片山英一’s blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

【小説】ディナーのあと⑦ 思春期は先の知れない将来、今は見通せてしまう将来への恐れで心が葛藤する

「駄目、泣いちゃヤダよ」

「安西、それはないよ」

上原と唯はそれぞれのやり方で真実を慰め、安西を非難した。

「すいません、もう大丈夫です……。私、副支配人の恋の昔話が聞きたいんですけど」

「ええ? 急な転換だな。その流れまだ続いてたの?」

「もちろんです。唯さんも聞きたいですよねっ」

「うーん、そうだなあ」

「何だよ、どうせならもっと興味を示してもらいたい。さあて、どれを話そうかな」

「なあに、そんなに色んなエピソードがあるの?」

「一つでないのは確かさ。あれは二番目の彼女と初めて海までドライブに行った時だ。陽が暮れてきて二人とも水着なんか持ってなかったけど、海に入って遊んで濡れたっけ。服が乾くまで夜の海で話したな」

「うわー、セクシーな思い出」

「私には私服で塩水に浸かる勇気がありません。勿体なくないですか?」

「そこはね、真実ちゃんも好きな人ができればきっと変わると思うよ」

「そうですか」

「あの子とは一年後くらいに別れちゃったんだよな。他も、どうにも長続きしなくって。どうしたもんだろ」

「副支配人は求める理想が高いんだと思います。人生を難しく考え過ぎなんですよ」

「でもさ、軽く考えたら考えたで、軽い女性と付き合って結局上手くいかないだろう」

「だから、極端なんですって。もっとまあるく、ほどほどに考えましょう」

「女性の理想自体はありきたりだと思うんだけどな。芯があって朗らか、それくらいさ」

「外見は?」

「芯があって朗らかであれば、自然と顔つきに滲み出てくるもんさ。唯なら分かるだろ、目の前にいいお手本の昔馴染みがいるんだから」

「あら、自分で言ってる」

「副支配人の結婚相手って気になりますね。落ち着いてらっしゃるから相手も同じような人、それとも明るい人の方が似合うのかな。昔馴染みとして、唯さんはどう思います?」

「そのどっちも持ってる人、かな。優ちゃん贅沢だから」

「生活は質素な方だと自負してるけど」

「それは気持ちの豊かさを大切とみているからでしょ。優ちゃんは誰よりもずっと深い、そうだな、さしづめ哲学と精神力のスーパーマンにでもなろうとしてるってとこかな。だから、お相手を選ぶのも大変」

「褒めてるのか、それ」

「褒めてない、期待しているの」

 

「ああそう。おい安西、黙ってないで何か話せば」

「お情けですね、本当は聞きたくなんかないんでしょ」

「どこまで無礼なんですか先輩。堕ちるとこまで堕ちる気もないくせに、そういう人が不用意に悪い言葉を使うと、自分に跳ね返ってきますから」

「そうですか、そうですか」

「安西君て、今いくつ?」

「二十八ですが」

「分かった、そういう時期だ」

唯が一人合点した。これには安西だけでなく、真実も不思議そうな表情を浮かべる。

「だいたいそのくらいの年になると、第二の思春期じゃないけど、心がね、悩みだすの。思春期の頃は先の知れない将来への期待と不安で悩むけど、三十が近付いてくると、今度は見通せてしまう将来への恐れから心が葛藤しちゃうんだ。ねえ、優ちゃん」

「あり得る話ではある」

「僕は別に……」

「なあるほど、先輩が壁にぶち当たってるのは、そういうことも関係してるんですね」

「言ったな、また言った。これでおあいこだ。俺の方が一手も二手も譲歩しているけどな」

「大人だな、安西」

「上原さんの三十の頃の悩みって何です? 今は満足してますか」

「まさか、全然。終わりなき五里霧中だよ、恥ずかしい。せめて霧を食べて生きられたらなあ、どれだけ楽だろうか」

「上原さんはもっと満足してもいいと思いますけどね、はたから見て。本人の不本意さは本人にしか分からないんだよなぁ」

「自分が三十手前の日々を抽象的に説明すれば、さっき唯が話した通り。もっと具体的にって? 今では貴重な肥やしになってる経験を簡単に話したくないかな。確実に言えるのは、失敗から学んだことは想像以上に有益ってことか。それが悩みや憤りを消してはくれないけど、戦い方は上手になる。おやおや、勇人がまた退屈しだしたな。知らない大人に囲まれるのも楽じゃないんだよな」

そろそろ仕事の時間だ。

唯と勇人を残し、三人が職場へ向かう。

唯は商店街の看板を見上げた。「また来よう」と胸の内で思い、上原たちとは反対方向へ歩いた。

空が少し陰ってきた。風が涼しくなってきたので丁度いい。唯の心には寂しさと温かさが同居していて、今は温かさの方が勝っている。この状態をずっと保てたら、そのためには……。

「はーあ」とため息が漏れ、それを見た勇人も「はーあ」と真似をする。唯はぱっと笑顔に切り替え、母として強くあろうとした。

「唯ちゃん」

「え?」

かなり意外だった。聞き覚えのある声の主がすぐに思い浮かび、振り返る。顔を確認し、ああやっぱり、と笑みを返した。

「どうしたのー、びっくりした、一人?」

「ふふふ、こんにちは。勇人君もこんにちは」

声をかけてきたのは唯の知り合いで神楽朱美(かぐら・あけみ)。唯が離婚前に暮らしていた街で出会ったママ友だ。

 

続く