〈1〉の続き
通り過ぎる自動車。
路上を歩く音。
トウコ「晩ご飯はどうしよっか?」
ユカリ「パーパ、パーパ」
トウコ「そうだね……」
玄関の鍵が開き、ドアが開く。
部屋の奥からテレビの野球中継の音。
トウコ「ただいま」
フクザワ「お帰り」
トウコ「いつ帰ったの? 鍵が掛かってたわ」
フクザワ「ごめん。流れ作業でつい」
ユカリ「パーパ」
フクザワ「おおユカリ、元気だったかあ」
トウコ「3日も無断で留守にしといて。しれっとしてるのね」
フクザワ「悪い。急な出張でさ、着の身着のままだったんだ。疲れたよ。仕事に集中し過ぎて、ホテルに帰ったら家に連絡する気力もなかった」
トウコ「そう。けど、3日も連絡を寄こさないなんて異常だわ」
フクザワ「次からは気を付ける」
トウコ「また次があるの?」
フクザワ「例えばの話さ。トウコ、せめてもの罪滅ぼしに、夕飯は俺が作るよ。ユカリ、ちょっと向こうへ行っててくれるか」
椅子を引く音。
トウコ「あなた、その脚」
フクザワ「間抜けだよ、ホテルの階段を踏み外した。よいしょっと……。痛みはあるけど大したことない」
トウコ「顔色も少し悪くない?」
フクザワ「そうか? もしそうなら、色白の方が色男に見えるから都合いいな」
トウコ「体調が悪かったら……」
フクザワ「体調はいたって快調。スーパーで良さげなお肉と、高いワインも買ってきたんだ。一緒に飲もう」
テレビから鋭い打球音。
フクザワ「おっ、ホームランか?」
ユカリ「あー、あー」
フクザワ「いいね、スポーツは酒を美味しくする息抜き。ユカリも興奮してら。こら、脚に引っ付くな」
アナウンサー「駐留軍基地の建設現場で爆破テロを起こした犯人グループの首謀者は、依然逃亡中です。市民の間では不安が広がっています」
女性A「怖いですね。早く捕まえてもらいたいです」
女性B「基地は必要でしょ? 基地がなかったら、誰がこの国を守るんですか?」
男性A「基地建設には反対なんだけどね。テロはよくないよね」
男性B「全然問題ないっしょ。仲間にしてくださーい」
翌日。
ずずっ、とコーヒーを飲む音。
リリーフ「私だったら、他国の軍事基地があるなんて考えられません」
フクザワ「おたくが言うことか」
リリーフ「この国が好きです。国民は勤勉、法律と道徳を重んじています。ユーモアにはやや欠けますが、その分、むやみに他人に意見しませんから、私のような内気な人間にはよく合っています」
フクザワ「あんたに会ってから反省した。確かに俺たちは、考えるのが下手だ」
リリーフ「こと、政治に関しては」
フクザワ「周りの連中は、誰も彼も語り口が紋切り型か、以前どこかで聞いたことの引用に聞こえる。そうでない場合は、人間を知らない阿保みたいな発言が多い」
リリーフ「辛辣な意見ですね。けど、私はそういうの好きです」
フクザワ「あの女は?」
リリーフ「目下捜索中です」
フクザワ「肩を負傷しているはずだ」
リリーフ「分かっています。すぐ見つかるでしょう。何か要望は?」
フクザワ「弾を補充したい」
リリーフ「分かりました、手配します」
フクザワ「次こそは……」
リリーフ「次が最後です。私も危ない橋を渡っているのです。この国に同情すればこそ、せめて自分たちの不穏分子を自分たちの手で始末する機会を与えた。私の期待に応えて下さい」
フクザワ「分かっている」
リリーフ「そうでしょうか」
フクザワ「何?」
カップを手に取り、コーヒーを飲む音。
リリーフ「あの女を撃つ瞬間、何を考えていました?」
