lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

【小説連載】刑事堀部(6)~手合わせ その1

ここまでのあらすじ

対米戦争末期の1945年8月。南樺太に勤務する警察官の堀部は、ある日、火事の焼け跡から出た死体の捜査に出る。死体の状況から殺人と判断する堀部。同じころ、島では国境を接するソ連が対日開戦を宣言する。

 

2 手合わせ

 

「もし」

「はい?」

「こちらの学校、放課はまだ?」

「だと思います」

「ありがとう」

少しして……。

「もし」

「はい」

「あなたも待ち人が?」

「ええ」

「奇遇だ。自分もなのです」

「……」

「もし」

「はい」

「いえ、何でもありません」

面倒だなあ……。

篤志は男同士の探り合いが性に合わない。

「俺が待っているのはサエという色白さんなんです」

「サエさん、ですか?」

「一度出会っただけなのですが、どうにも忘れられず」

「忘れられない……。自分も似たようなものです」

この日。

篤志はどうにもたまらない衝動に襲われていた。サエに会いたいのだ。

制服で学校は分かっている。けれど、どうにも踏ん切りがつかないでいる。

「おのれソ同盟……」

これが理由ともいえるし、言い訳ともいえた。普段の自分はもっとこう快活で固定観念に縛られず、偽善より偽悪を良しとし、全力で現世を生きる、そんな傑物のはずなのに……。

いや……。

ただそうありたいと願う一庶民に過ぎないのが、本来の彼なのであろう。

気になる女ができた。こう思って以降、彼はそれまであった『私』への自信が揺らぎ、時代が持つ『公』の大きさに引け目を感じてしまっているのだ。

つまり、自分だけ幸せでいいのか、自分が幸せにできるのか、ということである。

とはいえ、

「このままじっとしてたら、もう二度と会えないかも……」

仕事の合間、やっぱり篤志は出かけることにした。校門前まで来ると、

「まだ終わってないか」

さすがに部外者がずけずけ敷地に踏み入るのも無粋とわきまえ、彼はこの場でサエを待つことにした。ただ、これが案外しんどい。

毎朝の乳絞りだってしんどいものの、手を素早く動かせば、それだけ早く仕事が済むため時間を気にすることもないのだが、待つというのは、ただ待つ以外どうにもならず、それはまるで、時の流れが止まったようでもある。また、そうしているうち、もしや早引きだったのでは……裏口から出ることだってあるな……友人と一緒ならどう声を掛けよう……覚えているかな……避けられはしないか……そもそも今日は不登校の可能性だってあるじゃないか……。

などなど消極的な考えが浮かび、いよいよ時間に絞め殺されそうな心地になるのだ。

「……他の女じゃこうはならない」

せめてこう思えるのが辛抱の大義である。

そんなとき、道の向こうから知らない青年がやってきて、篤志がいる校門前ではたと立ち止まった。

恐らく入ろうか入るまえか、誰かさんと同じような思案を巡らせたら、

「よそう」

そう決意したとみえるその青年は、篤志と反対側に陣取り、校門前に2人の男が並ぶ形となった。

青年は軍服を着ていた。

上等兵のそれに見えた。

 

◇◇◇◇

住み込みで働く女学校の用務員・楡井正夫は夜中にふと目が覚めた。

……乾いた口でも濡らそう。

半分寝ぼけたままの楡井は早く寝床に戻りたい。なので釜の水をちょろっとだけ飲み、さあ寝床だ、と足を引いたのだが、

「うん?」

彼は首を伸ばした。

……あれは。

見つめたのは宿舎の窓の外。人影がある。

……2人いるぞ、ありゃあ男と女だ。

こんな夜更けに逢引きだろうか。 

……ご苦労なことで。

そう思っていても、外をじいっと眺めてしまうのは庶民の性である。

……おっと、行っちまったい……。

この晩はそれ以上気に留めず、楡井はさっさと寝床に潜った。

次の日、人影のあった場所に行ってみた彼は、「色気のある場所じゃあないね、こそこそ会っていたのは学生さんかな」、こう思い校舎裏の掃除に戻ろうとした。

「楡井さん」

不意に後ろから呼ばれた驚き。さらに、呼び掛けてきた相手への驚きの二つが重なり、彼の身はシュシュッと縮こまった。

……そうだ。

今になってみれば、あれが彼女と楡井の最後のやり取りになってしまった。

今日である。

白髪頭した堀部とかいう警察の人間がやってきて、教師らに色々尋ねていった。前置きにこちらで何校目だとか、かんとかぬかし、今の島の状況が分からぬようなあの男を、
「阿保か」

と、楡井は心底軽蔑した。

ソ連軍が攻め込んできたというのに……。

まだソ連が参戦してくる数日前のあの日、校長の木下則子はいつになくにこやかだった。

「おはよう、楡井さん」

そう挨拶され、彼が彼女と2人きりで話したのは初めてだったかもしれない。

「いつもご苦労様です」

「そんな滅相もない」

楡井は恐縮した。

「働きぶりには感謝してるのよ。もうどれくらいになるのかしら?」

「3年ほどで……」

「その間、病にも罹らず偉いことだわ。健康の秘訣でもあるの?」

「愚か者は風邪を引かないといいます」

「あら、冗談言わないで」

彼女は楡井よりだいぶ年増なものの、目鼻立ちはきりっとし、なるほど、若いころはべっぴんだったろうなあと思わせた。彼女は他にも、

「朝は食べているの?」

「変わったことはない?」

と親切に尋ねた。それだから、彼は昨夜見た密会について早々彼女に知らせ、不審者には十分用心するようお願いされたのだ。必要としてくれたのが嬉しかった。

あれから、わずか数日後の8月8日。ソ連軍は帝国へ開戦を宣言すると、翌日から攻撃を展開し、中国東北部満州、そして樺太でも帝国と交戦するに至っているのだ。樺太の国境付近はソ連軍が明確に越境する以前からせめぎ合いとなっている。

そして、8月9日。

その昼すぎのこと。教頭の真壁は堀部を問い直した。

「警察がこんなところにいる場合ですか?」

堀部はばつが悪そうに、

「仕事でして」

と理解を求める。

「教師の方々は全員ご出勤されていますか?」

「病欠はいないはずです。それが?」

「身元不明の遺体があり、学校関係者の可能性があります」

真壁は「ふうん」とうなずいた。いかにも嫌そうに、とっとと堀部を追っ払いたいのだ。

「物騒ですね。うちではないでしょう」

「確かかどうか。ご確認を」

「この女学校の教師に不穏な事件に巻き込まれる者などいないはずですがね」

「他校の方々にもそう言われました」

真壁は鼻で笑い堀部を邪険にしたが、どうにも引き下がりそうにないので、嫌々ながら、

「少し時間をくれ」

部屋から一度出てもらった。待ってる間、堀部は廊下で一人ぷらぷらする。

彼が今いるのは島内のある高等女学校。

授業はまだいつも通りのようので、すれ違った幾人かの女学生から丁寧に挨拶され、彼の気分はいくばくか潤った。

ソ連参戦で警察官も島内の警備にとられ、人手不足は加速し、『残った一人一人が警察署』の状態である。たった一人で、あの焼死体の発見現場近くの学校を回るのはさすがにしんどい。ただ、女学校のああした清々しい風景に出会えるのは今日でギリギリだったかもしれず、その点では運は良かったかもだ。

 

続く