「整いました!」
定番のフレーズで始まり、軽妙な謎かけで観衆を引き付ける芸人、ねづっちさん。
そのネズミのような風貌に似合わず(ごめんなさい)、どこかユーモラスな声のトーンで展開される話芸は一級の職人技。
特に驚くは、その機転のスピードだ。
「○○と掛けて、▢▢と解く。その心は・・・」
お題を出されてから整うまでは、まさに一瞬、長くても数秒。しかも一つのお題から、出るわ出るわ。
例えば、
「キン肉マンと掛けて風呂上がりの孫と解く。その心は、どちらも、ゆでたまご(湯、出た孫)」
「ゆでたまご先生と掛けて、スキーの荻原健司と解く。その心は、ジャンプで一世を風靡した」
「ゆでたまご先生と掛けて、親友を沖縄から出るのを止めると解く。その心は、仲いいと島出さん(中井と嶋田さん※ゆでたまごは両氏のペンネーム)」
ホント、頭の構造が知りたい。
そんなねづっちさん、ユーチューブで「ねづっちチャンネル」やっています。
さっきのキン肉マンネタもユーチューブからの引用ですが、今日(4月1日)気になった動画が次の一本。
「陸上銀メダリストの自宅トレが話題」
バスタブでのユニークなトレーニングが話題になっているというスポーツ選手を取り上げ、ネタを披露するねづっちさん。
そのうちの一つが・・・、
「バスタブで足を鍛える。ついでにコロナも吹っ飛ばす(フット、バス)」
・・・うまい。
シンプルなうまさのお手本。
人によっては、もはや、
「神の領域!」(ねづっちさん生粋のファンの掛け声)
芸人さんをはじめとしたイベント・エンタメ業界の実情は肌では分かりませんが、新型コロナウイルスの影響による将来への恐れは相当だと察します。
ねづっちさんも、出演予定のイベントやライブが軒並みキャンセルとなっているそう。
自虐ネタも投稿していました。
「嫁に○○と呼ばれて」
なので、さっきの動画には、コロナウイルスに対するユーモアを使ったせめてもの反撃、という意図もあるのかなと勝手に想像しています。
さて・・・。
(ここからの見解は、片山英一の私見です。ねづっちさんとは関係ありません)
コロナ騒動を巡り、大抵のメディアは、自粛の強化や継続で論陣は一致。
多くの市民(ネット民含む)もそれに乗り、若者の外出や飲食店の深夜営業などを咎めていますが、こんな状況が長く続けば、コロナ以外の死者や別の混乱が大きくなるのは確実でしょう。
自粛や行動制限を強く主張する人たちの中には、心からの善意でそうしている方もいると思う。
けど、きっと(いや、間違いなく)全員ではない。
多くの場合は、まだ自分の尻に火がついていないから、一方向の主張ができる。
「今自粛すれば、収束は早まる。だから今は我慢なんだよ」
しかし、事態は長引き「いよいよ自分も危ないかも・・・」。そんな兆しが出てきたら、彼らは今とは逆の行動に出るだろう。
期待していた淡い希望が無残に打ち消された人々の狼狽ぶりは、容易に目に浮かぶではないか。
コロナ騒動で押さえるべきは、確認された感染者の数ではない。コロナは感染しても多くの人は死なないし、軽症で済む。
それなら優先順位は明確だ。
ひんしゅくを買うかもしれないが、言うなれば、「一人を救うために百人を犠牲にするのか、それとも、百人のために一人を犠牲にするか」である。
熱いヒューマニズムに駆られているうちは、「大切なのは人の命 」の一点張りが正しいのだと信じられるだろうが、そのメッキが剥がれた瞬間、ぬっと現れるのはまったく別の熱量をもったエゴイズム。
つまり、命は命でも、大切なのは自分の命。
その時起こる混乱の方が、よほど怖い。
だからこそ、最悪な結末を迎えないよう、やはり経済は活動させておく必要がある。
そんな気分を抱えながら観ていたねづっちさんの動画。
笑いをとるのが芸人の仕事とはいえ、時には笑い抜きで、真面目に本音を吐露したくなる日だって芸人にもあるだろう。
それでも、あくまで「コロナを吹っ飛ばす(フット、バス)」と芸に徹する姿勢には、うっすら神聖さすら感じた。
そんな神聖な力、自分にはないと自覚しつつも屈するわけにはいかない性。あるいは、言葉を駆使してきた玄人としての固い意地が垣間見えた気がした。
こうした芸は不謹慎でもなんでもない。
異常事態の最中ほど、本当の芸人が誰なのか見えてくる。
これこそが、僕が思う、
「神の領域」
ああ、ねづっちの教則本、出ないかな。