フクザワ「何って、絶対に殺してやると……」
リリーフ「それでは駄目です。人は殺せない」
カップを置く音。
リリーフ「殺すのではなく、守る。そう思って引き鉄を引きなさい」
フクザワ「どういうことだ?」
リリーフ「あなた方は命が大事、平和が大切と熱心に唱えながら、本気で守る気がありません。本気とは、自分を犠牲にするということです。自分を犠牲にしてでも何かを守りたい、そのために殺す。殺すのはあくまで結果であり、目的ではないのです」
フクザワ「俺は、その守るものを奪われたんだぞ」
リリーフ「お母様は、随分苦労なさったそうですね」
フクザワ「苦労だけは、人の何倍もあった」
リリーフ「だとしたらです、ミスター・フクザワ。守れなかった命。同じ悲劇がまた起きないよう、あなたが人々を守るのです」
フクザワ「大袈裟だな」
リリーフ「私にとっては普通のことです。積み重ねた日々の鍛錬の差でしょう。一つ、こつを教えましょうか……。まず、あなたの家族の歴史を思い浮かべてみて下さい。その歴史を、突如他人が断絶しようとしてくる。当然あなたは歴史が断絶されないよう、必死で戦うはずです。この戦いは侵略ではなく、守るための戦いです。人々を守るという考え方が大袈裟なら、その人たちの歴史を守るという発想に置き換えてみなさい」
フクザワ「難しくてよく分からないな。第一、俺は家族の歴史なんて知らない」
リリーフ「SHIT! 何ということだ。あなたがたは、やはりそうだ。自分たちの歴史を何がしろにし過ぎます。この国でまともなのはロイヤルファミリーくらいです。あなたたちのシンボルは、よく務めを果たしているというのに」
フクザワ「分かったよ。参考にする」
リリーフ「いずれにせよ、次がラストチャンスです。失敗すれば、あなたにも消えてもらうかもしれません。あなたが、家族の歴史を絶やすことがないように……」
がらがら、と戸を引く音。
祖父「誰か来たのかい?」
ミカ「私よ。ごめん、お祖父ちゃん。起こしちゃった?」
もぞもぞ、と布団から起き上がる音。
祖父「いいんだよ。ミカ、戸棚にお菓子があるだろ、自由にお食べ」
ミカ「うん」
ポットのお湯を急須に注ぐ音。
ミカ「はい」
と、茶碗をテーブルに置く。
祖父「ありがとう。しばらくぶりじゃないかい?」
ミカ「最近、仕事が忙しくて」
祖父「それはいいことだ。何の仕事だったかな」
ミカ「旅行雑誌のライター。この間ね、すっごく海の綺麗なとこ取材したんだ。お祖父ちゃんも、いつか連れて行ってあげる」
祖父「私のことはいいんだよ」
ミカ「そんなことないわ、必ず連れて行ってあげる。そのお煎餅、もーらいっと。いたっ……」
祖父「肩が痛むのかい?」
ミカ「大丈夫。ちょっと筋が張っただけ」
お茶をすする音。
祖父「私もすっかり体が弱って、頭も馬鹿になってきてる。もう長くないだろう。それよりお前」
ミカ「早く結婚相手見つけろ、でしょ? うーん、まだ無理かなあ」
祖父「お父さんとお母さんが元気なうちに、孫の顔を見せてやらんと」
ミカ「お父さんとお母さんは、もういないよ」
祖父「そうだったかい。昨日会ったんだけどな。ミカ、戸棚にお菓子があるから食べるといい」
ミカ「もう貰ってるよ」
祖父「そうかい。駄目だね。ついさっき言ったことを忘れるなんて、すっかり馬鹿になってる」
ミカ「いいよ、今のことなんて。それより、お祖父ちゃん。お祖母ちゃんと出会った頃の話してよ。昔のことは、よく覚えてるでしょ?」
がらがら、ぱしゃん、と戸が閉まる音。
ミカ「(小声で)また来るから」