投票に行ったことはないが、近年の選挙で戦う各政党の主張は、個別具体化の色合いが、かなり先鋭化する感じになってきた。
ワクチン反対は一つの例。
確かに、ワクチンを盲信して疑わない民衆には僻僻するのをとうに超え、殺意や、テロリズムの衝動すら覚えるが、そこを足掛かりに立候補しようとは、個人的には考えない。
仮に、反ワクをきっかけとするにしても、いや、そうするのであれば、なおさら、この3年にも及ぶマスクマンどもの性根を徹底的に考察し、長い歴史の中で、今の世間がどういう程度の偏差値にあるのかを自分なりにまず規定する。
そして、その糞溜めから抜け出す、あるいは糞溜めごと葬り去ってみせる思想なり、精神論なりを整え、そこへの確信を持って、自分の意思を固め、仲間を探し、一定の数が集まれば、この私の思想・精神論は「政治的信条である」とようやく格好つけて話すようになるだろう。
今の政党はあまりに場当たり的、歴史観がなさすぎる。
歴史観というと、「のろまなコンサバでは超スピードの時代に付いていけない」と馬鹿にされそうだが、違うのだ。
歴史観とは、昔を尊ぶ懐古厨のことではなく、「過去にあんな経験をした俺が、この程度で臆すはずがない、臆すわけにはいかない、そうなるくらいなら死んだ方がまし」という戦いの心構えをいう。
こうした歴史観を失った(そもそも興味がない)民衆は、ちょっとでも生き永らえそうな勢力に恥ずかしげもなく寄り付く。
あるいは、腹の底の不満や憤りを一瞬でも和らげてくれるキワモノを、安全地帯から煽り倒す。
それが、今回の参院選。
かなり前から既にそうなのだが、愚か者はまったく気付かず、賢い者はとうに知っているから飽きており、ときに有名人のように自殺する。
今朝の読売新聞、おたくの政治広告の下に、毛生え薬か何かの広告がセットで出ていたぞ。
さすがに意図的のはずはないだろうが、結果として、芸人扱いだ。
もし、日本大麻党に「歴史観」があったなら、党首自ら、街頭演説の中で実際に大麻をヤッてみせ、警察に捕まる。
その単なる事件を象徴的な事変にすり替え、あらかじめ用意しておいた別の候補者を世に放っていたな。
なんちゃって。