lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

【小説】ディナーのあと④ 両親が離婚し、それなのに平然と物事が進む世の中で

この日の営業が終わり、一息ついていたスタッフ全員が集められた。

「みんな、いつもいつもご苦労様、このリストランテの誇りたちよ!」

店のオーナー、フランチェスコ大滝が大きな身振り手振りを交え話しだす。光沢のあるスーツに、片手にはワイン、お決まりの演説スタイルだ。

「一日働いた後、美味いものを食べ、美味い酒に酔う。これは人種や国籍を問わず、誰もが納得する人生の楽しみ方の一つだろうよ。

人を喜ばす商売はごまんとあれど、君たちは格別。君たちの高貴さ繊細さ大胆さ、そして地道さにかなうエンターテイナーがどこにいるだろう? どうだい多々良支配人、いると思うかい? そうそう、そういうことだね。

今夜は君たちの働きぶりを少し拝見させてもらった。荒々しくも流れるような調理の手さばき、完成した調理を紳士と貴婦人の身のこなしでテーブルへ届ける職人技、ゲストをもてなす場に当店を選んでくれた主人たちへの温かなサービス、いや、良かったよ、どれも素晴らしい出来栄えだった。

先代から店を譲り受けることが決まった時、これまで何度か訪れたこの店がまったく別物に映り、責任の重さと挑戦の始まりに身震いしたもんだ。その新鮮さは、今も血液に混じりこの身体を駆け巡っている!

そんな僕だからだ、あえて言おう、今夜は料理が出てくる間に淀みがある気がしたんだ。淀みとはばらつき、不安定さと言ってもいいね。それでも十分、このリストランテの水準は保っていたからまったく問題はないのだが、オーナーとして用心深いのにこしたことはない。

いやいやこんなこと、多々良支配人と上原副支配人、それに何より斎藤料理長は重々承知のはずだろうから、神経質過ぎるきらいもあるのかな。あの淀みの原因はなんだったのだろ? 

基本的には調理場の問題と思うけど、料理長の腕は確か、その安定感も知っている。体調にも異変はなさそうだ。だとするとこれは、他のシェフたち……失敬、犯人探しをする気は毛頭ないのだよ。まして、若手はこの斎藤料理長が育てているんだからねぇ。玲子、ヴィーノロッソ(赤ワイン)のお代わりもらえるかい。

……いやまったく、心配性というのは経営者の烙印みたいなもん、度が過ぎれば周りを不愉快にする悪癖だ。

見方を変え、この悪癖にもいい点があるとすれば、心配を消し去るため常に新しいアイデア、ビジョンを思い描くということくらいかなあ。だから僕はいつだって前向き、相手が本心で何を思ってようとね。

僕を信じてついてくることだよ、みんな。それがこのリストランテのさらなる栄光の始まりとなるはずさ。仕事に限らず悩みがあれば、いつでも気兼ねなく相談に来てもらいたい。僕たちは家族、なんていうのは言い過ぎかもしれないけど、君たちが家族を大切に思う気持ちを、僕は何より尊重するから。

社会の礎が家族だなんて良識、僕は子供の頃からわきまえてる。安西君、聞いてくれてる? もう眠くなってきたかな? いいんだ、いいんだ。君のその伸び伸びとしているところが好きさ。

真実も顔つきが変わってきたし、斎藤料理長、この子たちを育てる君の役割は重大だよ。上原副支配人にも斎藤料理長との双璧で、引き続き人材育成に気を配っていただきたい、お願いするよ。

さあさあ、最後は僕の奢りで乾杯しようじゃないか。玲子、これと同じのをみんなに回してくれ。……どうかな、全員に行き渡ったかな。よし、みんなお疲れ様、乾杯! 最後に一言、近々僕のアイデアを発表するから、楽しみにしてて!」

 

 

◇◇◆◆◇◇

子供の頃から知る駅前の商店街で久しぶりの散歩。他の多くの地域の事例と同様、知らない店舗が増えた光景に一抹の寂しさを覚えても、その感情は、彼女がこの街の昔馴染みである証拠であり、決して本人を気弱にはしなかった。

