lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

【小説】ディナーのあと⑲ 僕は決していい人間じゃないが、君たちにとってそんなに悪い人間だったかな

リストランテ・ヴェッキオのオーナー、フランチェスコ大滝には夢がある。すべてのものを愛し、裏切り、捨ててやるのだ。

本人は極めて明るい。この世の暗闇に埋もれないため、さらに濃い暗闇を持つ、ただの敗者はごめんだ。

他に方法があったとしても、彼は選ばざるを得なかった。生い立ちや境遇なんぞ無関係に、弱さと賢さを折り合わせた結果こうなる。

だから、あの斎藤一二三のことは目障りではなかったが、消えてもらおう。自分と似た生命力を持っている奴。勝手にやるだろう。

この国で、人生は長い。だから短くする必要がある。誰に何と言われようとだ。今は、無駄死にするなと無駄に生きてる奴らがさえずっている、たまに不幸に遭うと、生きてるだけで丸儲けだねとしみじみする。違うだろ。生きているから不幸だって付きまとう、堕落を免れたいから死が最後の砦になる。孤独を飼い慣らす常識が、今はどこへ行ったのやら。ヴェッキオとは熟成されたものを指すのだから、そこのオーナーが名前負けはできない。

「あなたも変わった女性だ」

鏡の前で化粧を直す女に囁いた。

 

「変わってるのが好きなんでしょ?」

「訂正しよう。あなたは、他に代え難い女性だ」

まずは愛する、フランチェスコの作法だ、例外はない。鏡に女の笑みが跳ね返る。卓上の電話が震えた。

「もしもし。うん、うん。分かったわ、いいんだって。唯ちゃんがもっと落ち着いたら、思う存分奢らせてあげるから」

朱美は振り返ってキスをせがんだ。フランチェスコは笑顔で応える。二人にはこなれた演技である。なぜ演技を交えてまで情事に暮れるのかと問われれば、楽しいから。演技をするのも観るのも、昔から変わらぬ庶民の娯楽なのだ。甘く考えてはいけない、そこに、真理に辿り着くヒントだって隠れてるかもしれない。

「まだもう少しいるのかい?」

「そうね。帰りたくなったら帰るわ」

「あと一晩くらいは過ごせそうだ。僕の店に来るといい、招待するよ」

「イタリアンのレストランだっけ。敷居が高そうね」

「朱美なら問題ない」

「じゃあそれを、この街での最後のディナーにしようかしら」

先に朱美が部屋を出ていき、今度はフランチェスコが鏡と向き合った。映る角度や表情を色々変え一言、「悪くない」

変な顔してると感じる日もある。違いがどこから来るのか、前日の酒や食事以外の理由でその正体が分かり、自在に操れた時、彼の命はエンディングへと加速する。

店の活気はいつもと同じようにも、大人しいようにも感じた。フランチェスコにとってはさほど重要でない、重要なのは売り上げだ。

「これはこれはオーナー。最近はよくお越しで」

太鼓持ちの多々良がすり寄ってくる。

「頭は大丈夫ですか」

「わはは、こんなたんこぶ、大したことナイジェリアですよ」

「うん?」

「大したことナイジェリア」

「そう。頭は大丈夫そうですね。上原君を呼んできてもらえるかい、僕は奥へ行っているから」

多々良はいささか心外な気持ちでフロアの上原に声をかけた。

「あとで密談の内容を教えてくれよ」

「いいですよ、嘘でいいなら」

執務室に入ると、フランチェスコが火のついていない煙草を指に挟み、椅子に腰かけている。

「やあ、適当に君も座るといい」

「オーナー、吸いたければ吸っても構いませんよ」

「いいんだ。何となく手持ち無沙汰でね。このニュース……」

テーブルの新聞を広げ、記事を指差した。「今世界じゃ、各国のトップが一対一の交渉で存在感を発揮しようと躍起だ。複数のプレーヤーが同じ秩序を維持し続けるのは無理がある。持論だがね、世界が追いついてきたようで少し嬉しいんだ。僕が妾の子供というのは君も噂で聞いているだろう。いいんだ、事実なのだから。幼い頃、自分にはどうして父親がいないのだろうと不思議だった。悲しくはなかった、ただ不思議だったんだ。その悩みが僕を孤独に負けない、賢い人間に育ててくれたと思っているよ。結局は、僕がこの店のオーナーだしね」

「はあ」

「僕ほどではないにせよ、君も苦労を背負っているだろう。本題に入る前に少し聞きたいね」

「何をです」

「君の原風景の話さ。人間はいがみ合う前に互いを知る必要があるだろ」

上原の瞳の輝きが濃くなる、フランチェスコにはそう映った。

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「原風景なんて大それたもの自分には。ただ一つ、子供の頃、悪い先輩の命令で万引きしそうになって、怖くて逃げましたけど、あの日の情けない気持ちはずっと付きまとってます」

「それだよ、貴重な情報だ。やっぱり煙草、吸わせてもらおうか、吸いたくなってきた。君はやらないんだっけ」

「ええ。一度は料理人を目指した身ですから」

「僕は料理人になろうなんて考えたこともない。がきの頃の夢はパイロット、野球選手、宇宙飛行士、月並みだろ? けれど、この店はいつか自分のものになるんじゃないかって、そう予感してた。だから手に入れた時は、ああやっぱり、と頭の中でつぶやいただけだ。自分の認識力には改めて自信を持てたけどね。

僕の最大の武器は、僕自身の中にある。節目節目で、この力が助けになった。死ぬまでに最高の水準へ高めてやりたいもんだよ。

僕はね、上原君、君が好きさ。君が別の感情を持っているのは知っている。斎藤君に肩入れしていることも。その上であえて言うんだが、どうだ、ここに残らないか。玲子から聞いていてね、女の勘らしいが、彼女の場合は当てになる。それがなくとも、きっと同じことを言っただろうがね」

「彼女は、オーナーに憶測を打ち明け、自分を引き留めるのを期待したんでしょうか。そうは思えない。もっと別の意図があったのかもしれません」

「興味深いね。続けられるかい」

「下品な言い方ですが、彼女はオーナーの女、ですよね。その最後の義理、だったんじゃないか。斎藤と一緒に自分も辞めるだろうと気付いた彼女は、彼女自身もある決意を持った。だとしたら、オーナーに告げ口したのも納得できます。彼女の性格が、自分が考えている通りならおそらく」

「玲子が僕から去ると。いい想像力だね。玲子のこと好きなのかい」

「別のある女性について考える時間が長くなってて。思考の派生が利くのかもしれないです」

「なるほど。やはり失い難いな。返事を聞こうか」

「自分は、辞めます」

「辞めてどうするんだ」

「あいつ、斎藤とまた店を始めるつもりです」

「そいつは脅威だな。僕が黙って見過ごすとでも。既に前例だってある」

「お好きなように、としか言えません」

しばしの沈黙。厨房の騒々しい振動が部屋まで伝わってきて、「そろそろ行かないと」上原が腰を上げた。

「最後に一つ、答えてくれないだろうか。僕は決していい人間じゃないが、君たちにとってそんなに悪い人間だったかな」

「出会い方や、出だしの付き合いのせいもあるんじゃないでしょうか。出だしの悪さは尾を引く、いい出会いはいつまでも忘れられない」

執務室で一人になり、フランチェスコは愉快だった。好敵手が現れたようで、面白いじゃないか。まずは愛する、どんな時も彼の流儀は変わらない。そして、やられる前にやる。イメージを膨らませるように煙草の煙を目で追った。

 

続く