lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

【小説】ディナーのあと⑥ 今は小難しい哲学や国際情勢なんかより、恋の話でもしたい気分

商店街の一角にある喫茶店に移動し待っていると、上原がやってきた。

安西と真実はぺこりと頭を下げ、唯はにっこり笑う。

「こんにちは。勇人、まだ飽きてないか? 一体どうやったらこんな組み合わせになるんだい。三人は知り合いじゃないだろ」

「偶然なの。いい偶然に巡り会えて私は得しちゃった。いい偶然にどれだけ巡り会えたかが、振り返ってみて人生の善し悪しの傾きを決めるものね」

「いい偶然ねえ」

「何ですかぁ副支配人、今の目は。可愛い後輩に会えて嬉しくないですか」

「俺には、間と安西が二人でいることの方が面白いや」

「優ちゃん、お二人は別に付き合ってるわけじゃないんだって」

「だろうね。安西の好みは唐さんみたいな女性だから」

「ええ?」と、真実が安西に横目を向ける。

「唐さんって?」

「いるんだよ、うちの職場に、色っぽい悪女系が。目つきと体つきに腑抜けにされてるって、斎藤料理長が話してた」

「やめて下さいよ。セクシーだなと思っているのは確かですが、彼女の方が年下ですし僕みたいな野暮な男が手を出そうだなんて。目の保養ですよ目の保養。ちらっと眺めるだけなら自由だもんね」

「先輩キモい」

「あはは、安西君ってスケベそうだもんね、爽やかだけど。ごめんね、爽やかなスケベって意味だから。これって褒め言葉だよ。スケベといえば優ちゃんも結構なものだったもんなー。中学生の時、エッチな本を買い過ぎて警察官に注意されてたから」

「うわぁ、黒歴史ですね」

「お前、あれは違うって何度も……」

「ぶはは。上原さん、この手の話題は否定せずに受け入れないと、面白がられていつまでもネタにされますから。僕にも覚えがあります。もう小学生の頃ですよ、不可抗力で女性教師の胸を触ったことを同級生たちが未だに冷やかしやがって、合コンの時にまでその話を持ち出すんだから。あの時、いいなと思っていた女の子の口元が嘲笑に変わったのが忘れられない……。

けれどね、みなさん、人生というものは、こうした苦難や失敗を経験し乗り越えた先に上等な未来が待ってるものじゃないでしょうか。人類の歴史を辿ってみましょう。人類の歴史っていつから始まったの? 

とにかく、アウストラロピテクスの時代から僕らは相も変わらず愚かしい存在ではあるけども、一歩一歩着実に文明を進化させてきたわけで、だとしたら、人一人の生き方にだって同じことがいえるのが道理でしょう。

人間に必要なのはさ、努力を惜しまないことなんだよ。これだけが、どんな凡人や天才にも通じる真理だと僕は思うな。そりゃあ、いくら努力したって超えられないものはあるだろうさ。けれど、努力を続けなければ自分の限界にも気付けない。限界があったらあったで、他にやりようはあるはずさ。いやあミルクセーキのおかげかな、いつもより口の動きが滑らかだ」

「滑らかになり過ぎて口を滑らせないで下さい。副支配人は何を飲まれます?」

「ありがとう、ホットコーヒーでいいよ」

「優ちゃん、今頃はランチの仕事じゃないの?」

「今日の営業は夜だけ。この機を逃すと渡せないかもと思ったから、ほら持ってきた」

上原はイタリアンの簡単なマナーが紹介されている冊子を渡した。

「ありがとう。これでもう準備は完璧、あとは招待されるのを待つだけだ。ねえ、その時はうちのお母さんや叔母さんも連れてきちゃ駄目? 図々しい?」

「別に構わないよ、最初で最後の出血大サービスってやつだ」

「お二人は仲いいんですね。副支配人の昔の話もっと聞かせて下さい」

「ええ、そうだな……」

「こいつがヘビースモーカーだって話ならできるけど」

「何よそれ、私煙草なんか吸わないから」

 

「吸ってたじゃんか、高校生の時。俺はやめとけって忠告したのに、人のもの分捕って」

「あれは、ただの失恋したはらいせ。あれ以来一回も吸ってないからね」

「なるほど、今ではしっかり者のお母さんにしか見えない人にも、少女時代には意外な一面があるものなんだなあ。ならきっと、あの斎藤料理長にだって知られざる情けない面や至らない点はたくさん……。そうだ、そうだよ、やはり駄目なのは僕だけじゃない、誰にでもある普通のこと、通らざるを得ない人生の泥道に、ちいとばかり足を取られているだけなんだ。僕は真っ当な針路を進んでいる、だから、真っ当に道も開けるはずさ」

「先輩、独り言なら一人の場所で。もし悩みを打ち明け相談に乗ってもらいたいのなら、そう言わないと。一人で突っ切って周りに泥だけ飛ばさないように」

「そういうことなら、料理人としての悩みや葛藤に応えられる自信は全然ないけど、聞くだけ聞こうか?」

「まさか、滅相もない! 僕のつまらないありきたりな話で副支配人の鼓膜を揺らすなんて、胸が痛みますね。僕のことは僕自身でどうにかしますから、それが人生の醍醐味! 今はそうだなあ、仕事はもちろん、小難しい哲学や国際情勢のことなんかより、恋の話でもしたい気分ですね。ぶちまけるような恋、みなさんはそんな経験あります? はい、まずは間から」

「どうして私からなんです。嫌です、答えたくありません」

「はん! 正直に言えよ、ぶちまける恋の経験なんかないってよ。顔を見れば分かるんだからな。お前なんかどうせ、昔も今もオタクだろ。アニメや漫画の恋愛のお伽噺に現実を重ねて悶々としてきたに決まってら」

「ひどい! いくらなんでも言っていいことと悪いことがあるじゃないですか! 先輩が私の何を知ってるんです! 確かに漫画は好きですが、それ以上に私は、料理が好きで美味しいものを創りたくて毎日勉強して練習して、今は尊敬できる人の下で働いて、辛いこともありますが充実しています。だから、ぶちまけてるといえば、私は毎日自分をぶちまけて生きてますよ。それに比べて先輩はどうなんです? そもそも人生に本気で体当たりできてない人が、恋愛で自分をさらけ出すことができるんですか?」

「けっ、何だよ、ぷりぷりしちゃってさ」

「怒らせたのは誰です!」

「おうおう、すっかり被害者面だな。お前こそ、先輩の俺をいつも軽く扱ってるくせに。今日だってそうだ、だけど俺はそんなことで怒ったりしなかったぞ。心に余裕がないよな、男にもてないのはそれが原因か」

真実はすぐに言い返そうとして声が詰まった。声が出る代わりに、瞳にちょっぴり涙が浮かんでくる。

 

続く