1 開戦
1945年8月5日。
樺太で今年最初の山火事だった。
「もっとや、もっと!」
「走れ走れ!」
駆け付けた島民らは自然鎮火など待ってられず、腹から出る怒声で火を吹き消さんばかりの威勢、かえって壮観である。
幸いにも火の手はそれほどでもなく、延焼を遮断する無林帯で勢いは収まりそうだ、と駆け付けた人々はみたものの、やはりそこは遠くの災害より近くの蜂の方が怖かった。
本土で空襲が続き、大勢の同胞が焼死したり、町が焼け跡になったりする知らせが連日耳に届く中でも民衆のとっさの自衛反応とはこうなのだ。
用心と予期に越したことはなく、火防の職員と手助けの力自慢は協力し、ありったけの水を火勢の周りにまいては駆け、まいては駆けで奔走した。
「明け方にはくすぶりに変わるのじゃないか。風が収まってくれて助かった」
群衆の1人が言った。
「鎮火の仕上げは俺に任せてお前らは帰れ」
興奮冷めやらぬ別の島民が応じる。これをみると、人間関係の近い島内事情が最も功を奏すのは、なるほど危機に直面したときというのがよく分かる。
「いや、そんなことはない、平時の助け合いがあればこそだ」
そう誰かが反論したとしたら、それもまた本当であり、非常事態とは良きものは特に良く、悪きものをひどく悪く見せる働きがあるのだった。
そんな中、制服姿のある若者が述べた。
「職員の自分が先に引き上げるわけにはいきません」
この若者、あるべき責任感を示したはずだったが、
「おたくの気付き、ちょいと遅かったんでない?」
島民の1人に思いがけず疑われてしまう。しかも、
「気付いたときには、あっという間で」
こう若者が弁明しても、
「巡視のイロハは教わったろうけど、教わるのと学ぶのとは違うよ。俺も経験者だ。新米のころは特に夜中がおっかなびっくり、緊張で顔が引きつったよ。学ぶ域に達してないと自覚してる人間は、顔つきに出るもんだが、おたくの場合はなあ」
とまで言ってくるものだから、
「な、何ですか!」
彼は威勢を張った。
「失礼な!」
「疑うわけじゃないが、信じることもできんというか……」
「自分が職務怠慢だったと仰るわけですか?」
「そんな言い切りはしないよ。ただね、俺の若いころと比べるとね」
「ますます失礼な方だ!」
そこで周りの仲裁が入り、この場はどうにか収まりをみたのだ。
翌朝。
堀部智はまた焼け跡に目をやった。
「なるほど」
こううなずいたのは、そろそろ引き上げてよかろう、そんな思いの表れでもあった。
この日は8月6日。
今日、恐らく彼はこの後署へ戻れば署長に呼ばれ、語気強めに事情を問われるはずだが、それでも、堀部は淡々と捜査の正当性を伝える姿勢を変えない。こういう男だ……。署長だって承知している。ただ、事が事だけに捜査にいささかの不備でもあれば、こちらの立場が棄損するとの不安が立ち、強く言わずにはおられないのだ。
出兵前、息子にも、
「あまり頑固だと戦勝後の新時代に取り残されるよ」
と、釘を刺されたのを堀部は思い出す。
「生意気な」
そのときは一笑に付したが、やはりそうなるだろうなあ、という気分がここ数カ月強まっていたのも確かである。しかし、それは戦争に勝った後の世界でではない。
「独逸も負けた、次は……」
こう悲観的になるのは教育の弊害、いや、むしろ成果だった。幾重の教育を受けたがゆえに、オプティミズムよりペシミズムに傾いた思考こそが不確実な現実と向き合うのに採用すべき方法だと人は知るのだ。
同じく、国を出ている娘から、
「お父さんは賢いもの。大丈夫よ」
そう微笑んでもらえたのは彼の心の安らぎだ。2人とも無事にしているだろうか。
さて、堀部は焼け跡を後にし、火防事務所へ戻ることにした。見立てでは現場に不審な点はなく、自然発火で間違いなかろう……。
◇◇◇◇
今、樺太は夏。
