻の陽子、その子供たちだった。

「正月だからって、こうして帰ってくるのは久しぶりだな。いつの間にか、新しい家やアパートも周りに建っているし。おい、お前たち。自分の荷物は自分で責任を持って降ろすんだぞ」

「はーい」

 一平の長女、春香は父に言われる前から車のトランクを開けていた。自分の着替えや今時の少女に必要な小物が入った荷物を右手に持ち、左手で弟の洸助の荷物を引っ張り出す。

「お姉ちゃん。僕の鞄もっと丁寧に扱ってよ。お姉ちゃんにとっては取るに足らないものかもしれないけど、僕にとっては大事なものだって入ってるんだ」

「あら、月の石や虹色のペンダントでも入れてあるの? どうせ、あんたの服や下着は全部お母さんのバッグに詰め込んであって、この鞄にあるのは流行りもののおもちゃや、一人で平らげてしまう気のお菓子とかでしょ。ほら、こうして振ると、やっぱりね。がちゃがちゃ、がさがさ音がするわ」

「もうやめてよ、返して。お姉ちゃん、いつもこんな風に僕のことをからかっちゃってさ、そのうち後悔すると思うよ。僕だって男なんだ。いずれはお姉ちゃんより背が高く、力だってきっと強くなるんだ。弟には本当、今から十分過ぎるくらい優しくしといた方がいいと思うな」

「そう。もっと甘やかされて育ちたいってわけね、あんたは。うちの隣に住んでるあの太っちょの同級生のように。食べたいものを食べたいだけ食べ、ろくに運動はせず、両親に『ちゃん』付けで過保護にされて脂肪をため込んでる、あの同級生のようになりたいってわけね。そういうことなら、お母さんにも言っといてあげるわ。私もずっと優しくしてあげる。でもね、そんな弟とは私、一切口を利かないから。話しかけてくるのだってお断りよ」

「どうしてそうなるのさ。ふんだっ! お姉ちゃんは僕のことが嫌いなんだ。何もしてないのに、あとから生まれてきたってだけで一方的に僕を嫌ってるんでしょ? お姉ちゃんなんか早く生まれ過ぎて、おやじのように車の中でいびきかいて寝てたくせに、このいびき女!」

「何ですって!」

 春香と洸助は甲高い声で、今にも取っ組み合いを始めそうになった。

「あなたたち。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの前で、喧嘩なんかしたら承知しませんからね」

 陽子の口調は穏やかだが厳しい。この一言が子供たちの重圧となり、いがみ合いはひとまず収まる。

「まあまあ、よく来てくれたわね。一平、雪は危なくなかった? まだこれくらいなら大丈夫とは思うんだけど、事故は自分が起こすものとも限らないから。子供には、街に魔法がかけられたようなものなのでしょうけどね」

 清子は四人分のスリッパを玄関に置いた。

「姉さんや有次たちが来るのはどれくらい? 親父はきちんと安静にしていたんだろうね?」

「大丈夫、心配されることなんて何もないのよ。麻美たちも、もうすぐだと思うわ」

「そうかい。……ああ、親父。野良仕事の最中に脚を折ったんだって? もう若くないんだからさあ、あまり無理はやめてくれよ」

 時高はリビングのソファーに座り、新聞を広げていた。

「野良仕事じゃない、ガーデニングだ。あの庭を見なかったか? 植物たちが雪を被って、それが風情になっていただろ」

「お義父さん、明けましておめでとうございます」

「ああ、明けましておめでとう。陽子さんまで、どうもありがとう、申し訳ないね。家の掃除はもう終わったのかい?」

「ええ、お掃除はこの子たちも手伝ってくれましたから。脚の怪我は、もう痛みもないんですか? ここしばらくはお正月にもろくに顔を見せず、それなのに、お怪我で大変な時にこうして押しかけてしまって。春香、洸助、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんにしっかり挨拶なさい」

 二人はぺこりと頭を下げた。

「仕方がないだろ。正月だからって長い休みが取れるわけでもない。帰省に時間を費やして疲れていたら、休みの意味がないよ」

 一平はテーブルの上の蜜柑に手を伸ばした。

「ミネ祖母ちゃんは? 二階で休んでるの? うん、甘い」

「ああ。こたつにでも入って、うたた寝してるんじゃないか。清子、麻美たちはまだ時間がかかるのかい? そうか。なあ、こんな煎餅や蜜柑じゃなく、子供の好きそうなお菓子が他になかったか? お茶を入れるついでに持ってきておくれ」

「洸助には自分のお菓子がちゃんとあるもんね」

 春香が洸助の鞄を指差した。

「ほう。最近の子供のお菓子は、味も種類もだいぶ進んでいるみたいだから、持ってきたものがあるなら、そっちを食べた方がいいか」

 時高に顔をのぞき込まれ、洸助はただうつむくしかない。姉が仕掛けた不意の仕打ちに、子供ながら恥ずかしさだけでなく、恨みの感情も抱いた。挽回できる手段はあるにはあるのだが、ここはまだもう少し辛抱しておくことにする。

