eichi_katayama blog

確かかなと思った言葉を気ままに。あと、ヤフコメアーカイブ

小説 シベリアン3「結構気安い人なのかしら」

         二 手紙

 

 三が日が過ぎ、麻美たち家族と一平は、それぞれの自宅へ帰っていった。春香と洸助はどうしてもまだお祖父ちゃんとお祖母ちゃんちにいたいとごねるので、陽子は二人と共に数日残ることに。

春香が遅めの朝食を食べ、外へ出た。

庭に残った雪をいじり、

「あいつから離れられて、やっと正月休みらしくなったわ」

「それは僕も同感かな。人の振り見て我が振り直せって言葉の意味が身に染みるよね」

「いつの間にいたのよ、あんたは。あら、野球ボールなんか持ってきてたの? どう、キャッチボールでもする?」

「いいよ」

 春香と洸助は家の前でボールを投げ合った。

「人んちのガラスを割らないでよ。あんた、普段はゲームばかりしてるけど、野球にも興味あるの?」

「うん、好きだよ。ゲームプログラマーになるか野球選手になるか、考えてるところ」

「ふーん、けどその割には……。ちょっと、ちゃんと胸めがけて投げなさいよ。下半身がふらついてるから、上体もぶれるの」

「やってるつもりだけど、難しくって。あっ、ごめんなさーい。お姉ちゃんはさあ、どうしてこんなにキャッチボール上手いの?」

「これで上手だなんて、上手な人から叱られるわ。平均的な女子よりましなのはね、前に承三郎おじちゃんから、投げ方を教えてもらったからよ」

「えー、いつの時さ?」

「あんたが今以上にガキの時よ。さすがに素手でのキャッチボールは手が痛くなってきたわ。グローブはないから、そうだ、あんたがお祖父ちゃんにプレゼントした手袋でも使おうか」

「やめてよね、そんなこと。今度こそ真っ直ぐ、上原のように……。あちゃー、投げた瞬間分かった、駄目だ。ごめーん」

「始球式で投げるアイドル以下ね。もう……」

 ボールは、泥混じりの雪の残る路上をころころ転がり、知らない若い女性の足に当たった。

春香は駆け寄り、

「あの、ごめんなさい……」

若い女性はすっとボールを拾い上げた。

「お姉ちゃん、野球上手だね。後ろ姿が大谷みたいだったよ」

「えー、本当ですか?」

 怖い人でなくて良かった、春香はそう思った。

ただこんな世の中である。他人に安易に心を許すのはいけないことだと肝に銘じ、ボールを返してもらう。

「そうだ、お姉ちゃんなら知ってるかな? この辺りに……」

「うちに何か用ですか?」

 後ろから声をかけられ、若い女性は振り向いた。同時に、春香の顔色がぱっと明るくなる。

「キャッチボールをする時はガラスだけじゃなく、車にも気を付けろ。ボンネットにかすっただけで烈火の如く怒鳴り散らす奴らもいるからさ。こっちの車は、本当に綺麗なのばかりが走ってる。向こうじゃボディが錆だらけ、フロントドアもないオンボロたちが活躍しているよ」

「あの私、藤原さんというお宅を探してまして……」

「この辺りで藤原は一軒だけですよ。その紙袋、縁コンストラクション……。うちの親父が頼んだ建設会社の人だ」

 承三郎は、ボールの投げ方を少しだけ洸助に指導してから、女性を家に案内した。

 そうして解体工事の打ち合わせが始まった。建設会社から来た女性、羽野三冬は入社してまだ二年目ということだったが、はた目からはそうは見えない、こなれたプロらしく、工事の手順や費用などを時高と清子に説明する。早ければ来週にでも工事に着手できるということだ。

承三郎はというと、

「お祖母ちゃんは参加しなくていいの?」

「解体が前提の話を聞いてどうなるのさ。あたしは反対なんだから」

「でも、決まっちゃうよ」

「もう決まっているのさ。こんなよぼよぼのしわしわ、腰が曲がってりゃ膝も悪い、髪の毛の量もこしもすっかり惨めになって、今はこうしてお前に肩を揉んでもらっているばばあごときに、物事を動かす力などあるはずもない」

「何さ、随分弱気なんじゃない」

「馬鹿たれ、これは弱気とは違うものだよ。いいかい、前にも一度、いや二度三度と話したかもしれないけど、人の強さには二種類あるんだ。それは……」

「負けない強さと勝つ強さ、でしょ?」

「分かってるじゃないか。負けない強さとは、打たれ負けない強さと言ってみてもいいね。どんなに叩かれても引かない、倒れそうになっても崩れない。しかもそいつは特殊な才能や呪術といった類じゃなく、誰もが自然と身に付けられるものなのさ。習得する方法も覚えてるかい? そう、家族の歴史と人生、その思いの連なりを自分の背後に置くことだ。それが疲れた体を支え、体の中の心まで守ってくれる。時には目の前に置いてやってもいい。先祖の背中に近付こうと、足を踏み出すことができるからね。こんなこと、誰にだってできるだろ? だからあたしは弱気なんかじゃないし、弱気になりたくてもなりようがないのさ。あたしは、途方もなくいつだって強気。厄介なのは、それと勝つ強さはまた別ということなのさ。