北海道よりも北、南北に約千キロ伸びる長い島で、北緯50度以南が我ら帝国の領土、いわゆる南樺太であった。日露戦争を経て、1905年ポーツマス条約でそう決まっている。北緯50度以北の島北側はソヴィエト社会主義共和国連邦、通称・ソ連の支配下にあり、まさに帝国とソ連は目と鼻の先。
米国との戦局悪化に伴い、本土連絡船の運航停止はたびたびあったが、島内で戦死者はいまだない。
とはいえ、一つの島を2国が分割する状況、緊張感がないわけではないのだ。
ないわけでは……。
8月6日、ソ連との国境から数百キロ離れたある町。
「はあーい」
なめるような青年の呼び掛けが、年頃の女学生らに向けられた。彼女たちは恥じらいながらも、まんざらではない。なぜなら、彼は身なりはともかく、なかなかの色男だった。
この青年の名は篤志。
彼の名字は知り合いが多い島民の間でほとんど知られないでいる。彼は自己紹介で必ず「篤志」とだけ名乗ったし、性名を問われても、下の名で押し通す変人っぷりを披露するのである。身寄りはなくて、一人暮らし。20歳前後と若く、そして色男。
けれどこの日も、彼のお誘いに乗ってくる女性はなかなかなかった。
もてない原因は多分これだ。自分を見る女学生らの視線を追い、篤志はだらん、とした左の長袖をみやった。彼には肘から下の左腕がなかったのだ。
「今夜も一人ぼっちかなあ」
そう諦めもしながら、今日の彼はいつもより長く軟派に徹しようとした。
この島で緊張とおふざけは一卵性双生児のようなものである。ソ連のモロトフから、日ソ中立条約の破棄を通告された事実はとうに知られ、島民は呼吸を重ねるたび、緊張を高めてきた。そんな折、製紙会社の馬鹿息子のお馬鹿話のおかげで、昨日や一昨日より身軽な気分だったことが、彼の忍耐をいみじくも長持ちさせている。
今朝である。
昨夜の山火事は明け方までに消え、森林の被害もさほど深刻でなく、山肌は火に代わってぼわっと霧が立ち込め、起きてても寝ぼけ眼が居座るようであった。
「ふわあ、眠い」
昨夜、島民に疑いの目を向けられたむかむか、どきどきもあり、火防事務所の若者は夜が明けたら二晩徹夜したほどの疲労を覚えたものらしい。それでも、一晩中火災の見張りで火防職員の務めを果たせたことには、いささか以上に満足していた。
一方、若者に喧嘩を売る形となった男の方は帰宅してから、
「なぜ、あんな言い草したかな……」
気弱に考えてしまい寝付けなかった。
「あの子は製紙会社の玉田さんとこのせがれじゃぞ」
仲間にこう耳元で警告され、気になったというのもあった。この島の土地は森林が大半を占める。伐採した木材をパルプとし、紙を作る産業が経済の一翼を担っていたのだ。
こちらの男は結局、正味3時間程度の浅い睡眠で朝を迎えた。
若者はあくびのたび安心を実感した。顔を洗ったら、昨夜の不快さはもっと鎮まり、朝食はかなり健やかな気持ちで食せていた。
そうして、彼が火防事務所前の職員らと雑談しだしたときである。
霧の奥から、ぶろろ、ごりごり。
自動車のエンジン音とタイヤに踏まれる耳障りな砂利の音がし、1台の車がびゅっと霧から飛び出てきた。
来客などめったにないのが、この山林の事務所。ならばやはり、来たのは昨夜の山火事を用件とする誰かだろう、と彼はとっさに思い至った。
きぃ、がちゃ。
ばたん。
「おはようございます」
運転席を出てきたのは、短く刈った白髪頭の男性。
「火防の方々でいらっしゃる? ご苦労様です。昨夜の山火事のことで、お伺いしたいことがありまして」
男性は警察の身分証をぱっと見せてきた。
「堀部といいます。火事の現場はもっと奥ですか?」
年は50半ばくらいのようだ。たっぱはあまりなく、よくて155センチに足るか、恐らく足らなかったろう。
「自分がご案内いたします」
若者の申し出に、堀部は人懐っこい微笑で返した。