「それにしても、この辺りもだいぶ変わってきたね。車で来る途中、駅前を通ったけど古い商店が潰され、再開発が進んでたな」

「都会の開発に比べたら、大したこともないだろ。そうだ、一平。茨城にあるあの家は、近いうちに取り壊すことになるから。その時は、お前も手伝いにくるか?」

「へえ、とうとう壊すんだ、あの家。ふーん。手伝いって言われてもな……。できることがあるなら考えておくけど。あの家、俺も小さい頃、こたつを囲んでみんなでお祖母ちゃんの手料理を食べたよな。他にもあの辺りでは色々、池のある公園や校庭の広い学校があって……。でもまあ、そうか、ついに壊すのかい。決まったんだね。そういうことなら、うんまあ、それもしょうがないか」

「あなた、お義母様は別の意見をお持ちだったんじゃないんですか?」

 清子がテーブルにお茶を置いた。

「いいんだよ、何を言われたってどうせ結論は変わらない。ここまであの家を放置してきたことが、起こるべき結果を表してるんだ。ばあ様だってそのくらいの道理、分かっているだろう」

「ねえ、お母さん、あの家って?」

「あなたと洸助は訪ねたことがなかったわね。曾お祖母さんが若い頃に住んでいたおうちよ」

 春香は想像した。清子祖母ちゃんよりも、ずっとしわしわでいつも怖い顔だが、流れ星のように時折優しい瞳を浮かべる曾お祖母ちゃん。なるほど、生まれた時から大人だったようにしか見えない大人でも、若い頃はしっかりあったんだなと納得しつつ、それでも、若かりし頃の姿形はなかなか思い描けそうにない。私も年を取ったら、ゆくゆくはお母さんや清子祖母ちゃんのようになって、さらに長生きすれば曾お祖母ちゃんのようになるのだろうか。そう考え込むと、春香の眉間にも自然としわが寄った。

 自分で持ってきたお菓子を食べていた洸助が、窓の外を眺めて言う。

「雪が強くなってきたみたいだ。積もればいいなあ。一度でいいから、かまくらとか作ってみたい。……あっ、タクシーで誰か来た。……あれは、承三郎おじちゃんだ!」

「何、もう来たのか? あいつは、来るのは最後とばかり思っていたが」

 時高は片足をかばいながらソファーから立ち上がり、玄関まで三男の承三郎を出迎えた。

「ただいま。ああ父さん、外の庭の手入れは父さんがやったのかい? それでか。でもそのおかげで、今は雪と相まっていい感じになってるじゃないか。これぞ、怪我の功名ってやつか。はい、母さんにはこれ。空港で買った土産だよ。あれれ? 俺の可愛い姪っ子と甥っ子も来てるじゃないか。俺のこと覚えてる? ははは、そうか、ありがとう。二人ともすっかり大きくなって、来年の今頃は、もう俺より背が高くなってるんじゃないかな」

「承三郎さん、こんにちは。明けましておめでとう、お久しぶりです」

「おめでとうございます、お義姉さん。こちらこそご無沙汰しています。一平兄さんも久しぶりだね」

「予定より早い到着のようじゃないか。向こうの暮らしはどうなんだ? 俺には、大変さしか思い当たらないけどな」

「そんなことはない、とは言い切れないけど、そもそも俺は生活を満喫しに向こうに行ったわけじゃないから」

「そんなことを言い残して出て行ったのはよく覚えているさ。実際に行ってみて、想像と現実にギャップはなかったのか? 自分の青さを思い知るようなことはなかったか?」

 承三郎は、洸助から貰ったお菓子をつまみながら、

「そりゃあ、思い知ることだらけだよ。排便した自分の尻を初めて素手で拭いたし、腐った獣の肉を灰になるまで焼いて食ったし、こいつらよりずっと小さい子供が、ミミズより無残な死に方をするのだって目の当たりにした。思い出しただけで反吐が出そうな最低な気分になるよ。でもね、向こうに行ってそんな状態になる自分を、このちっぽけな脳みそのどこかで予測していたんだとも実感して、吐き気はあったけど狼狽はしなかったんじゃないかな。だから続けられたし、これからもそうするんじゃないだろうか」

 陽子がお茶を差し出して聞く。

「こちらには、いつまでいらっしゃるんです?」

「一週間です。向こうの連中はもっと休んでいいって言ってくれたんですけど、どうにもね。そうさせちゃくれない何かが、自分の中にあるんですよ」

「夢中になれるものがあるのは素敵なことだと思います。こんな世の中ですもの、たとえそれが、どんなに困難な道であっても、諦めず立ち向かっていく人生が実は一番大切なことかもしれないって、最近思ってるんです。気弱な私には特に羨ましい。せめてこれからの男の子には、勇気を持つことに臆さない強い心を持ってもらいたいものですわ、ねえ洸助」

「ええ? 何のこと? あっ、お菓子落としちゃった」

「お母さん、洸助に期待したって無駄よ。だって将来の夢より、目の前の欲を満たすことしか興味のない、ちっちゃなお子ちゃまだもの」

「おいおい、そりゃまた随分弟に手厳しいんじゃないか?」

 承三郎が少し心配して言った。

「手厳しいだなんて、承三郎おじちゃん、事実なのだから仕方ないわ。お母さん、強い心は私が洸助の分まで背負って生きてあげるから、安心して。むしろ最初から私に期待すべきよ、失礼しちゃうわ」

「うるさいな。一人でぺらぺら勝手なことばかり語っちゃってさ」

「兄さん、この二人どうしたの?」