lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

甥っ子・姪っ子にいい加減なことを教えたくなる独身伯父(叔父)さんの心理

未婚36歳だが、甥っ子・姪っ子は既に6人いる。

姉夫婦に1人、次男に3人、三男には2人。上は中学生、下はたぶん3歳くらい。

おかげで子どもはいなくても、伯父(叔父)さん歴だけはとうに10年以上。

正月のお年玉なんて、トータルいくらあげたことか。

 

まあ、好きであげているのだから、そこに不満はない。自分が子どもの頃、親戚からお年玉をあまりもらえなかったこともあり、意地で多めに包んでもいるのだ。

この先はどうだか分かりませんが、あげられるうちは続けたい。

特に感謝されてる様子もないけど、たまに会えば、どいつもこいつも可愛い奴らである。

 

こんな善行(?)と合わせ、甥っ子たちといるとほぼ必ずやる、やってしまう悪行。

 

悪行といっても、ものを盗んだり、誰かを襲撃してみせたりするのではない。

トランプでいかさましたり、詭弁を教えたり、水性ペンで眉間に「うんち」と書いてみたり、限界まで積み上げた積み木をわざと崩壊させたり。そんな幼稚な行いの類。

けど、これがなぜか楽しい。

 

もちろん、本気で煙たがられているようならやめますが、今のところそこまでではなく、むしろ喜ばれてるようにも感じる(あくまでこっち目線)。

加えて、姉弟や両親、親戚連中から顰蹙を買えば買うほど、こっちは愉快になってくる。

その状況が正しいとすら思うのです。

 

生きる上で何より大切な衣食住の世話をするのは親の義務。そこに親のありがたみがあります。

けれど、ひと一人の人格が育つには、親から得るものだけでは不十分だ。自分も、親以外の大人から色々学んだ結果、今がある。

 

そんな考え方をしてるものだから、甥っ子・姪っ子たちには、あえて常識と外れた振る舞いをみせたくなる。そうすることで、いや、そうすることが、経験上、人格の幅を広げるためにも重要だと勝手に信じているのだ。これまでは。

 

以上の考えは、いい加減改めるべきかもしれない。

 

だって、今の自分を見れば、ろくな大人でないのは明白。

出世しない、金もない、ひねくれてる。こんな三拍子、誰だって愛すべき我が子に備えさせたくないだろう。

「自分もこうだったから、こうする」というのは、危険な発想なんじゃないか。断ち切るべき負の連鎖を繋ぎとめ、狙いとは違った状況を招くかもしれないのだ。

 

・・・これはこれで考えすぎな気もする。

自分の影響力などたかが知れている。彼らにとっての存在価値は所詮、「お年玉おじさん」程度。

それはそれで清々しい、何の責任も負わない身軽なニヒリズム。 あとに残るのは、有象無象の一部にすぎない男がひけらかした、恥ずかしい自意識過剰だけである。

あえて一点、自己弁護をすれば、自分が影響を受けた大人たちとの記憶は、今や絶対的な価値を帯びている。いわゆる、盲信・狂信の部類かもしれないが、そうだとしても、少なくとも36年生きてこられた理由の一つに、その記憶は含まれる。

現在地がどんなに哀れでも、現在地まで導いてくれた記憶の価値は疑わない。その辺の真心くらいは分かっておいてもらいたい。

 

一番上の甥っ子はもうじき高校生。

彼とは、自分が21歳か22歳のときからの付き合いで、年の離れた弟みたいな感覚もある。

こいつにくらいは、おふざけだけでなく、真面目な話も交えてみようか。

それこそ煙たがられるかもだが、自分だったらそうされたかった。

あるいは、「自分はこっちじゃなかったから、こっちにする」というのも危ない判断基準か。

 

結局、お子様連中との付き合い方は、時と場合によってうまく使い分けるしかない。

ホント、親は大変。

おじさんの方は勝手に気苦労しているだけで、実に気楽な存在である。