〈3〉の続き
ミカ「い、嫌、死にたくない」
フクザワ「お前、ふざけるなよ」
ミカ「まだ死ねないのぉ、私は! この国の連中は、まだ理解していない!」
フクザワ「何なんだよ一体、お前は。ええ? お前が言いたいことはどうせこうだろ! この国の奴らは戦争の経験も忘れ、のほほんと暮らしてるから、駐留軍の基地建設も平気で受け入れる! だから思い知らせてやる! そういうことだろ! あのなあ、そんなことなら、みんな分かってんだよ! 分かってるけど、生まれた時には既に現実があるから、沈黙したり無関心だったりする奴らがいるんだ!」
ミカ「そ、それが気に入らないの」
フクザワ「だとしても、人を殺すほどのことじゃない。それでも殺したきゃ、自分を殺して抗議すれば良かったんだ」
ミカのすすり泣き。
フクザワ「俺は馬鹿だが、お前はもっとだ。お前は、この国や家族の歴史に自分を投影し過ぎる。たとえ歴史は繰り返したとしても、今を生きる一人一人の生き方は変えていけることだってあり得るのに」
ミカ「……そうね」
フクザワ「決まったか?」
ミカ「ええ、かすり傷をありがとう」
ひゅっ、と刃物が飛び、ぐさっ、と刺さる音。
フクザワ「う、が……」
ミカ「参考になるお喋りだったわ」
膝をつく音。
血があふれ、床に垂れる。
ミカ「言ったでしょ。今度立ち塞がったら殺すって。ああ、あれは心の声か」
フクザワ「ぐ……」
ミカ「あなたの意見、本当に参考になったわ。でも残念。喉が潰れたら、もう話せないわね。あなたの思想は、私の今後の活動に生かしてあげる。……そろそろ行かないと」
駆け足、徐々に遠ざかる。
フクザワ「う……」
ばたん、と倒れ込む音。
フクザワ「かあ、ト、ユ……」
アナウンサー「昨日、市役所で起きた襲撃事件で、巻き込まれた30代の男性が死亡しました。当局は、逃亡した犯人が爆破テロの首謀者と同一人物とみて、捜査を……」
ずずっ、とコーヒーを飲む音。
リリーフ「さて、どうしましょう」
=四幕=
ポットのお湯を急須に注ぐ音。
ミカ「お祖父ちゃん。私ね、分かってきた気がする」
テーブルに茶碗を二つ置く。
ミカ「人と人とが完全に理解し合うには、時間はかかるけど、少しずつ近づくことはできる。意見の異なる人同士でも真剣に向き合ったら、そこに新しい価値がきっと生まれるの」
祖父「それはあ、いい経験をしたんだね」
ミカ「うん。お祖父ちゃんにはかなわないけど」
と、お茶をすする。
祖父「ミカ、今日仕事は?」
ミカ「お休み。最近、面倒臭いことが続いてさ。疲れちゃった」
祖父「ご飯は?」
ミカ「さっき食べた」
祖父「ミカのお父さんとお母さん、亡くなったんだよ。知ってるかい?」
ミカ「5年前でしょ、知ってるよ。ねえ、お祖父ちゃん。お祖父ちゃんが何もかも忘れても、私がしっかり覚えてるから。お祖父ちゃんの思いは私が引き継ぐ」
祖父「そうかい。暇ならテレビでも観るかい」
ミカ「面白い番組やってるかな」
テレビをつける。
・・・野球中継が流れる。
ユカリ「あー、あー」
かきん、と打球音。
ユカリ「あー、あー、あー」
トウコ「うるさい!」
ユカリ「ふぇ、ふぇ……うわーん」
と、泣き出す。
トウコ「ごめんなさい。お母さんが悪かったわ」
テレビから歓声。
ユカリ「ふぇ、ふぇ」
トウコ「ごめんね。本当に、ごめんね……」
ぴんぽん、と呼び鈴が鳴る。
トウコ「(涙を拭い)誰かしら。ちょっとだけいい子にしててね」
玄関のドアを開ける。
リリーフ「初めまして。旦那様の同僚の者です」
トウコ「はい……」
食器を取り出す音。
トウコ「すいません。ろくに出すものがなくて」
リリーフ「とんでもありません、お気遣いなく」
ユカリ「あー、あー」
リリーフ「これはこれは、可愛らしい。君ですね、ユカリちゃんというのは。パパから聞いていますよ。君は地上の天使として生まれ、いずれは女神になる女の子だって」
カップを置く音。
リリーフ「ありがとうございます。いただきます」
トウコ「こっちの言葉、お上手なんですね」
リリーフ「もう住み始めて長いですから」
トウコ「主人とはどういったお仕事を」
リリーフ「商品販売に先立つ、リサーチ業務で共に汗を流していました。彼は私が知る中で、最高に優秀な部下の一人です。他の者が嫌がる仕事も引き受け、自分から率先してあちこち飛び回ってくれました」
ずずっ、とコーヒーを飲む音。
リリーフ「そうそう、最近3日間、家を留守にしたことがありませんでしたか? 私も把握はしていたのですが、まさか奥様に何も告げずに行ってしまうとは。彼は一度決めると脇目もふらずに突っ走る面がありましたから、私からも注意しておくべきでした」
トウコ「そんな……そうでしたか」
テーブルに荷物の入った段ボール箱 を置く音。
トウコ「これは……」
リリーフ「会社に残っていた彼の遺品です。プライベートと思われる品も結構ありまして……」
段ボールの中に手を入れる音。
リリーフ「これは、お二人で撮った写真だ」
トウコ「温泉旅行した時のです。まだ結婚したての頃で。この旅行から帰ってきた後に、あの子を妊娠しているのが分かったんです」
