軍服ではなかったが、顔付き、肌の色、体格、そして時折口にする言語から、間違いなくソ連人であった。
窓口前の広間に、人々は集められていた。
……こりゃあ、痛い目に遭うどころじゃないぜ。
壁の裏に身を潜め、篤志は事の重大さを知った。
……今度は、あいつの勘の当たりだ。
なぜ今彼が銀行の中にいるかというと、それは少し前のこと。
銀行から少し離れ、楡井は篤志を止めようとした。
「本当にやるのか?」
「ああ」
「けどお前……」
楡井は不安そうに、
「盗みはもうしないんじゃなかったのか?」
「馬鹿、盗みに入るんじゃない」
篤志は胸を張って、
「中の様子を見てくるだけだ」
「けどよ、どうすんだ? 道具がねえぞ」
そう言われ、篤志は銀行前の人々を差した。
「目の前にどれだけ女がいると思ってんだ?」
こうして、銀行の裏口に回った篤志は女性に借りた髪留めのピンを使い、扉の鍵穴をカチャカチャいじった。
楡井は懐かしいものを見るように、「片手のくせに器用な奴」
「今は乳絞りで役立ってる……よし、開いたぞ」
篤志はピンをポケットにしまった。
ふうと一息吐き、
「じゃあな、待ってろ」と、いうわけだ。
中の状況を知った篤志は自分の手には余ると思い、警察を呼びに裏口へ引き返そうとした。
が、そのとき。
ガン!
何者かに頭を殴られ、彼は倒れた。脳震とうを起こしたようで、そのまま引きずられた。
行員と客たちが集められた窓口前の広間に、篤志が運び込まれる。篤志を運び込んだ男は、ロシア語でソ連人と二言三言話した後、そのソ連人の隣に回り、行員や客たちから目をそらした。
「支店長!」誰かが叫んだ。「裏切り者!」
すぐにソ連人は銃口を向けた。また支店長と呼ばれた男にも、しいっと人差し指を口に当て、そのまま静寂を求めた。そう、ソ連人に協力する男は、この銀行の支店長だった。
支店長は行員と客らの軽蔑の眼差しを受けながら、
……仕方がないのだ。心で弁解した。……すべては運が悪かった。
これは彼がまだ仕事中、外で一服しようと裏口から出たときである。
付近に見慣れぬトラックが1台止まっていた。このとき彼は単なる無断駐車かと思い、特に気にすることもなかったのだが、それがいけなかった。中に戻ろうとした瞬間、トラックのほろから素早く出てきたソ連人に拘束され、中に押し入られたのだ。そして片言だったが、こちらの言語で要求を告げられた。
「きんこは、どうしのもの」
『どうし(同志)』とは、社会主義のソ連が体制側の人間を差してよく使う言葉であり、そのため帝国にはそんな彼らを、『ソ同盟』と揶揄する者もいるほどだった。
彼は察した。
……資産を接収する気だ。
事実、ソ連側は戦闘激化に伴う島民らの島外脱出を見据え、本土に資産を移動される前に、資産接収のための工作員を送り込んだのであった。
これには終戦後、より多くの資産を自国のものとする狙いもあったが、何よりソ連側は、仮想敵国の米国がこの戦争で利するのを1ルーブリたりとも阻止したかったのである。
この支店長はロシア語を少し知っていた。
ソ連側はあと1日もあれば、島内の戦闘に片が付き、樺太全土の占領政策に着手できるとみていた。つまり、1日だけ、銀行の機能をまひさせればよかったのだった。捕えた銀行員や客たちは、その間いざという場合の時間稼ぎで使う人質なのだ。
それを知った支店長は、自ら通訳の協力を申し出た。
この協力はソ連人の狙いを知り、下手に人質が騒がないよう自分が仲介役となるためだった。
恐怖で人を操る術を心得ていた工作員は、この男は手中に収めたと確信した。
同胞の人質たちを前に、支店長は心で嘆願した。
……分かってくれ。あの売国奴たちとは違う。