lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

【小説】ディナーのあと㉔ マナー(manner)の良さも度が過ぎればマンネリズム(mannerism)に陥る

玲子は上原に駆け寄った。「どうしたんです、彼女、大声なんか出して」

「唯と話してたようだけど、俺の名前も出ていたような」

真実は深々と下げた頭を一向に上げない。安西が腕を引っ張っても動かない。

「真実ちゃん、あのね……」

「伝えたいことがあるのは分かったが、今彼女は友人ではなくお客様だ。領分は忘れちゃならない」

体の力がやや緩む。安西とフランチェスコに伴われ、テーブルを静かに離れようとする。途中で振り返る真実と唯の目が合い、「話は、ちゃんと聞くから」唯の声は優しかった。

愉快なのはフランチェスコだ。

……いい、いぃ。真実、どんな気を起こしたのか、とっても役に立ってるじゃないか君は。先ほどの君の提案、心の叫びは新たな可能性を示してくれた、僕の楽しみを増やしてくれた。そうかい、君は斎藤君のことが本当に好きだったんだね。ふふふ、だけどね、ここじゃまずい、ここじゃあまずいんだよ。叶うといいなあ、いつかその思い、上原君と坂下さんのように、ふふふ。

「真実……」と玲子が心配してくる。後ろには上原の姿もある。唯の優しい声と上原の顔が合わさって、真実の胸がまた激しくきしんだ。

「上原さん、お願いです。辞めないで、辞めないで下さい。斎藤さんを連れていかないで下さい。私にはあの人が必要なんです……」

「お前、またそんなこと」

「私、本気です。やっぱりやだ。私、あの人からもっと色々、たくさんたくさん勉強したい、しなくちゃいけないんです。あの姿をもっと近くで見ないといけないんです。やだ、そうじゃないと……」

悲痛だ。安西には哀れみの感情も沸いた。

事細かな心境の変化までは知る由もない。予測は難しくとも、振り返って想像できるとすれば、無理をしていたということ。無理をして、やっぱり辛くて、無理から解放されるかもしれない、その機会を勝手に思い付き強引に飛び付き、今の醜態に至っている、そんなところか。

……斎藤さんのこと言えねえな、お前。こんなとこまでよく似てるじゃねえかよ。

上原にも真実の感情が想像できた。瞬間的に浮かんだのは安西のと大体同じ。違いは、簡単な解決策を素早く提供できるという点だった。彼女なら覚悟はあるだろう。だったら、無責任ではないかとの批判や不道徳に屈せず、提案できる希望がある。

口を開く前、フランチェスコの視線に気付く。こっちの考えを察している、察して、目で牽制しているつもりか。

……上原君、違うな、今ここで言うことじゃないな。

ははっ、エスパーにでもなったか、心の声が聞こえてくるようじゃないか。

確かに、わざわざフランチェスコの前で言う必要もないのだが、大人ぶって分かった面でやり過ごすのも癪である。この男に対して逃げ腰は無論、遠慮だってごめん被りたいのだ。

こうした衝動に加え、真実の未来を考えればどう対応するのが正しいのか。常に自由で、多様な選択肢に満ちている状況に置いておいてやるのが正しいのか。もし自分ならそんなものは大いに否定したい。

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自由とは、自分が存在する理由のこと。そう解釈した場合、多様な選択肢などあるはずなく、取るべき行動は自ずと限られる。そんな切実な行動を面白がって貶したり、不当に侵害したりする奴が現れたら誰だろうと抵抗する、それが自由を守るということだ。

人は誰しも自由(自分が存在する理由)を持ち、それ故に無限の選択肢の迷路から抜け出せる。思い付いたことを何でも肯定し、好きな時に好きなだけ好きなように実行していいなんて豪語する自由論は幼稚過ぎて笑えもしない(悪口は言える。馬鹿だ、こん畜生だ、運命人だ!)。

人間は自分自身に制約を課すべきではないか。例えばある医者が神妙に言ったとする、「命は大切である」と。そんなことは誰でも分かっている、少なくともこの世ではそうした価値観を持って生きた方が無難だと多くの庶民がうなずくだろう。しかし、「どこまでの命を大切とするか」については、見解が分かれるのではないか。

「身内以外には興味がない」「犯罪者に人権はない」「この国あの国の連中は嫌いだから何人死んでもいい」「おいおいそいつは残酷過ぎだろ」「そんなことはない、自分以外は皆殺しだ」「いずれにせよ私は、夫より子供たちと犬が大切……」

命が大切という大きな価値観を共有するのはたやすいが、実際の価値観には制約が付いて個人個人に内蔵されている。価値観の違いが個性を生むのではなく、価値観に設けた制約の差異が人格のずれを生じさせる。

自身に制約を課すべきとは、「どんな制約を課して日々生活しているのかを意識すべき」と同義でもいい。それぞれの自由(自分が存在する理由)の輪郭は言語で完璧に縁取るのが難しいが故に、「これだけは絶対やらない」「ここだけは欠かさず続ける」など現実に発露している制約の形に着目した方がイメージしやすい。

さて、真実の制約とは何か。これまでの彼女の言動を振り返り想像してみよう。当然彼女のすべてが上原ごときに分かるはずもない。唯についてだって怪しいのだから想像力は逞しく、かつ控え目でなければマナーが悪い。マナー(manner)の良さも度が過ぎればマンネリズム(mannerism)に陥るから難しくもある。

思うに真実は、尊敬していた斎藤から裏切られた、見捨てられたと感じ一人でも乗り越えてやろうと強い自分をつくろうとした。

一人で強くなろうとする作業は辛いものだ。強くなったかどうかの証明は、一人だから誰も助けてはくれず自分で判断するしかないが、独りよがり、井の中の蛙といった疑心暗鬼は賢い者ほど拭い去れず自分が愚かにも思えてくる。そこからが本当の勝負の始まりだ。その勝負から、真実は降りたのか。

いや、彼女が日々調理に打ち込んでいたのは斎藤に追いつくため、認めてもらうため。だとすれば、斎藤がいない調理場でいくら腕を磨いても意味がない、心が充足しない。こうした虚しさの破壊力は、直面した本人しか被害の大きさを知り得ず、無理解な他人など世界から消し去ればいいと誘惑してくる恐ろしさがある。

背後から忍び寄ってくる恐怖を、真実は敏感に感じ取り我慢はしていたが、我慢しきれずうろたえざるを得なかったのかもしれない。あるいは大袈裟に想像し過ぎか。

ただ、もしそうだとすれば、彼女が課している制約を導き出せる。他者との関係をすべて絶つ恐怖に耐えられる者など、この店ではフランチェスコくらいか。

試みに考えよう、彼女が課している制約、それは他者と繋がるに相応しい人間であるため向上心を失わないこと。彼女が存在する理由を示す輪郭の一部でもある。斎藤がいなくなることでこの理由が侵害され、守るためになりふり構っていられなくなったとの解釈を導き出せる。

……なんだ、やっぱり彼女にしてやれることは最初ので間違っていない。

提案を受け入れるかどうかはガキじゃないのだ、自分で決めればいい。他人の将来を心配はできても保証することなどできやしない。飴と鞭の使い分けが合っているかどうかもまだ勉強中なのだ。

それにしてもだ。このフランチェスコという男、今の状況を楽しんでいるんじゃあないのか。真剣に真実をかばっているようには感じられない。情の入っていない芝居のようじゃないか。

 

続く