リリーフ「それは思い出深い。これはユカリちゃんの写真。……こっちのは、お守りですね。安産祈願と書いてある」
トウコ「きっと、ユカリを妊娠中の時に買ったものです」
リリーフ「そうでしょうか。だいぶ新しいようにも見えますが」
トウコ「……ちょっと、見せてもらっていいでしょうか」
と、お守りを受け取る。
リリーフ「ね、新しいでしょう?」
ユカリ「パーパ、パーパ」
テレビからニュースが流れる。
アナウンサー「駐留軍基地の建設現場で起きた爆破テロの首謀者で、先日市役所を襲撃したとみられる犯人は依然見つかっていません。市民の間では当局の捜査に対する疑問や、捜査を逃れ続ける犯人を英雄視する声が上がっています」
リリーフ「嘆かわしいことです。いつの時代、どの国にも、こうした人間たちはいる」
椅子を引く音。
リリーフ「それでは、私はこれで。何かお困りでしたら、遠慮なくご相談下さい」
時計の針が動く音。
段ボールの中身を取り出す音。
ある紙の束を手に取り、何枚かめくる。
トウコ「これは……」
段ボールの底から、重い物(拳銃)を手に取る音。
建設現場で重機が動く音。
=五幕=
がらがら、と戸を引く音。
数歩歩き、立ち止まる。
ミカ「誰?」
銃を構える音。
ミカ「待って。あなたの顔どこかで。誰かに似ている気がする」
トウコ「夫婦の顔は似るっていうわ」
ミカ「夫婦……。そう、あの男の。なあに、遺言でも残してた?」
にじり寄る足音。
トウコ「動かないで!」
ミカ「やめときなさい。あなたOL? それとも専業主婦? いずれにせよ、普通の生活を謳歌してる女なんかに私は殺せない」
トウコ「その普通をあなたが奪った」
ミカ「使命に殉じたまでよ。これから、またその使命を果たしに行くとこなの。政府の奴ら、性懲りもなくまだ工事を再開する気なんだから。懲らしめてやる」
トウコ「あなたは、人間じゃない」
ミカ「はあ? ニュース観てないの? 私は英雄、私は警察にも捕まらない優れた人間。これから、私に共感する仲間だって、どんどん増えてくるわ」
トウコ「私は、絶対に認めない」
ミカ「お前が認めるとか、認めないとかじゃねえんだよ。いい? 私だけ、今世界で私だけが、この国の歴史を引き継ぎ、命を賭して生きている。私のお祖父ちゃんは徴兵され、散々こき使われて戦って、ようやく帰ってこられたと思ったら世間に無視された。その元凶となった戦争で敵だった国の基地を置こうなんて、正気の沙汰じゃないわ! 賛成してる奴らは全員非国民、正しい国民は私だけなの!」
トウコ「……違う」
ミカ「ああ?」
トウコ「違うわ。あなたのお祖父さんは徴兵されたんじゃない、志願したの。自分の意思で軍隊に参加した志願兵だった!」
ミカ「お前ぇ、他人の分際でふざけたこと……」
トウコ「だから、あなたのお祖父さんはきっと多くを語らなかったし、語れなかった。身に覚えはない? 思い当たる節はなかった? あなたは勝手に勘違いして被害者になっただけ!」
ミカ「……ふざけるな」
トウコ「あなたは頭でっかちが狂った、ただの大馬鹿者よ! しかも自分を英雄だなんて。それのどこが、歴史を引き継いでるっていうの!」
ミカ「う、うるさいっ! ああ!」
と、駆けだす。
銃声。
もう一度、銃声。
ミカ「ああ……」
と、崩れ落ちる。
トウコ、ミカに近寄る。
さらに数発の銃声。
トウコ「はあ、はあ……」
走り去る足音。
=六幕=
建設現場で重機が動く音。
アナウンサー「現場では黙祷の後、半年ぶりに工事が再開しました」
がらがら、と戸を引く音。
リリーフ「失礼しますよ」
と、靴を脱ぎ、家に上がる。
少し歩き、床に正座する。
リリーフ「もしもし、もしもし。駄目ですね。亡くなっている」
がらがら、ぴしゃん、と戸が閉まる音。
リリーフ「これでまた一人、生き字引が失われた。この国は国じゃない、保育所だ。だから馬鹿が多い。正しい後継者はいつ現れるのでしょうか。もう間に合いませんよ」
自動車が止まる音。
車のドアが開く。
部下「リリーフ中佐、こちらでしたか」
自動車が発進する。
ぷっぷー、とクラクション。
リリーフ「どうしました?」
部下「申し訳ありません。あの親子が車道にはみ出して歩いていたものですから」
自動車の走行音。
部下「中佐は、この国とは縁が深いのですか?」
リリーフ「どうしてです?」
部下「いえ、そのような話を聞いたもので」
リリーフ「そうでもないですよ。(囁くように)そう。我々全体にとっては、どうでもいいことだ」
部下「何か仰られましたか?」
リリーフ「いや。工事は順調のようですね」
部下「はい。そのように聞いております。この国の建設技術は超一流ですよ」
走り去る自動車の音。
・・・赤ん坊の泣き声。
助産師「おめでとうございます。元気な男の子です」
妊婦「抱っこしてもいいですか?」
助産師「どうぞ。お父さん似かなー、それともお母さんかなー」
妊婦「どちらでもいいんです。たくましくさえあれば。だって……」
赤ん坊の泣き声。
=終=