ここ最近、為替が円安傾向にあった。
そろそろ逆(円高)に振れるかな・・・。そんな軽いノリで、NZドルを売り建てしたのがつい先日。
しかし、いや、やはりと言うべきか。
・・・下がって来な~い。
また含み損拡大かよ。
為替取引は円高か円安か、選択肢は二つに一つ、つまり50%の確率で当たるはずなのに(実際はそう簡単な話ではない)、まったく当たりません(当たり前)。
とりあえず、休息のティータイム。
くっそ。駄目だ。
170万円損してから、全然である。ドツボに陥る感じがプンプンしてきた。
性格上、やられたらやり返したいのに。
勝てなければ死ぬだけ、戦わなければ勝てない(ミカサ風)
・・・しかし現実は、戦えば戦うほど、死ぬ。
諦めたわけじゃない。諦めたらそこで・・・。
微かな展望。夏場は円高になる傾向が結構ある気がする。だから、今の状況を持ちこたえれば、そのうちに。
何度もそんな風に思い、何度も殺されてきたFX。あの日やその次の日の記憶が、臆病風となって吹き荒ぶ。
行け、風を押し切れ。人はどうせいつか死ぬ、違うのは早いか遅いか。
あの俳優を見習え。自害も厭わず進めばいいさ。
不謹慎でもあえて言いたい。僕は彼らが羨ましい。ニュースで自害の報を聞くたび思うのは、悲しみや哀れみでなく、「また先を越された」という劣等感。
亡くなった人たちの中には、まだ死ぬべきじゃなかった人もいただろう。誰かが気の利いた言葉一つ掛けることで、死を先延ばしにできたケースも少なくなかっただろうなと、察しはする。
あの俳優がどうだったかは、知るはずもない。ただ、近年の彼の表情・顔付きからは爽やかな人気俳優というより、何かに喘いでいる印象を受けたのは確かだ。
まあ、30年も生きれば、それくらいの苦み、持っていて当然ではあるだろうけど。
人の死を、簡単に惜しんだり、悲しんだりするのが好きじゃない。生きてる人間は、感傷に浸る前に、まずやらなきゃならないことがある。死に至るまでの彼の心情や思想を洞察し、納得はできなくても、せめて、成り行きについてはきちんと構造的に理解する努力をすることだ。
その理解が、死者の魂を鎮める、本当の意味での弔いとなる。
最近の日本人(ジャップ)は弔いが下手だ。ただ自分の感情に浸ってるだけ。生きるのはいいことで、死ぬのは悪いこと、といった区分に基づき、似非の弔意を並べ立てている。
これじゃあ、死者が報われないよ。
死んでなお、この程度の理解力しか発揮されないのだから、周囲の連中が生前に彼らを理解するのは、到底不可能だったと想像できる。
・・・彼や彼女が死を選ぶ理由の一端が、自分にあったかもしれない。
このしめやかな態度が養われていない現代人は、この先何度も(今まで何度も)、救えた命を死へと追いやる。
残念ながら、この国で、死者の魂が輝くことはない。この国の連中はとにかく生きたがり、そのために忘れたがるからだ。
あの俳優や、その前の女子レスラーの死だって、1年度、いや半年後、いや3カ月後には誰も話題にしないだろう。志村けんでさえ、既にそうなっている。
繰り返すが、心の底から死者を弔う気があるのなら、死を悲しむ前に、死を理解すべきだ。その上で、どうすれば違う結論へ導けたか、真剣に頭を悩ませる。
ウザいヒューマニストやビジネスマンが「死ぬ気で頑張れ」とほざくように、「死ぬ気であいつについて考えろ」。
それこそが真の弔いであり、鎮魂歌(レクイエム)とは、そうした弔いの思い(弔意)が幾重にも重なってできる貴い空間のことを指すのである。
FXからだいぶ話がそれました。
亡くなった連中の苦しみからすれば、こっちの問題など目糞鼻糞みたいなもん。
いつか彼らの後を追い、本当の死を迎えられるよう、この程度のステージでくたばってはいられない。
気晴らしに柿ピーとアルコールを摂取する。
それにしても、人の死について、もっと大胆に、ユーモラスに話せる誰かがもしも近くにいたのなら、彼らの結果は違っていたかもしれない。
偉そうに、こう思わずにはいられないのは、酒の力と自意識過剰のおかげである。