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確かかなと思った言葉を気ままに。あと、ヤフコメアーカイブ

【小説連載】刑事堀部(30)~終戦 その3

明け方。

谷山が交代で仮眠をとっているころ、堀部は自分の決断に悩んでいた。

彼はついに事件の真相に迫ったのだが、犯人逮捕まではしなかったのである。

その後、篤志の死に立ち合い、彼はこの決断がやはり正しかったと思うようになる。

しかし、まだ気が早い。

時間を戻そう……。

 

8月13日。まだ出港前である。

 

最後のお別れを言いに、みよ子がサエを伴ってやってきた。

「ありがとうございました」

堀部もこれで最後かと、深々とこうべを垂れた。

そこへスミレもやってきて、

「行きましょう、サエさん」と、手を引いた。

「古谷スミレさん。あたなもお元気で」

「お巡りさん……」

堀部に挨拶され、スミレは恐縮した。

「自分はお巡りさんじゃないんだよ」

「そうでしたわ、すいません」

「周りが何と言おうが、あなたはあなただ。それを忘れずに」

「はい」

こうして本当にこれで最後にしようと、堀部はサエに向き直った。

 

「牧田サエさん」

 堀部が、別れの場で彼女に語れる思い出はこれくらいしかなかった。

「あのハンカチーフの持ち主は見つかりましたか?」

このとき堀部はまったくの笑顔そのものだった。

持ち主が見つかったかどうか。

ただそれだけ、「はい」か、「いいえ」だけ聞ければ、それで良かったのである。

しかし、返事は意外だった。

「あれは校長先生のものでした。真壁先生がそうだと」

「牧田さん、もう行きましょう」

みよ子はサエの肩をぐいと押した。

「待ってください!」

この声に、周りの疎開者たちも振り向いた。それだけ堀部の声量は大きかったのだ。

まるでさっき島民らを一喝したときのように。

堀部の頭の中で、断片だったすべての出来事が貼り合わさろうとしていた。

ハンカチーフ……。

あの日、8月9日……。

……校舎で落し物だと言って彼女が見せた、男物のハンカチーフの持ち主が彼女? 

……そうか。

真壁。彼は彼女の愛人だった。

彼のハンカチを彼女が使っていたんだ……それを拾った……どこで?

 

「サエさん、自分から最後の質問があります」

堀部はサエの手を握った。

「ちょっと堀部さん」

みよ子が迷惑そうにする。

「これで本当に最後です。いいですか?」

サエは澄んだ瞳でうなずいた。

「あのハンカチをあなたはどこで拾った?」

堀部のまなざしが、否応なしに鋭くなった。我ながら、こんな目を彼女に向けたくはなかったが、習性でどうしようもなかった。早く返事が返ってくれば、このいやらしい目をすぐ閉じられるのだ。

「ハンカチって、あのハンカチのことですよね?」

「そうです」

「牧田さん、時間がないわ」

「能見先生、少し黙っていてくれませんか」

堀部はきつく言い放った。

みよ子の顔には、ありありと動揺の色が浮かんだ。無理もないだろう。今の堀部はさっきまでとは豹変している。

そしてサエは答えてくれた。

「落し物だから、と渡されて」

あっさりした口ぶりだった。

「先輩からです。私には誰のか分からなくて。それで授業の合間、職員室にでも届けようとしたら、途中で堀部さんに」

堀部はうつむいた。

……そうか、彼女は……。

サエの手を離すと、「もういいですよ。ありがとう」

「え?」

みよ子は意外そうだった。

「そ、それでは」彼女も船に乗ろうとしたが、

「能見先生は、まだ少しお時間を」

堀部は彼女の肩をつかんだ。

 

船の中では、先に乗り込んだ妙子と高文が何やら言い合っている。その横をスミレとサエは通り過ぎ、船室に向かった。

「サエさん、本土へ行ったら改めて謝罪させてください」

「そんな」

「さすがに虫が良すぎますか?」

「そうじゃないんです。私、古谷先輩にずっと憧れていたから、その、嬉しくて」

このときスミレとサエは初めて手をつなぎ、お互いを本当に認め合った。

一方、堀部に制止されたみよ子は両腕を組み、彼が何を言い出すのか待った。

「あの事件」

堀部は口を開いた。

「木下則子を殺害した犯人が分かりました」

みよ子は息を飲んだ。「そうですか」

「驚かないのですか?」

「だって、さっきから驚きっぱなしですもの。怒鳴り声もそうだし、ようやく船に乗れる直前で、こうしてまた下ろされるのもそうですし」

みよ子は足元を気にした。そわそわし、足が勝手に動くのだ。

「すいません。けどこれは、自分にとっても、あなたにとっても、そして、彼女にとっても重要なことです」

「彼女? 誰のことです」

「その前に」

堀部は目頭を押さえた。朝から立ちっぱなしで、疲れてきたのである。けれど、あともう少しである。

「その前に能見先生、あなたは、あの事件の犯人を最初から知っていましたね」

「何を馬鹿な」

「馬鹿じゃありません。あなたは知っていた。というより見たのです。犯人が彼女を殺したところを」

「……」

「犯人は」

「待って!」

みよ子は膝を崩した。

「お願いです、言わないで」

訴えるような目だったが、堀部はあえて無視をした。

「犯人は……」

この瞬間、出港直前を知らせる汽笛が港中に鳴った。

堀部は崩れ落ちたみよ子の手を取り、

「すべて分かりました。ただ間違っているかもしれない。それを確かめたいのです」

「……分かりました」

みよ子は立ち上がった。

「今夜の出港は諦めます」

「ありがとうございます」

既に乗船していたサエは、汽笛が鳴ってもみよ子の姿が見えないのが気になった。

「先生」

船内を探し回るが、どこにも見当たらない。

「まさか」

サエは港の岸壁が見える船尾へ駆けた。

「先生!」

 生まれて初めて出す大声だった。みよ子はそれに手を振って応えている。既に遠かったが、泣いているようにも見えた。

「先生、どうして!」

サエには理由が分からなかった。また見捨てられたのか。そんな悪い考えも頭に浮かんだが、違う違うと否定した。

「きっと訳が」

そう思い足元を向くと、なぜか涙がこぼれてきた。

結局、あの篤志も見送りに来てくれなかったではないか。

 

「やっぱり、私は……」

サエは少しふらっとした。そこを後ろから、スミレが抱えた。

「大丈夫?」

「ええ。ごめんなさい」

「能見先生、船に乗らなかったのね」

港を眺めてスミレが聞いた。

「先生だもの。きっと訳があるのよ。海の風は浴び過ぎると体に良くないわ、中へ入りましょう」

サエの肩を抱くスミレの腕がとても温かだった。

「はい」

サエは素直になった。

……今の私には、スミレさんがいる。

胸の内で初めて、古谷スミレを下の名で呼んだ。

 

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