〈2〉の続き
テレビの野球中継の音。
トウコ「あなた」
フクザワ「うん?」
トウコ「話があるの」
時計の針が進む音。
トウコ「私、2人目が欲しいの」
フクザワ「何だよ、急に」
トウコ「急じゃないわ。結婚前にも話したでしょ、最低でも子供は2人欲しいって。私も三十半ばだし、ユカリも2歳になったから、タイミングは今がいいと思うの」
フクザワ「ユカリも、まだ手がかかるだろ」
トウコ「嫌なの?」
フクザワ「そんなわけないだろ」
トウコ「じゃあどうして?」
フクザワ「仕事が色々重なって、難しい時期なんだ。もうちょっと待ってくれよ」
少しの間。
トウコ「今日、仕事帰りに買い物してたら、あなたの会社の人に挨拶されたわ。ご主人のお体、大丈夫ですかって」
フクザワ「そう」
トウコ「出張だなんて、やっぱり嘘でしょ。3日間もどこに行ってたの?」
フクザワ「個人的な思惑だったから有給を使ったんだ。仕事には関係することだよ」
トウコ「それならそうと、正直に言えばいいじゃない。どうして嘘をついたの?」
フクザワ「本当のことを言っても、どうせ疑うだろ」
トウコ「どうしてそう思うの?」
フクザワ「どうしてって……」
トウコ「他に女がいるのね」
フクザワ「馬鹿な、何を急に」
トウコ「あなたもまだ30だもの。年増の女房より、若い娘と遊びたいんでしょ」
フクザワ「そんなことないよ」
トウコ「どうかしら。世間的には……」
テーブルを叩く音。
フクザワ「母親が殺されたんだ、呑気に女遊びなんかするわけないだろっ!」
と、椅子から立ち上がる。
別の部屋からユカリの泣き声。
トウコ「……その話には触れないようにしてたのに」
フクザワ「触れろよ、肝心なことだ!」
鼻をすする音。
トウコ「(涙声で)こんな時に子供が欲しいだなんて、呑気なのは私の方ね……」
フクザワ「ああ、そうだ……」
椅子を引く音。
トウコ「ユカリ、どうしたの? お腹減ったのかな?」
と、別の部屋に向かう。
どさっ、と腰掛ける音。
フクザワ「あぁ……」
と、椅子の背にもたれる。
テレビのチャンネルが何度か切り替わる。
アナウンサー「来月から工事が再開される見通しです」
ミカ「ふざけないで。今度こそ」
=三幕=
ダンプが通り過ぎる音。
リリーフ「工事再開は、何としてでも阻止したいはずです。ここへ来る前に始末して下さい」
フクザワ「おたくの行動予測は信用できるのか?」
リリーフ「こちらの警察よりは……。奥様と喧嘩されましたね。怒らないで下さい。私の指示で動く以上、あなたとその家族も我々の監視下にある。事前に承知してもらったはずです」
フクザワ「何もここで明かすことはない」
リリーフ「仕事に支障が出ては困りますから。切り替えてもらわないと。何なら、アリバイ工作はこちらで引き受けましょうか」
フクザワ「要らないよ」
リリーフ「あの女のことで新しい情報があります。車に戻りましょう。ここは埃っぽくてお喋りには向きません」
ばたん、と自動車のドアが閉まる。
書類を手渡す。
リリーフ「あなたのために、あの女の行動原理について考察してみました」
書類をめくる音。
リリーフ「大学でメディア論を専攻。大学主催の美人コンテストで2位にもなった才色兼備です。5年前に両親を事故で亡くし、身内は祖父だけ。その祖父は先の大戦の帰還兵です。我々流に言えば、国のために戦った英雄といったところです」
フクザワ「それで、何が分かる?」
リリーフ「少なくとも、彼女はあなたよりこの国の歴史に詳しい」
フクザワ「またそれか」
リリーフ「くどいようですが、重要なことです。いざという時には、背負ったものの大きさが生死を分けます」
フクザワ「あいつが、何を背負ってるって言うんだ」
