lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

【小説】ディナーのあと⑯ お前は俺の野心に当てられて、ちょっとのぼせてしまっただけだ

自分にとって都合のいい、陰湿な想像だと非難されるべきだろうか。

一般的にはそうかもしれない。だが今回のケースは違う。

上原はそれに確信が持てないでいる。

確信を持てたとして、状況に飛び込む勇気があるのか。いや、状況に飛び込んだとして、その先を引き受ける朗らかさが、冗談でも生きようとする気が、今のお前にあるのかと自問する。

自問するというのは自信のなさの裏付けといえた。好きになっておいて、一緒に暮らしていく気があるかどうかが怪しいのに、一緒にいたいからと、意味ありげな言葉を未練たらしく吐き続ける。

こんな説明をされる男が、駄目な男でなくてなんだろうか。

上原の前を勇人が小走りで通り過ぎ、テレビをつけた。いわゆるワイドショーの演者たちが時事ネタで討論のような言い合いをしている。「討論のような」というのは、論とは呼べない反射神経に頼ったオピニオンの応酬にしかみえないからだ。

彼らを見ていると物事を真剣に考え、深く理解しようという構えはまったく無駄骨に思えてくる。

これには神経質な見解だと捉える人も多いだろうが、公共の電波、ネットワークを使って述べた言葉には、時に人を励ます効果もあれば、時に虚しさを増長させる影響力があるものだ。真面目な人ほどこのパワーに殺される。だから、活きた言葉を探してさまよう。そして結局、予期した通りに、活きた言葉のあまりの少なさを知り、虚しさはどこまでも深まっていく。

唯と勇人のじゃれ合う姿が、この来たるべき現実ではなく、今の現実に上原をとどまらせた。

二人に笑顔を向けられ、微笑みを返す。一緒にカレーを食べよう、と単純に頭を切り替えた。

そこで、携帯電話が鳴った。

上原が部屋を出る。

唯は予感した。カレーは一緒に食べられないかな……。

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「……唯、ごめん。同僚にちょっと呼ばれて」

「ごめんだなんて。ご飯作ってくれてありがとう」

「悪い。勇人じゃあな。おばさんすいません、今日はこれで失礼します」

「そうなの、残念ね」

「優ちゃんの分のカレーはちゃんと残しておくから」

「またすぐに来なさい。何なら、カレーは唯に届けさせてもいいから」

後ろ髪を引かれる感覚とともに、上原は家を出た。

この先は単純ではいられない。

いや、むしろ単純過ぎるほど結論が明らかであるがゆえに、話はすぐ済むかもしれなかった。

問題は、その場の結論が出たところで、この命はまだ続くということ。人生の厄介さが変わるわけでも、なくなるわけでもない。

上原が斎藤のマンションに入ったのは、これが二回目。数年前、酔いに酔った斎藤を嫌々介抱して運んだのが最初だ。

あの日は、どうしてあんなに酔ったんだっけ? 

思い出すより早く、熱いコーヒーが差し出された。

「俺のメンタルはその一億倍熱くなってる」

「分かってる。俺の舌を火傷させるのはだけはやめてくれよ」

「そこは料理人、コーヒーにだって手は抜かないさ。……まずは返事を聞いておこうか。こうなる前の返事だよ」

「オーケーさ。この先どうなるもこうなるも関係ない、どうなろうとオーケーだ」

「こっちが聞きたいことを先取りで答えてくれる。嬉しいよ。けどな、新しい店を出すための物件をあいつに横取りされた。付いてこいって、言える立場じゃなくなっちまった」

「また見つければいい。……そう簡単じゃないって言いたいか」

「そうだな。いやホント、大変だったんだぜ。あの苦労を分かち合えればなぁ。……わざわざ呼んだのは、こんな愚痴を聞かせるためじゃない、デートの邪魔してまでな」

「デートじゃないって」

「お前はどうなろうとオーケーと言ってくれたけど、本当にありがたい言葉だったけど、プランを変更したいんだ。俺は店を辞めるが、お前は残れ」

上原がようやくコーヒーに口をつけた。

「そんなのがプランと呼べるのか?」

「最善だと思う。自分のことは自分でどうにかなる」

「お前には腕があるからね。そんで、腕のないちんけな総務部の俺には、今の場所を離れるなと」

「そんな意味はない。新しい店を出すという条件がご破算になったんだ、お前が俺と一緒に辞める理由はなくなっただろ」

「辞めたい理由ならあるさ」

「俺はどのみち、もうあそこにはいられない。義理を感じるのと、義理を通すのとは異なる。このケース、お前が義理を通す必要なんて全然ない」

「お前には、俺の気持ちがよく分かるらしい。俺は調理場の死んだ食材とは違うんだぜ。今こうして話している間も感情は胎動を続けてるってのに、一方的に決めつけられるのは虫が好かないな」

「じゃあどうしたいんだ、お前は」

「決まってる。お前には俺が付いてくるのを許容する義務があると思うよ。俺をその気にさせた責任は大きいはずだ」

「だったらこう考えろ。騙されたのさ、お前は俺に。こっちの野心に当てられて、ちょっとのぼせてしまっただけだ」

「俺の手を引かせようとしてるのか、それとも苛立たせようとしてるのか、区別しづらい口ぶりじゃないか。はっきり言わせてもらう、この件について忠告は聞かない、議論をする気もない。やりたいように、したいようにさせてもらう」

こう言ってくるのと同時に出た上原の睨みに、斎藤は不覚にもたじろいだ。

こうも気合いを入れてくるなんてな……。

その衝動の正体が、自分への同情や友情だけでないことは直感で分かる。

「じゃあ、何が何でも付いてくるっていうんだな、お前は」

「うす」

「分かった、ありがとよ。もう何も言わねえ、一緒に地獄へ堕ちようぜ」

それから、斎藤は秘蔵のブランデーを開け、上原に振る舞った。

昔好きだった女の話を斎藤が始める。上原は程よくちゃかしながら、にやにやして聞いた。

……そうだ、これだこれ。あの時も、自分で話す言葉が肴になってどんどん酒が進んだんだ。

見通せない状況で勇気が出る面白い言葉、その形を、赤らんだ顔で斎藤と一緒に探した。

 

 

次の晩、唯は神楽朱美に呼び出され、駅近くの中華料理屋へ。

店に入ると、朱美が先に生ビールを楽しんでいる。唯もビールを頼んだ。

「時間ぴったりね。料理は適当に注文してあるから。食べたいものがあったら追加して」

「うん。はい、じゃあ」

「乾杯!」

のっけから、旦那への愚痴をネタに朱美が笑いをとる。

冗談なのか本気なのかよく分からない、恐らく本気なのだろうがウイットが効いているので、小話として十分面白かった。こうした会話の流れはいつものことだ。

 

続く