勝つ強さは負けない強さと違い、身に付けるための確たる方法がない、少なくともあたしには分からなかった。こればかりは誰にも教われず、引き継ぐこともできず、自分で手に入れるしかないから、多くの人が手に入らないまま死んでいくんだ。お前はどうだい? あたしの孫なら、使いこなせるようになるのはまだ先だろうけど、負けない強さくらいはきっと自覚しているだろう。さて、もう一つの方は……今の仕事が迫る手段になってるかい?」

「だと思ってるけど。まだ続ける?」

「いいや、ありがとよ。だいぶ楽になった。お前は子供の頃からマッサージが得意だったからね」

「役に立たない取り柄ばかり備わってるよ」

「生きてるだけで人のためになることもある、多くの人は、それを信じないけどさ」

「死んだ方がいい奴らはいるって話なら信じるけど」

「最もだ。お前のような男には、どんな女が似合ってるんだろうねぇ。付き合ってる女はいるのかい?」

「何なのさ、急に」

「いいじゃないか、軽く情を通わす程度の女だっていいよ」

 春香と洸助が帰ってきた。玄関での二人の話し声は二階まで届き、続いて足音が、階段を駆け上がってくる。

「承三郎おじちゃん、僕、ボールの投げ方ちょっと上達した」

「言い切ったわね」

「訂正、上達した気がする。そうしたら、今度は別の問題が出てきたんだ。どうやったら格好良く捕球できるの?」

 女のことよりずっと気楽な話題に、承三郎も快く乗っかる。

「洸助はボールをどこで見てる? そう、普通は目だよな。動いているものを見る時は、そこに別のものを加える。俺だったら顎だ」

「顎?」

「顎でボールを見るような感覚でボールを追うんだ。そうすると俺の場合は、体がよりスムーズに反応して正確にキャッチングできる。あくまで俺の感覚だから、お前は体のどの部分でボールを捉えたらいいか、自分で試行錯誤してみろ」

「うん、やってみる。お姉ちゃんは知ってたの?」

「これは私も初耳よ」

「いえーい」

「何よそれ」

「二人とも、今度お父さんにグローブ買ってもらえよ。パパ大好きーってすり寄れば、一平兄さんならいちころだぞ」

 ……この子は子供に好かれるね。

ミネは、三人のやり取りを小芝居でも楽しむかのように眺めた。そこへ、

「承三郎さん、お義父さんが呼んでらっしゃるわ」

「はい。お前たち、曾祖母ちゃんの腕や肩を揉んでやったら、年金からお小遣いが出るかもよ」

 承三郎は陽子と共に一階のリビングに顔を出した。

「承三郎、お前明日、茨城の家まで行くか?」

「明日? どうしてさ」

 承三郎は改めて羽野三冬に会釈する。三冬も、こくっとうなずいて返した。

「解体前の最後の整理だ。ろくなものは残ってないはずだが、念のためにな。お前も気にならないか。家に興味はなくとも、周りの街並みとかは懐かしいだろう」

「工事はいつから?」

「来週に始まり、来週終わる。その頃には、お前は向こうへ戻っているか。最後の見納めになるぞ」

「運転手も兼ねてのことでしょ。分かったよ。母さん、ちょっと車借りるよ」

 清子から車のキーを受け取った承三郎は、リビングを出た。

「息子さん、お仕事は何を?」と三冬が尋ねる。

「よその国で、NGOだかなんだかで働いてるんです。ご覧の通り、私が怪我をしたというので久しぶりに帰ってきましてね。普段、他人様の世話をしている人間が、身内の面倒を無視するわけにはいかないと、引け目でも感じたのでしょう」

「若いのに格好いいんですね」

「あら、お姉さんと同い年じゃないかしら、あの子」

「ええ、本当ですか?」

 工事の打ち合わせが終わり、三冬は藤原家を後にした。

「ふう」

 一息つき、胸に手を当てる。

実は、商談を一人で任されたのは今回が初めて。時高たちには落ち着いているように映っていたかもしれないが、本人はとんでもなかった。三冬は徐々に収まっていく胸の鼓動を聞き、緊張から解放されたのを実感する。

 会社へ戻る途中、来る時に気になっていた豚かつ屋で昼食をとることにした。十二時には少し早いが、もうお客が何人か座っている。

……これは当たりかしら。

どこに座ろうか店内を見回していると、

「あっ」

 三冬と承三郎の目が合った。承三郎も用事を終えた帰り。三冬は若干の気まずさを感じながら承三郎にまた会釈し、離れたテーブルに座った。すると、

「移ってもいいですか?」

「え? ああ、はい……」

「それじゃあ……。店員さん、さっきの注文、できあがったらこっちのテーブルに運んで下さい」

 この承三郎の行動に、三冬は驚きを隠せない。

「このお店にはよく来るの?」

「いえ、初めてなんです」

「自分はよく来てましたよ。やっぱり、上ロースかつ定食が一番かなぁ」

「じゃあ、私もそれを……」

 仕事以外でのお客との会話には、また違った緊張感があった。

……結構気安い人なのかしら、もしかしてナンパ?