lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

【小説】ディナーのあと⑮ こんな女の愛が本当に欲しい?

「ほら、手を貸すよ」

「いいって」

「いいから」

「ありがとう……」

唯は上原の右手にゆっくり左手を乗せた。そうして上原の力で加速し、病院のベッドから立ち上がる。

疲れている。相手の顔から、お互いそう感じた。

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唯からすれば、自分が倒れて病院に運ばれたと、仕事中に叔母から(軽い貧血であることは伏せられ)聞かされ、見舞いに来たら「快気を願う酒宴よ、うちの伝統なの」と急ごしらえの理由で無理矢理アルコールを飲まされ、病院の駐車場で車中泊を余儀なくされたのだから当然だ。一方上原には、唯の疲れの原因が分からない。

いや、仮に感づいていたとして、まさかな、と凡庸なふりをする謙虚さ、あるいは卑怯さが上原にあったのも事実だ。

唯を送る車中、上原は饒舌だった。唯への不安だけではない、安西豪太と間真実からの電話、さらには唐玲子からのメールで、昨夜の斎藤とフランチェスコとの件は十分記憶に上書きされている。

唯と一緒にいられるのは楽しいが不安でもある上、別次元の不愉快さが全身をまとい、饒舌などあるべき姿とは思えないのに、面倒な事態がかえって思考を明晰にさせていた。

「腹減ったな、朝飯も食ってなかった。……あのカレー屋、最近できたのか。カレーといえば、インドにマハトマ・ガンジーっていただろ。カレーで連想するなんて怒られるか。彼は非暴力非服従のリーダとして知られてるけど、一般的に日本人がイメージするところの平和主義者とはちょっと違ってたんだよ。彼なりの展望や予期を持ってイギリスの側で戦争に協力もした、複雑な人物だったんだ、最近知った。

現代人は色んなことを単純化し過ぎて、見誤ってる気がするよ。無理矢理にでも単純化しないと気が済まないんじゃないかともいえる。複雑なものを背負って生きるのが、嫌なのか。そんなはずはないのに。

でもまあ、確かに疲れるよな、複雑なのは。いや、悪い。勇人はカレー好き? よかったら作らせてくれない、俺が食べたいだけなんだけど。味は保証する」

「疲れてるでしょ優ちゃん」

「カレーを作って食べるくらいの体力は十分。じゃあ決まりだな。どこのスーパーで材料仕入れるか」

「野菜ならあるよ、ルーだって」

「違うんだ、素人には思い付かない工夫がある」

「それはそれは、申し訳ありません」

「プロほどじゃないけども。けどお前、食欲ある? 別なのがいいかな」

「大丈夫、美味しいものを食べるチャンスは逃さないから。……優ちゃんには帰る前にしっかりお礼しないとね」

「決めたの、いつにするか」

「何となく」

「もし、もしだけど、こっちへ戻ってきた動機と帰る必要を比べた時、動機の方がまだ重かったら、こっちにいれば」

「ありがとう。私ね……本当は帰る気なんかないの」

「え?」

「うそ。どきっとした?」

「人をおちょくる余裕があれば大丈夫そうだ。カレーのレシピは書いて渡すから、気が向いたら家族……食べさせたい人に作ってやればいい」

「優ちゃんには、してもらってばっかりだ。これは、お礼も真剣に考えないと」

「期待し過ぎない程度に楽しみにしとく」

「複雑なものと単純なもの、どっちがいい」

「お前が考える複雑さが何なのか、一度見てみたいし聞いてみたい。おっと、プレゼントをくれるなら、そっちは単純な金目のものがいいかな」

「お金なんてないから。もっといいもの考えてあげる」

「金目のものよりいいものって、じゃあ、あれしかないな」

「何?」

「愛」

「馬鹿じゃない。こんな女の愛が本当に欲しい?」

どう答えるか、上原はさっと考えた。気軽に愛を口にしたのは自分だ。唯の愛が欲しいという本音があればこそ出た発言だったが、状況に任せて気軽に本音までは言えない、明かしたくないとの気持ちが強く、別の気の利いた台詞が思い付かないか脳みそに力を込める。

くれるのならもらうよ、考えとく……馬鹿か、こんなのじゃ駄目だ、あまりに自分の気持ちから離れている、それにこれでは……。気持ちを上手に隠しつつ、唯の関心を繋ぎとめる方法は……まったく、俺はやっぱり卑怯者か。

この間、ほんの一、二秒しか経っていなかったが、タイムリミットだ。

「愛は、悪いもんじゃないよな」

十点満点で一点以下の解答、と即座に自己分析する。

自己嫌悪が漂い、唯の横顔が遠く感じる。唯の反応は「そうだね」の一言だけだった。

 

買い物を済ませ、唯の実家に着いた。

玄関に、叔母の原田千恵が迎えに出てきた。

「お帰りなさい。上原君、申し訳なかったわね。病人に対する妙なうちの伝統なのよ、悪習といった方がいいかしら。久しぶりに二人きりで話せたのは良かったでしょ」

「はは」

「叔母さん、勇人とお母さんは?」

「姉さんは美容院に出かけたところよ、勇人は奥で遊んでいるわ。それよりなあに、その買い物袋は?」

「優ちゃんがね、お昼にカレーを作ってくれるって」

「あら、それは嬉しいわね」

「口に合えばいいですけど」

「あなたの料理なら口に合わないはずないわ。そういうことなら、ほら、上がった上がった」

台所がかちゃかちゃ賑やかになる。上原の段違いの手際の良さに、手伝うつもりの唯と千恵は見入った。

手持ち無沙汰な唯のズボンの裾を勇人が引っ張る。

「ここは一人で十分だから。夕べ一晩いなかったから、甘えたいんじゃない。叔母さんは洗い物をお願いします」

「言うわね。イケメンに使われるのは嫌じゃないわ」

 

香ばしいカレーの匂いが部屋の中いっぱいに溢れてきた。

「ご飯ももうすぐ炊けるわ」

「本当はもっと煮込みたいんですけど」

「十分美味しそうじゃない。煮込む作業はこっちでやっておくから、明日か明後日でもまた来なさいな」

「叔母さん、優ちゃんは私たちのような暇人じゃないの」

「暇は学びの根源よ。私ほど暇である必要はないけれど、暇を知らない人間に大きな仕事はできないのが道理だわ」

「講釈はいいから」

「違う、道理だってば。物事を総合できる機会は暇な時だけ。暇に学び、学んで知るの。自分が何者か、何が好みで誰が好きかをね」

「はいはい」

唯の返事はさばさばしていた。けれど、その耳がじじっと赤らむのを千恵は見逃さなかったし、二人のやり取りに、上原も違和感を覚えないでもなかった。

上原の想像が独りでに先走っていく。

やはりうまくいってないのか、だからこっちへ……。

 

続く