午前中から営業している飲み屋は相変わらずだ。母と叔母から聞いた街歩きのテレビ番組で紹介された影響か、以前より客足が増えている気がする。

今日ここへ来たのは買いたい物があったからではなく、時の流れに触れられる場所で意識を浄化するためだった。

「でも、いい物があったら欲しいな」

 

そんな余裕も持ちつつ、できるだけ早く、自分が本当に望んでいるものは何なのか確認したい。この商店街を出た時にそうなっていたら、そう期待すると同時に叶わないだろうとの現実も見つめ、唯は勇人の手を引いた。

雑貨屋の店先に陳列してあった商品の一つに勇人が手を伸ばした。唯がたしなめたら店の奥から店主思しき男性が現れ、自由にのぞいていってと言われる。申し訳なさそうに、仕方なさそうに唯は店内に入る。

こんなことが過去にもあった。

中学生の時、唯はこの商店街で万引きをしようとした。両親が離婚し、それなのに平然と物事が進む世の中でどうしようもなく不安が高まり、その不安が嫌悪を呼び寄せ、どうにでもなってやろうとした。平気で法を犯す強さでもなければ、不安に喰われる、自分がなくなってしまう。今振り返れば恥ずかしく、それだけ切実だった記憶だ。

その万引きの場面で、今のように店の人から、好きなだけ見ていきなさいと話しかけられた。店の人が唯を疑っていたかどうかは不明だが、唯には警告となり、どうにか万引きは思い止まることになる。

人生は自分の力で切り開く、されど、自分の力だけで切り開けるほど容易でないのもまた人生。複雑な境界線を踏み外さずに生きるには運だって必要だ。強運でなく、些細なきっかけ程度でいいのだ。

その点、唯には運があったといえる。あの日の夕方、上原にばったり会い、ハンバーガーとフライドポテトを奢ってもらったのも唯が境界線を保てた要因だったといっていい。

「お邪魔しました」

エプロン一着と子供用のマグカップ一つを買い、店を出た。

あの時の店は、輸入物の食料品店に変わっていた。

「優ちゃんもたまに来てるって言ってたっけ。これも奇遇かな」

その上原がもしかして自分を思ってくれているのではないか、一昨日会ってそう感じていた。思い過ごしだ、自意識過剰だと打ち消そうとして、叔母にからかわれ、かえって意識するようになってしまっている。

馬鹿げたことだ。上原の好みはもっと背が高く、顔の彫りも深くて自立した雰囲気の女性だ。以前付き合っていた彼女がそうだった。

上原のことを考えないようにするため、考えるべきじゃない理由を探して結局、上原のことで頭が占められる。実に馬鹿げている。好きだという気持ち自体を否定したいわけではない、だってそれは今に始まったものではないのだから。肝心なのは思いの扱い方だ。

これまで思いを伝えるに至らなかった理由には、月並みなものから複雑なものまでが存在し、それらが交錯した渦の中で、知らなかった新たな感情が生まれ、年月が経過していくにつれ唯の人格に深みを与えた。

当然、上原への思いだけが唯を構成する要素ではなく、結婚も離婚も含め、自分で選択した様々な行為の余韻が唯の皮膚には刻まれている。だからこそ、知らなかった様々な感情があることを自力で学び、その感情を抱えて生きた経験の長さがもたらしてくれる「回りくどい恩恵」が、唯には訪れていると上原に直感させ、「年を取って顔つきが良くなったんじゃない」と言わせた。

上原ほど言語で物事を解釈しようとする気質が唯にはなかったから、上原が好意だけでなく尊敬の念さえ持ってくれていることに唯は気付けていない。もし唯が気付いていたら、いや、ここで伝えるべきなのはやはり上原なのだろう。

なぜなら、唯本人はよくあるパターンの一つに過ぎないと自重しているこれまでの自身の道程を、本人が見通せない部分まで深読みし褒めてあげられるのが、今の地球上に上原しかいなかったからだ。

 

しかし、男とは面倒な生き物である。これほど明確に自分の意識を把握しておきながら、それほそれとして、時代を俯瞰し理想を追いかける情動からずっと逃れられない。

地に足が着いていない状態では、ワンナイトラバー程度の付き合いならともなく、真剣に思っている、思ってもらいたい相手に対し本音を打ち明けることができないから、出会ってから今まで、二人の距離は一定以上縮まらないままでいる。

 

続く