リリーフ「身内に戦争帰りがいる場合、過度な反戦主義に傾く可能性があります。そうしたタイプは、えてして好戦的という矛盾した人格が備わるものです」
フクザワ「なるほど。家族の歴史か」
リリーフ「おや、分かってきたのですか」
フクザワ「あんた、俺についても調べてるだろ?」
リリーフ「さあ」
フクザワ「それで俺を選んだ。まあいいさ。あの女を殺ったら、教えてくれよ」
自動車のドアが開く。
リリーフ「健闘を祈ります。差し出がましいようですが、奥様は不安なのでしょう。誰もが望み通りになれるわけはないのに、誰もが望み通りになれると世間で教わる。私の妻も年上で、似たようなことがありました」
フクザワ「そう」
ばたん、と閉まる車のドア。
アナウンサー「駐留軍基地の建設現場周辺では、テロを警戒した警備が厳重に敷かれています」
自動車が通り過ぎる音。
ミカ「この辺りも、警察の車両が多いけど」
ざっざっ、と歩く音。
ミカ「恥知らずども。一度のお仕置きじゃ改心できない愚民ども。だったら、何度でもやってやるわ。別に工事を中止させるのに、工事現場を襲う必要はないの」
ざっ、と立ち止まる音。
ミカ「ふふふ。この……」
フクザワ「役所の人たちを無差別に襲う気か?」
アナウンサー「先ほどお伝えしました通り、駐留軍基地の建設現場周辺では、テロを警戒した警備が厳重に敷かれています」
人々のパニック。
屋内を駆ける2人の足音。
銃声。
ミカ「その脚、無理しない方がいいんじゃない?」
銃声と悲鳴。
ミカ「ははは! 一般人を巻き込む気?」
フクザワ「狙って撃ってる!」
パトカーのサイレン。
駆ける2人の足音。
ミカ「こうなったら、2人ともお終いね!」
フクザワ「馬鹿が! 消されるのはお前だけだ!」
「きゃあ!」と妊婦の声。
ミカ「それ以上近づいたら、この人殺すわ」
フクザワ「離せ。妊婦だぞ」
ミカ「あら、そうだった?」
妊婦「助けて……」
ミカ「1人殺ったら2人分。一石二鳥ね」
フクザワ「本性出したな。さんざん能書き垂れやがって」
エレベーターのボタンを押す音。
フクザワ「おい!」
エレベーターが開き、乗り込む音。
ミカ「撃つ撃たないは、あなたの自由よ」
エレベーターが閉まる。
妊婦のすすり泣き。
ミカ「うるさい、耳障りだわ。私はね、やらなければいけないの」
エレベーターが開く。
ミカ「こっちよ。来なさい」
妊婦「うぅ……」
早足で歩く。
ミカ「私の祖父はね、先の大戦で徴兵されて戦ったの。あなたのおうちは?」
妊婦「うぅ……」
ミカ「答えなさいよ、質問してるんだから!」
妊婦「し、知りません……」
ミカ「あはは。それでよく人の親になれるわ。図々しい。あなたみたいのがいるから駄目なの」
立ち止まる。
ミカ「お腹の子はもうじき? ラッキーね。私が英才教育してあげる」
お腹をさする音。
ミカ「せーの、私の祖父は徴兵され、戦って、帰ってきたら無視された! 私の祖父は徴兵され、戦って、帰ってきたら無視された! ほら、あなたも子供に呼び掛けなさい!」
妊婦「や、やめて……」
ミカ「馬鹿ねぇ。あなたのためを思ってやってるんじゃない。ほら! 私の祖父は……」
離れた物陰からミカの声を聞くフクザワ。
フクザワ「はあ、はあ。守るために……」
火災警報が鳴る。
ミカ「何?」
銃声。
ミカ「ぐうっ」
と、崩れる。
フクザワ「早く、こっちへ」
ミカ「この……」
フクザワ「一人で逃げられますね」
妊婦「は、はい」
床を這いずる音。
フクザワ「止まれ」
ミカ「う……」
フクザワ「選べ。このまま背中をずどんと撃たれて死ぬか、脳みそをぐちゃっと撃ち抜かれて死ぬか」
ミカ「い、嫌、死にたくない」
フクザワ「お前、ふざけるなよ」